第二章 心 -3-
翌日、土曜日のことだった。
相変わらず朝に弱いご主人様を叩き起こすところからソラの一日は始まる。「うにゅー」なんて意味の分からない文句を聞き流しながら、ソラは次の仕事へと移る。
「――それでご主人様、今日の朝食のリクエストは?」
「満漢全席……」
「作ってもいいけど絶対食べ切らないだろ、お前」
寝ぼけている朱莉に嘆息しつつ、ソラは適当な音楽を流して彼女が覚醒するのを待つ。ややあって彼女は目をこすり、要約のようにソラのタブレットと目が合う。
「……おはよ、ソラ」
「さっきまでは起きてなかったのかよ……」
長年生活を共にしているが、むしろ悪化しつつある彼女の朝の弱さに、AIの身であるもののソラは心底辟易する。
「で、ご飯は何がいい?」
「うーん。軽く食べれるものかな。たぶん荷物届くから、その設置に時間を割きたい」
「……荷物?」
聞き返すと同時、インターホンが鳴る。その配送がちょうど来たらしい。
「わたしは顔洗ってくるから、ソラが電子判を押しといて。空いてる部屋に案内して物を置いといて貰えばいいから」
「……配達ボックス使わないってことは、相当デカいのか?」
「まーねー」
そう言いながら洗面所に引っ込んでいった朱莉に代わり、ソラが必要な手続きを済ませ、運送業者の人間を招き入れた。入ってきたのは、いつもの宅配便の男性ではなく、もっと仰々しいところから来たらしい男三人だった。
そんな彼らが冷蔵庫か洗濯機でも入っているのか、というようなサイズの段ボールをゆっくり丁寧に運び入れていく。
「あ、お疲れさまですー」
ちょうど搬入が終わった辺りで支度を終えた朱莉が、外面専用の満点の笑顔で挨拶をする。筋肉自慢の男たちは少し鼻の下を伸ばしながら「いえいえー」「ここで開封しちゃって大丈夫ですね?」なんて言いながらテキパキと箱を開け始めていく。
「――それで、何を買ったんだ? 履歴が残ってないんだが」
「うん? 買ってないし。電話で連絡したら持ってきてくれるって言われたから。まぁ、見てたら分かるよ」
そう言って朱莉がタブレットのカメラレンズを向け直す。
茶色の段ボールを剥かれた先にあったのは、つるりとした真っ白な繭だった。
知っている。
ここ数日、主人が足繁く通ったゲームセンターでソラだって何度も見ている。
「ちょ、おま、これ筐体か……っ!?」
「そ」
てへ、なんて可愛らしく舌を出している朱莉に、ソラの思考回路は一瞬フリーズしかけた。言うべき言葉が刹那のうちに無数に重い浮かび、優先順を付けられない。まさしく絶句である。
言語処理にソラが戸惑っている間に開封は終わり、箱や梱包材を抱えて「それじゃ、お疲れさまでした」と業者は帰っていく。
ぽつん、とソラと朱莉の前に巨大な白い繭だけが残されている。
「……オーケー。言うべき言葉がやっと見つかった」
「なに?」
「お前バカなんだな?」
「どうして!?」
心外そうに朱莉がソラのいるタブレットに目を見開く。――が、どう考えても朱莉が馬鹿であることは変わらない。
「だって、毎日通うの面倒でしょ? ソラと連携させることを考えても、既存の回線じゃラグが発生しやすいからできる限りAIの端末の近くに置きたいし。――それにほら。正式に企業の依頼を受ける以上、手厚くバックアップしてもらわないと!」
「……俺、このゲームはコンシューマー版と連動してるって最初に言ったよね?」
「――……あ」
「家でやりたいならそっちを貰えよ、このバカご主人様」
ソラの指摘に、朱莉は手を床についてうなだれる。彼女の顔に笑顔は消えていた。
「わ、わたしがこんな大きなものを貰った意味は……?」
「一ミリもない」
「ソラも驚いてくれるかなーと思ってわざわざこっそり通話だけで頼んだというわたしの努力と期待は……?」
「あぁ、驚いたな。お前のバカさ加減に」
容赦なく追い打ちをかけるソラに、朱莉はがっくりと肩を落として立ち直れない様子だった。とは言え、ソラに確認もせずに先走ったのだから、自業自得ではある。
「そもそも、これ総重量三百キロ近いんだろ? どうするんだよ」
「……一応、場所はここから動かさないつもりだし、床も抜けないしたわみもしないのは計算済みだけど」
「設置だけしていったけど、接続はしてないぞ?」
「電源は普通の一〇〇ボルトだし、電力はソラのタワー型端末に回すときに工事してるから足りるよ」
「それも心配はしてたけど、そうじゃなくて。その位置でコードの長さ足りるのか?」
「……そんなバカな」
朱莉が僅かに震える足でゆっくりと近づき、付属のコードを引っ張って、手近なコンセントへと歩いて行く。
ピン、と。
それはプラグが刺さる前に張り詰めてしまうわけだが。
「……ずさんな施工に文句を言わなきゃいけないよ」
「施工じゃなくて配送だ。開封までしてゴミを片付けていってくれたのだって、たぶんあの三人の好意で、本当は仕事に含まれてないぞ」
「む、むぅ……」
怒りの持って行き場をなくし、朱莉はまたしてもがっくりとうなだれる。ただのゲーム筐体ではなく、振動や疑似Gなどアトラクション要素も強いことがあって、消費電力は並の家電とは比にならない。下手に延長コードで繋ごうとすれば電力超過で火事まっしぐらだ。
「ソラぁ……」
涙目でタブレットにすがりついてくるご主人様に、ソラは人間くさく「はぁ」と深くため息をついて、仕方なしに一つのメッセージを送信するのだった。
*
「何です、これ!?」
家に上がった赤髪の少女――に見えるだけのただの男子――鷺宮夏樹は、面白いくらい素っ頓狂な声を上げて目を見開いていた。
「何って、コクーンだよ」
「なんでそれが家にあるのかって質問です! バカなんです!?」
「ソラも夏樹ちゃんもわたしをいじめる……」
呼び出された夏樹が来るまでの間にもチクチクとソラに説教され続けた朱莉は、もう子供みたいに拗ねていた。
「あ、いや、センパイ……?」
「おバカって呼んでくれていいよ」
「いや、その、謝るんで、とにかくあたしは何で呼ばれたんです?」
なんとなく朱莉の心理状態を察したらしい夏樹は、極力その敏感な部分に触れないようにして、朱莉とソラのタブレットを交互に見つめていた。
「うん? そりゃ、こき使うために決まってるだろ」
「奴隷みたいな言い方しないで下さいよ……。後輩とは言え、あたしだって人間ですからね?」
「いや、だって、お前が俺を消そうとしてきたわけで」
「うっ……」
「その罪は簡単には消えねぇよな。具体的には行動で誠意を見せて貰わないと」
「し、しょうがないじゃないですか! あのときは視野が狭くなっていたというか、それ以外に方法がないんだって思い込んでたんです!」
そう訴える夏樹は涙目になっていた。彼の中でもあの件はかなりの後悔があるのだろう。
とは言え、朱莉もソラももう本気では怒っていない。実際、夏樹の言い分も分かるのだ。
出来ないと思っていた、やってはいけないと思っていた『仕返し』が、出来るかもしれないと思った。そのとき、彼女はそれを無視することが出来なかった。だからロワイヤルに手を伸ばした。
一度でもその一線を越えてしまえば、引き返すという選択肢は頭から抜け落ちる。引き返させようとする他人の手は、耐えがたいほどの恐怖の対象に映るだろう。一度変化を望んだ以上、その先へ進まなければ悪だと、そんな先入観にとりつかれる。
逆に言えば、その先入観を取っ払うことが出来たいま、夏樹はロワイヤルにこだわる必要はなくなっているはずだ。
「そういう償いもかねて俺たちの手伝いは強制な。データが消えるなんて危険性がある以上プレイさせる気は俺にも朱莉にもないし、お前もこのゲームを止める手伝いをして貰うから」
「そうなんですよね……。いや、正直あたしとしてはあの昔のクズ――じゃない。いじめっ子たちに復讐――じゃない。仕返しが出来るなら何だっていいんで。別にASCのイベントをクリアしたいわけではないですから、手伝うのもやぶさかではないですけどね……。それにしてもこう、もう少し優しさが欲しいお年頃なわけでして」
「俺も朱莉も甘やかさない主義なもんで」
「――……朱莉センパイもソラも、お互いがお互いに駄々甘な気がするんですけど……」
「なんか言ったか?」
「何にもないですー。もういいです。で、あたしは何をすれば?」
「このゲーム筐体を、ちょーっと少し後ろに動かして欲しいだけなんだ。三百キロに行かないくらいだし余裕だろ」
「…………いや、見て下さいよ。あたしはこんなにか弱い少女ですよ?」
きゃるん、なんて効果音が尽きそうなくらい全力で可愛いアピールをする夏樹だったが、ソラの回答は冷ややかだった。
「うるさいぞ、体力測定握力七五キロ」
「なんで知ってるんです!?」
夏樹は心底驚いた様子だったが、ソラは取り合う気もない。ちなみに情報の出所は藤堂である。――とは言え、どれだけ腕力に自信があろうとこれだけの重量を動かすというのは相当に大変な作業になるだろうが。
「……もう腹はくくって頑張りますけど、これ、お礼とかもらえないんです?」
「うーん。設置終わったら、いの一番にプレイしていいよ。コンシューマー版はさっき夏樹ちゃんが来る前に即日配達で注文したから、わたしはそっちで対戦するよ」
「やった――って、それ普通にただの試運転では……?」
一瞬騙されかけていた夏樹だが、割と早い段階で気付いたらしい。不服そうに唇をとがらせている。
「それで夏樹ちゃんが勝ったら、なにかご褒美をあげようかな。――夏樹ちゃんは何が欲しいの?」
「そりゃあたしもこう見えて男の子ですし、ねぇ?」
「よし。全力で叩きのめせよ、朱莉」
ドスの利いた声で言うソラに「冗談なのに容赦ないです!?」と夏樹の泣きそうな声が飛ぶ。しかし、朱莉の方はきょとんと首をかしげている。
「うん? 戦うのはソラだよ?」
「…………は?」
朱莉の言葉に、ソラが頓狂な声を上げる。
「俺のAIとしての性能じゃあんな複雑なバトルできない、っていう結論になったよな?」
「うん。――だから、専用にプログラム組んじゃった」
にこっと満面の笑みを浮かべる朱莉に、ソラはまたしても絶句するほかなかった。――ここ最近の夜遅くまで作っていたというプログラムがそれなのだろう。それを運用するからこそ、僅かでもラグが生じないよう、ソラと直結させるためにこの部屋に筐体を置きたかったのかも知れない。
「というわけで。――わたしを守るために頑張ってね?」
小悪魔チックなウィンクを決める朱莉に、ソラはただただため息交じりに「……了解したよ、我がご主人様」と答えるのだった。