四、
ふと気が付くと、小夜は横になっていた。場所はすぐにわかった。もちろん家ではない。保健室だ。
「気分はどう? 黒沼」
「……最悪」
「そう」
最悪なのは気分ではない。襟元に金色のピンが光る、この人間の存在だ。
「生徒会室前で倒れたから、連れてきたんだけど」
この人は生徒会役員、黒魔導士の五十嵐啓。同じクラスで、明るく爽やかリーダー格。できれば関わりたくない相手だ。
「それはどうもお手数おかけしました。ありがとう。もう問題ないから」
さっさと帰って、という意味を含める。五十嵐啓は不快な様子は見せない。
「魔力の急激な減少が原因じゃないかって、先生が。なんか心当たりある?」
魔力の減少?
そんなに魔力を使う授業、今日はない。それはクラスメイトであるこの人もわかっているはずだ。別の原因を聞いているのだろう。
「ないわ」
きっぱりと答える。本当のことだ。
「そもそも私、減少して大事に至るほどの魔力なんて持ち合わせてないから。あなたと違って」
そう言うと、五十嵐啓は苦笑いして保健室から出て行った。
魔力が一気になくなった場合、身体に異常が出るのは魔力を多く有する人間だ。あるはずのものが急になくなれば、通常運転が保てなくなる。貧血と同じようなものだ。
小夜は魔力が弱い。コップの大きさが違うのだ。急に減ったとしても倒れるほどのことにはならない……はず。
嫌だなぁ。
自分の体調のことでなく、小夜は別のことに嫌悪感を抱いていた。
翌朝。
クラスへ入ると、クラスメイトの視線が集中した。特に女子。それを無視して席に着く。すると、五、六人の女子が寄ってきた。
「おはよう、黒沼さん」
いつもならわざわざ挨拶に小夜のもとまでやって来ないのに。
「おはよう」
礼儀として、挨拶には挨拶を返す。
「あのさ、ちょっと聞いたんだけど、昨日啓君にお姫様抱っこで運ばれたって、ほんと?」
やっぱり。
ほぼ想像通りの質問と展開に、心の中でため息をつく。だから嫌だったのだ。
群がる女子たちは興味津々。群がっていない人たちも、小夜の返事に遠くから耳を澄ませているのがわかる。
「保健室には運んでもらったみたいだけど」
お姫様抱っこ、とは聞いていない。
ああ、彼女たちの興味はそこなのか。
「いいなあ!」
きゃあ、と黄色い声があがる。
もしもし、仮にも人が倒れて運ばれたというのに、その反応は不謹慎ではありませんか?
小夜の気持ちを汲み取ったのか、「あ、黒沼さんはからだ大丈夫?」ととって付け加えるかのように一人が訊いてきたので、まあ、と答えておいた。
「私もされてみたい、お姫様抱っこ!」
「黒魔導士がお姫様抱っこって、なんかギャップ!」
「それがいいんじゃーん!」
騒ぎ出す乙女たち。私はもう関係ないのだから、やかましいので場所を変えてほしい。
あの人ならお姫様抱っこでもなんでも、頼めばしてくれるわ、と口に出さずに突っ込んでおく。
「誰にお姫様抱っこされたいって?」
当事者が群れに入ってきた。
よしよし、そのままこの群れを連れて行ってくださいな。
「え、聞こえてた?」
「んー、途中から?」
「やだーっ」
やいやいするのは遠くでして、頼むから。読書に集中できないじゃない。
「あ、俺、黒沼に話あるんだ。ちょっといい?」
女子たちは、あ、うん、と身をすすっと引いていく。でも聞き耳を立てたままだ。
話って、なんなの? 私にはない。迷惑だわ。
「黒沼、おはよう。ちょっといい?」
五十嵐啓が話しかけてくる。クラスメイトの視線が痛い。
「おはよう。私、読書中だから」
よくない、という意味を含めて答える。
「体調よくなった?」
この人は私の返事を聞かなかったの? それとも返事なんて関係なかったの?
しゃあしゃあと話しかけてくる。
「……」
無言でいると、なにあの態度、とか、心配してくれてるのに失礼だよね、といった心の声が駄々洩れで聞こえてくる。
「こうして学校に来てるんだから、問題ないわ」
「そう」
それで会話は終わったと思ったのに、この人はまだ小夜の机の端に座り続ける。
「なに?」
思わず声を尖らせてしまう。
「いや、ちょっと気になって」
小夜はため息をついて、五十嵐啓をにらみつけた。
「少しは自分の言動の影響力を自覚してくれる、魔導士サマ?」
小夜はそのまま本に目を戻した。
しばらくそのままだったが、黒魔導士サマは予鈴とともに席へ戻っていった。
ああ、なんて幸先の悪い朝。