18
練兵場には、既にルカが待っていた。
もしかしたら彼もまた眠れなかったのかもしれない。
「おはようございます」
ルカは私たちに気がつくと柔らかい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「はじめまして。トーコです」
トーコがいくらか緊張した様子で挨拶を返す。
「はじめまして。ルカと言います。あなたが、聖女の…」
「はい。まだ力は使えませんが」
ルカがトーコに手を差し出し、トーコが応じて握手する。
「ルゥから、この国を出るつもりと伺いました。私も同行させてもらえませんか」
「えぇ。気づかれる前に、脱してしまいましょう。早速ですが、僕は今日の昼にはここを出ます。昨日の様子だと僕たちの存在がまたあの魔獣を呼び寄せてしまうかもしれない。早い方がいいでしょう」
ルカは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
私はふと思い付いたことがそのまま口をついた。
「でしたら、私たちは明日の朝早くに出ましょう。ブレロの街から船が出ています。森の国境は手配がかかっているかもしれないから、川を抜けて海から隣国へ入った方が安全かもしれません」
二人も頷き、あっさりと話は纏まった。
ルカは今日村を出てブレロの街に向かい、明日の朝早くに村を出る私たちとブレロの港で合流すると決めてしまえば、あまり一緒に居るところを見られてはまずい。
私たちは早々に解散し、トーコと私はカムフラージュよろしく井戸へ水を汲みに向かった。
私たちの部屋をノックする音が響いたのは、井戸に寄って身支度を済ませて少し経った頃だった。
まだ朝の空気の冷たさを残しながらも、日はすっかり登って暖かい陽射しが部屋に注いでいた。
「はい」
「失礼する」
返事をするやいなや短い断りと共に顔を出したのはレオだった。
「連日朝からどうしたの?」
遠慮の無いトーコの声に、レオは苦笑いを浮かべながらも口を開いた。
「今日は朝食を一緒に食べよう。エドの提案だ」
「朝食を?」
不審に思う気持ちが表情に出ていたのだろう、レオは言い聞かせるように続けた。
「ああ。一昨日保護した男性だが、回復したから今日の昼には発つそうだ。その前に簡単に食事会でも、ということになったんだ」
「食事会ですか」
「あぁ」
「なぜ私たちまで?」
嫌な予感が頭を掠めて、思わず疑問を溢すと、レオはニヤリと口の端を歪めた。
「エドの指名だ。二人とも早めに来てくれ」
◇◇◇
「あれだけの数を相手にできるなら、是非力を貸して欲しいものだね」
エドがサンドイッチを摘まみながらにこやかにルカに告げる。
テーブルには軽食とはいえ朝食にしてはいつもより豪華なメニューが並んでいる。
「すみません、先を急ぐものですから。でも休ませてもらえて助かりました。あのままでは魔獣に遭わなくても行き倒れていましたから」
ルカもスクランブルエッグを飲み下すと、にこにこと応じる。
端から見れば和やかな朝食の風景だけれど、どことなく探るような空気がピリピリとした雰囲気を醸している。
「ラウロ王国に戻ることがあったら、是非また寄ってくれ。魔獣の討伐に力を貸してほしい」
「ええ。機会があれば是非」
白々しいとも言える上滑りするような会話に耳を傾けながら、私はゆっくりとサンドイッチを飲み込んだ。
隣に座るトーコも無駄なことは言わない方が得策と判断しているのだろう、エドとルカの会話を聞きながら、無言で食事を進めている。
レオはエドとルカの話に入ることは勿論、食事の席にも着いていない。
副官としてエドのそばに付き、給仕に徹している。
「ルゥはルカを知っていたのか?」
突然私に話を振られたのは、食後のお茶を飲んでいるときだった。
濃い目に淹れたお茶に、蜂蜜とミルクがたっ
ぷり入れられたそれはいつもと少し勝手が違うもので、レオが淡々と給仕をする。
これはどこの茶葉だろうか、嗅いだことの無い不思議な香りのお茶を半分ほど飲んだところで徐にエドが私に視線を向けた。
「いえ?昨日の朝、井戸を探していたところを案内しただけですよ」
「そうか。それにしては昨日の魔獣の討伐の時には随分息が合っていたと思ってね」
確かに以前から勇者の気配を察してはいたけれど、接触したのは確かに昨日の朝が初めてだ。
偽ることもない。
エドの深いブルーの瞳が私を捉える。
表情こそ柔らかい笑みを浮かべているけれど、少しの偽りも許さないような強い視線。
「そうですか。確かに反応が早くて戦いやすかったですね。警備隊では魔獣の討伐も多かったのですか?」
「はい。町の外を定期的に見回って魔獣を討伐するのも任務のひとつでした」
そう言って私へ視線を向けたルカが驚いたように目を見開いた。
どうしたのだろうか、まさか私の顔に何か付いているのか、と焦ったが、ルカの視線は私の隣に座るトーコへと向けられていた。
不思議に思って隣を見ると、トーコは眠たそうに瞼が今にも閉じそうになっていた。
昨晩よく眠れなかったせいだろうか?
それにしても───
ガチャン、とカップがテーブルに倒れる音と共にトーコの体がテーブルに突っ伏した。
「トーコ!」
思わず大きな声を出してしまった。
出したはずだった。
───しかし声は出なかった。
トーコに触れようと伸ばしたはずの腕が重くて持ち上がらない。
ガチャン、と再びカップがテーブルに踊る音がして、私の体もぐにゃりと力が抜けたことに気づいた時には、既に視界は暗転していた。
「やっと効いてきたか」
遠くでエドの声を聞いた気がしたけれど、その意味までは理解できないまま、私の意識は暗闇に飲まれていった。




