20
急に視界の光が遮られたかと思うと、再びばさりと音が響く。
以前にも聞いたことのあるその羽ばたきの音に驚いて上空に顔を向けると、巨大化した大鷲のような魔獣が上空を旋回していた。
「あいつ、また…!」
ルカが忌々しげに声をあげた。
やはり昨日村に襲撃した魔獣らしい。
ということはまた結界に護られているだろう。
よく見れば昨日と同じオレンジの結界を纏っている。
私はエドの手を振りほどくとトーコとルカの側へ駆け寄って周辺に結界を張った。
重ねてルカとトーコにも更に強い結界を施したのとほぼ同時に、魔獣は私たちに向かって急降下してくる。
ばちばちばち、と結界同士が接触して反発し合う音が響く。
トーコめがけて急降下してきた魔獣を、ルカの剣が阻んでいた。
エドとレオも剣を構えてルカと魔獣の様子を見つめている。
急いでルカの剣にも結界を重ねてかけると、ばちばちと散っていた火花が更に大きくなる。
昨日と同じ魔獣なら、核は頚。
魔獣が纏う結界が緩んだらすぐに頚を狙って打てるように呪文を紡いだ、その時。
───ばつん
一際大きな破裂音をたてて、結界が弾けた音が響いた。
見れば魔獣が纏っていた結界が消えている。
今だ、と紡いでいた魔法を解放しようとしたその瞬間、魔獣がしゅるしゅると縮んで力無く地面へと落ちた。
ルカとトーコの足元には、小さめの鷲が1羽、既に息絶えているだけだ。
「ルカ?」
「いや、僕は何も…」
ルカの剣が魔獣の核を貫いたのかと思ったが、核を破壊しても魔獣の体が変化することはない。
魔獣の骸となるだけだ。
まるで魔素が抜けたように変化した鷲の様子を見ようと、ルカも不思議そうに膝をついて鷲を検分している。
「核が、消えてる…」
ルカの呟きが俄には信じられず、思わず近寄ってルカに並んで鷲の骸を見る。
いくら見ても、魔獣ではなくただの鷲の亡骸がそこにはあった。
「核そのものを消失させるなんて…」
───聖女の力しかあり得ない。
言葉にできずトーコを見ると、トーコはきょとんと私を見た。
急いでトーコにかけた結界に異常が無いかを確認するも、外側からも内側からも何か衝撃を受けた様子はない。
「トーコ、何ともない?」
「え、私?私は何も…」
「何か体の内側から解放されたような感覚はないか?」
レオが割り込むようにトーコに問う。
「何もないわよ。怖くて動けなかったし」
レオの勢いに戸惑いながらもトーコが答えると、レオはやはり解せない、という様子で力尽きた鷲に視線を落とす。
何故?という疑問に誰もが答えを出せずにわずかな間、沈黙が支配したがそれはすぐに破られた。
「───良かった、間に合った!」
声がした方に目を向けると、森へ向かう道から、ハニーブロンドの少女が走り出てきたところだった。
「…セレーネ…」
信じられないものを見るような虚ろな目で少女の名前を呼んだルカの声が小さく響く。
森から飛び出してきたのは、王太子の学園の恋人、セレーネその人だった。
「ルカ、知り合い?」
トーコが不思議そうに尋ねると、ルカはそれまで不自然に強ばらせていた体の緊張を解く。
しかしルカがトーコの問いに答える前に、セレーネが口を開いた。
「はい。ルカと私は同郷の幼なじみなの」
「あ、なるほど」
「良かった。間に合って…」
セレーネは改めてしみじみといった様子で地面に落ちた鷲に目をやった。
「今のは、君が…?」
エドが珍しく動揺した口調でセレーネに声をかけると、エドの声に振り返った彼女はにっこりと笑みを浮かべて頷いた。
「先日、目覚めたんです」
───何故、聖女の力をセレーネが?
聖女が二人も出現するなんて聞いたことがない。
ましてや私はセレーネには何の力も感じなかった。
セレーネが本当に聖女ならば、学園に居るときに引き合ったはずだ。
ブレロの街で感じたような力は、セレーネからは一切感じられない。
あの焦りのように引き付けられる力を。
事態が飲み込めず、呆然とセレーネを見つめたその時、森へ続く道から足音がすると、やがて人が一人現れた。
「セレーネ、いきなり走り出したら危ないじゃないか」
「コルネリオ様!ごめんなさい、でも間に合ったんです」
セレーネはパッと身を翻すとコルネリオ様へと駆け寄った。
にこにこと朗らかに笑う様子は屈託なく輝いている。
「そうか。それは良かったが、俺の心臓が持たないよ。いきなり離れたりしないでくれ」
コルネリオ様は甘い笑顔を向けてセレーネを緩く抱き寄せる。
そして私たちに目をやると、エドに目を止めて驚いたように目を見開いた。
「叔父上、なぜここに?」
「何故も何もない。魔獣の討伐は第二騎士団の管轄だ。コルネリオこそ何しに来た?」
「私は、魔獣の封印に…。セレーネが聖女の力に目覚めたので、それで」
「彼女が聖女なのか?」
「はい。先日聖女の力に目覚めたのです。さっきの大鷲も、魔素を浄化しました」
被せるようにエドが問うと、セレーネが答えた。
微笑みを湛えたその表情は美しく聖女そのものだ。
───でも、何かがおかしい。
セレーネが本当に聖女だったら、何故トーコは召喚されたの?
ブレロの街で引き合ったのは何故?
「洞窟の封印を、かけ直します。これで魔素の流出が抑えられれば、魔獣も減るはずです」
「叔父上、私たちは魔獣の封印ができたらこのまま王に結婚を認めてもらう予定です。セレーネが魔獣の封印したと、報告するのに騎士団長として立会人になってもらえますね?」
私たちの混乱などはお構い無しに、セレーネとコルネリオ様が朗らかに言い放つ。
「コルネリオ、お前が勇者なのか?」
「力に目覚めていないので、まだ分かりませんが…。セレーネがそうだと言うなら、いずれ私も力が目覚めるのかもしれません。すぐに浄化してしまえば、力に目覚めてなくても俺の出番は無いでしょうけどね」
エドの問いに、コルネリオ様は興奮した様子で答えた。
セレーネが聖女であること、自身が勇者であることを疑う様子もない。
私はそっと立ち尽くす様子のルカとトーコに、更に重ねるように結界を張った。
何かがおかしい、警戒しろと頭のどこかで激しく警鐘が鳴っている。
「じゃあ、封印しますね」
セレーネが微笑んだまま、洞窟に向かって手をかざし、ふわりとオレンジの炎を纏うような魔力がセレーネを取り巻いてから洞窟へと流れていく。
様子を見ることにでもしたのだろうか、エドもレオも何も言わずに見守っている。
再びバチバチと火花が散る。
───やはり、何かがおかしい。
さっき私が洞窟に満ちる魔力に触れたときには、反発することなくするりと私の魔力を抱き込んだ。
魔素から守る魔力なら、反発などしないはず。
私はそっと結界を展開すると、洞窟に向けて放った。
セレーネの魔力が魔素から守るものならば、共に溶けるはず。
───どうか思い違いであって。
そう祈るような気持ちで放った結界は、これまでに無いほどの大きな音をたてて火花を散らした。
それを見たルカが、これまで呆然としていたのが嘘のような速さでセレーネへと駆け寄った。
「君は、誰だ?」
セレーネの腕を掴んで尋ねたルカに、にっこりと笑みを向けると、セレーネはゆっくりと呟いた。
「誰でもいいでしょう。もう手遅れなのだから」
その瞬間、ばちり、とまた大きな音をたてて私の張っていた結界が吹き飛ばされた。
洞窟から、これまでに無い量の魔素が奔流のように迸る。
「!!」
弾かれた結界を急いで張り直したが、間に合わない。
溢れだした凄まじい量の魔素は、瞬く間に森を闇へと染めていった。




