10
エドガルドは手にした書面に目を落としながら部屋に設えられたソファーに腰を沈めた。
手にした書類は読むと言うよりも眺めているといった風体だ。
テーブルの上には、討伐から戻って用意を頼んだ酒を注いだ杯が2つ、軽食と共に用意されていた。
その1つに手を伸ばし、甘味を抑えた果実酒をゆっくりと傾けていると、部屋の扉がノックされた。
「入れ」
「呼んだか?」
「あぁ」
入室を許可すると同時に扉が開くと、レオナルドが顔を出した。
エドガルドが顎をしゃくってテーブルに用意された杯を示すと、レオナルドは詰め襟を緩めてエドガルドの正面に腰を下ろした。
表情も緩み副官ではなく幼馴染の顔となったレオナルドが杯の酒に口をつけたところで、エドガルドが眺めていた書面を渡す。
書面に目を落としたレオナルドは、深く嘆息した。
───パウジーニ公爵令嬢を保護している場合は速やかに報告せよ。
聖女及び勇者の保護も同様とする───
レオナルドがテーブルへと放り投げるように置いた書面には、王命の印とともにそう記されていた。
「…。やっぱり気づかれたか」
「そりゃそうだ。気付かない訳がない。まぁおそらくコルネリオがゲロったんだろ。それとレオ、近く勇者が彼女の側に出る。囲い込めるよう監視と警戒を頼む」
エドガルドの言葉に、レオナルドは緩めていた表情を真剣なものに引き締めた。
「確実なんだな?」
「あぁ。今日の帰りにルゥに探索させていたが、村の近くで何か引っ掛かったようだ。表情は変わらないよう気を付けているようだったし報告も無い。今日の空振りを考えれば、おそらく勇者の気配を感知したんだろう。近いうちに接触するはずだ」
「本当なのか?勇者や聖女が結界師に引き寄せられるというのは」
「ああ。国の中枢にいるごく僅かな人間にしか知らされていないがな。お前も聖女と引き合うのをブレロの街で見ただろう」
先日ブレロの街で、レオナルドが破落戸に絡まれていたトーコとルクレツィアを早々に助けに入れたのは、エドガルドの「聖女か勇者と接触する可能性があるから見張っていてくれ」と指示されていたからだ。
その時までは半信半疑だったレオナルドも、焦るようにしかし迷い無くトーコがいる裏路地へと向かうルクレツィアの様子に驚いたのは記憶に新しい。
「彼女は聖女なのか?本人は否定しているぜ」
レオナルドは呆れたように言うと杯を呷る。
疑問を投げかけているようで、吐き出された言葉は皮肉げな笑いすら含まれている。
そんなレオナルドの様子に、エドガルドもくつくつと笑って答える。
「お前だって聖女だと確信してるんだろう?」
「まあね。最近確実に魔獣の報告が減ってるからな。ありゃ聖女の影響だろ」
「なら次は勇者だ。見張っといてくれ」
エドガルドはレオナルドを真っ直ぐ見つめて告げた。
「俺が全て手に入れる」
◇◇◇
「ルゥ、反応はあるか?」
「いえ。今のところはありません」
またしても小さな群れが出たらしい、との報告を受けて、私は騎士団と共に森の奥へと進む。
前回は捕らえられなかった群れかもしれない、と召集がかかり、再度討伐に出ることになったのだ。
移動しながら陣を中心に薄く結界を広げて行くと、やがて少し奥に複数の小さな魔獣の気配を掴んだ。
そして、魔獣以外の気配も。
「居ました。北西に800メートルほど。個体が小さい魔獣…。複数、…20くらいです」
「わかった。守備を頼む。───北西へ進め!」
エドの号令で部隊の進むスピードは速くなる。
気配を掴んでから、ずっとざわざわと心が波立つようにざわめいている。
この奥に、おそらく群れと一緒に勇者がいる。
それは確信だった。
でも、どうしたらいいのかが分からない。
エドたちは、勇者を見つけたらどうするだろう。
私のように討伐に参加させるだろうか。
それとも王都へ報告される?
そうなったら、私は逃げられるのだろうか。
───もう王都には戻りたくない。
父であるパウジーニ公爵はすまない、と私に言っていたけれど、結界を担うのは苦ではなかった。
役に立てるという実感があったから。
コルネリオ王太子との婚約も、それが決して心が通うものでなくても貴族の宿命だから、と折り合いを付けていた。
───でも、もう自由になりたい。
王太子は、セレーネ嬢への想いを貫くために私を葬ろうとした。
エドも討伐に役立てるために私をここに縛ろうとしている。
そこに私の意思は介在しない。
ただ、流されているだけ…。
「いたぞ!」
考え込んでいた思考を、鋭い声が現実へと引き戻した。
それは、魔獣を見つけた兵士の声。
───いけない。集中しなきゃ。
一瞬の緩みが命取りになる。
意識を魔獣の方へと向けると、鼬だろうか、小さな魔獣の群れが見える。
群れは私たちには気付かないのか、何かを囲うように集まっている。
「民間人だ!要救出者1名!」
更に鋭い声が上がる。
魔獣の群れが囲んでいたのは大きな木の下。
太い幹の足元にいたのは、力無く膝を付く若い男だった。




