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ルカが故郷の町を出たのは、何か目的があったわけではない。
勤めていた町の警備隊に除隊を申し出てると、隊長は何度も彼を引き留めた。
しかし、恋人だったはずのセレーネの心変わりを受け止めるには、共に育った町には思い出が多すぎた。
しばらくは何も考えずに町を離れたい、急なことで申し訳ない、と言うルカを見て、隊長はようやく引き留める言葉をしまったのだった。
もしまたここへ帰ってくるなら、是非警備隊に戻ってきてくれ、待ってるからな、という言葉と「未練がましくてすまないな」という苦笑と共に送り出された。
ただ、町を出たのは良いものの、目的のない旅というのは存外身の振り方に迷うものだった。
何しろ目的がないのだから、目的地というものもない。
勇者の能力に目覚めた以上、王都に名乗り出て魔獣の討伐に貢献するべきだろうことは思い付いたが、かつての恋人が王太子の隣にいる風景を目の当たりにした直後とあっては、ルカはどうしても名乗りをあげる気にはならなかった。
───こんな状態で国のために、なんて道化みたいだ。
しかし目的のない旅というのも辛いものがある。
そして勇者の能力を隠して暮らすのも限界があるだろう。
そう考えて、ルカは西の隣国を目指すことに決めた。
隣国はラウロ王国とは比べ物にならないくらいの大国だ。
多くの民を抱える西の隣国の住民として居住権を得てから、勇者と名乗り出ればラウロ王国とは縁無く勇者として働けるだろう。
北の森を通れば、そう日にちをかけずに国境を越えることができる。
目的地が決まれば早速、とルカは北の森へと足を踏み入れた。
◇◇◇
北の森に入り込んで数日、ルカは森の奥で数匹の魔獣に遭遇していた。
森の奥へと立ち入ったのは、何か考えてのことではない。
西の国境に向かおうと思いつつも、通りがかりに強い魔獣が出る森だと思い至るとフラフラと誘われるように足が向いただけだった。
そして予想の通り、ルカは魔獣に遭遇したのである。
───ここで死ぬかもしれない。
グルル、と唸り声を上げる魔獣を前に、
ルカは思う。
それでいい、とも。
それは北の森に足を踏み入れた時から考えていたことだった。
国境を目指しながらも、魔獣に敗れるならそれでもいいと思っていたのに、死への恐怖だろうか、それとも生への執着か、手にはじわりと汗がにじみ足を強張らせるが、それも一瞬のうちに高揚する闘気に飲み込まれる。
唸りを上げる魔獣は狼だろうか、大きな犬のような躯体に守られるように、赤々とした核が見える。
魔獣の核を捉えた瞬間に、ルカの体が動いていた。
───まただ。
ルカの足元には数頭の魔獣が転がっている。
狼のような大きな躯は剣で貫かれてすでに息絶えている。
魔獣の核を見ると、それまでの躊躇いが嘘のように消えて魔獣へと向かってしまう。
核を貫くときの高揚に身を任せて剣を振るい、気がつけば魔獣が死体となって転がっているのだ。
そしてその間は、ずっと胸を占めていたはずのセレーネへの苦い思慕も、王太子への敗北感も一切凪ぎ払われたように消え失せていた。
そして我に返れば、苦しみが高揚に塗り替えられたように少しずつ軽くなっていくようだった。
「このまま行ったら、消えるのかな…」
ルカはそう呟くと、ゆらりと西へ向かって歩いていった。
◇◇◇
私たちが魔獣の群れに追い付いたとき、鼬の魔獣たちは木の下に蹲る青年から距離を取って取り巻いていた。
その少し離れたところには、蹲る青年に向かって屠られたのか、それだけで群れひとつと言っても差し支えない数の魔獣の死体が転がっている。
それは人が1人で屠れる数ではない。
今彼を取り巻いている魔獣を見れば更にその上をいく数の群れだったようだ。
───小さな群れ、というレベルじゃないわ。
魔獣たちは凶暴化しているとはいえ小さな個体。
通常なら闘気を漂わせる勇者の気配に逃げ出すだろう。
しかし大きな群れをなしていると気も大きくなるのか、仲間の死を見ても怯んだりもしないのだろう。
さらにジリジリと近づこうとしているようだった。
小さくても鼬は肉食だ。
魔獣となったら人を襲っても不思議はない。
事実、あれだけの数の魔獣を落としてはいるが、確実に青年はダメージを受けていた。
「危ない…」
思わず口をついて出た言葉に我に返り、防御の結界を紡ぐ。
魔獣に取り囲まれているとはいえ、魔獣と勇者の間にはまだ距離がある。
どうか間に合って、そう願いながら飛ばした結界が青年を包み込むのを見てほっと息をつく。
ダークブロンドだろうか、濃い茶色い髪の毛が、結界の光を浴びてキラキラと反射している。
膝をつき俯いているため、その表情は見えない。
結界が彼を守ってくれるから、魔法を使っても大丈夫だろう。
そう考えてエドを見ると、彼もこちらを見ていたのか目が合う。
意図を察したのかエドが頷いたのを見て魔方陣を発動させる。
「霧氷」
氷の刃を風に乗せて走らせる。
細かい氷の刃が一直線に地面を舐めるように走り、白い風に飲まれた鼬が凍っていく。
小さな個体があんなにいては、弓で射っていくのも難しい。核を狙うなら尚更だ。
一気に凍らせてしまえば、核がずれていても仕留められる。
「ルゥ、そこまでだ。行け!」
白い風があらかた鼬たちを飲み込んだのを見て、下されたエドの号令で騎士たちが風に取り残されていた鼬たちを狩っていく。
その一方で、数人の騎士たちがとうとう体を支えられずに木の下に倒れた青年のもとへと走った。
救護者を村へ搬送せよ、との号令で騎士たちによって運ばれていく。
青年を抱えた騎士が私を追い抜くように通りすぎた瞬間、そのほんの一瞬、これまで焦燥を突き上げるようにざわめいていた心が、すうっと凪いでいった。




