第一章 白き翼 -6-
思えば、初めから違和感はあった。
どうしてこの対戦相手は自分たちを狙って勝負を仕掛けてきたのか。
誰彼構わずではないだろう。あんなやり口で強制的に勝負を仕掛ける愉快犯がいれば、都市伝説以上にASC側が対処に乗り出していなければならない。
朱莉たちが初心者であることを知った上で、逃げられないように勝負を仕掛けてきた。それも、彼らがプレイする時間すら完璧に把握して。
それだけではない。
そもそも、この大企業が作った看板タイトルだ。ネットで拾い集めたような知識では、強制的にイベントモードでバトル申請を行うような無茶な真似は行えない。それだけの技術力が必要となる。
――だが。
――彼であれば。
朱莉の後輩として彼女の腕前を僅かでも近くで見て盗めた彼であれば、ゲームシステムに介入することだって出来ただろう。それだけの技能はあるはずだ。
「……、」
声が掠れる。その名を呼ぶことさえ朱莉には憚られた。――その事実を認めたくなどなかったから。
けれど、言わなければいけない。だから、朱莉は自らに突きつけるようにその名を呼んだ。
「どうしてなの、夏樹ちゃん……っ」
答えはなかった。代わりに、薄紅色の閃光が駆け抜ける。――とっさにソラがイクスクレイヴを操縦していなければ、無様に胸を貫かれていただろう。
それが、鷺宮夏樹の返答だったのかも知れない。
そもそも、昨日の時点で夏樹の様子はおかしかった。
あれは決して、おかしな噂と現実との整合性を目の当たりにして怯えていたわけではない。
本当なら知らない振りをして、ただの根も葉もない噂で済ませたかったはずだ。ただあまりに唐突で、理性がガードを欠けるより先にリアクションが漏れた。それを誤魔化すために、あんな風な話をしたのだ。――それで誤魔化しきれないと思っていたからこその、今の行動ではあるのだろうが。
『……聞きたいのはあたしの方ですよ、センパイ』
ようやくのように、答えにもならない声があった。
同時、ロックオンアラートと共に盾にしているビルが爆裂する。吸収されずに突き抜けた数発の光の銃弾が、イクスクレイヴの翼を叩く。
コックピットに近いからか、与えられた衝撃は相当のものだった。固く操縦桿を握り締めてなんとか朱莉が耐え凌ぐ間、ソラがどうにかイクスクレイヴを走らせていた。
一定の距離を保って、ソラも朱莉もバルチャーの動きを伺う形で静止する。残り耐久値は三二八。着実に、ソラの死が迫っている。
『でもセンパイがロワイヤルプログラムを入れてASCに参戦するなら、敗退させるしかないじゃないですか。――だって、センパイならこのロワイヤルを本当に止めてしまうかも知れないんだから』
それはある意味で、信頼だったのだろう。
ざり、とアスファルトを踏み締めて、バルチャーがイクスクレイヴと対峙する。
昨日までは、楽しく一緒の部活で過ごしていた。先輩と後輩の関係でありながら、きっと同い年の友達なんかよりよっぽど親しかった。
なのに、今は冷たい壁の向こうにしか、鷺宮夏樹を感じられない。
『……昨日のセンパイたちの様子じゃ、このゲームに興味はなかった。つまり、そうまでして叶えたい願いなんてないはずなんです』
淡々と、夏樹は語る。
『なら、センパイたちが何をしにここに来たか。――答えは、誤魔化そうとして言ったあたしの言葉ですよね? このロワイヤルプログラムは、朱莉センパイが関わってる』
「……そう、だよ。これを作られたのは、昔のわたしのプログラムが流されていたから。だから、わたしはそれを止めるためにいる」
『でも、どうしてそんなことをする必要があるんです?』
冷たい、どこまでも冷たい言葉だった。
『勝手にデータが消されるなら可哀想です。知らずにゲームの中にロワイヤルが組み込まれてしまうのならそれも同情します。――けれど、違うじゃないですか』
目の前のバルチャーは左手の拳銃をしまい、腰から一本の剣を取り出す。それはイクスクレイヴの左の剣にも似た両刃の剣だ。刃の部分で、桃色の光がおぞましく輝いている。
その切っ先をイクスクレイヴへと突きつけるように構える。
『みんなルールは説明されている。その上で、願いを叶えるために仕事も思い出もパートナーAIも、UITに入った全てのデータを、誰もが対等に賭けに出してるんですよ』
逃げたいならば逃げればいい。二連敗しなければ敗退にならないと言うことは、覚悟がないなら一度負けた時点で二度と触れなければいい。優勝以外でロワイヤルプレイヤーがクラウンを手にできないと言うことは、ランキング最下位が確定しているポイントを失ったプレイヤーなど捨て置いて問題ないのだ。
その上で、それでも彼らはここで戦っている。
それは紛れもない自由意志だ。
『センパイに、あたしたちを止める権利なんてない』
それが、鷺宮夏樹の答え。
だから彼は、ここで朱莉を討つと決めたのだ。
格闘攻撃の当たる間合いより一足遠い二人の間を、バルチャーはスラストアクセルで一直線に埋める。
回避もステップも、こうなっては間に合わない。朱莉は即座にアスカロンを抜き払い、その斬撃に応える。
二本の斬撃が激突する。ぎちぎちとせめぎ合いながら、互いにダメージを与えられずに膠着状態に入る。
格闘攻撃の同時発生による、判定モードだ。どちらが競り勝つかは、攻撃タイミングの早さ、攻撃の長さ、攻撃の威力の三つの中で二つで勝った方。
タイミングで言えば、武器を持ち帰る手間を挟んだイクスクレイヴの方が遅い。だが格闘の長さや威力で言えば、近接特化のイクスクレイヴの方が勝る。
――はずなのに。
イクスクレイヴの腕が、はじき返された。
「――ッ!?」
『あたしの機体は正確に言えばバルチャー・改です。スペックだけの改修だと思いましたか? 近接戦闘用に装備だって変更しますよ』
弾かれたイクスクレイヴを一閃。それだけで一〇〇以上のダメージを受け、白い繭を凄まじい衝撃が揺さぶった。
「……ソラ、こんな危ない目に遭わせてごめんね」
「謝るなよ、朱莉。お前が胸を張れる決断なら、俺はどんな決断だってお前に従うよ。――俺はお前のパートナーAIだからな」
ソラの言葉に、朱莉は小さく頷いた。
この覚悟は、他人に委ねてはいけない。それは、ソラであったとしてもだ。
だから、朱莉はいつだって彼に応えるのだ。
彼のパートナーとして相応しくあれるように。
「夏樹ちゃん。――わたしはそれでも、このゲームを終わらせるよ」
宣言と同時。
朱莉はペダルを踏み込んだ。
イクスクレイヴの背の高推力スラスター翼から光の粒子が迸る。あれだけあった間合いは、一呼吸のうちに消失する。
『――っ。甘いんですよ』
バルチャーがとっさにマントを前面に押し出す。そこから、不可視のシールドが形成されているのだろう。
だが、それは意味を成さない。
一瞬だった。
スラスター翼から迸る光が途切れ、一直線の突進は急旋回を強いられる。シールドを張っていないバルチャーの背面へ回った朱莉は、その好機を逃しはしない。
アスカロンを右に薙ぎ払う一文字の一閃、返す刀で左から再度薙ぎ払う二連撃。重い反動をトリガー越しに感じながら、朱莉はそれを押し切った。
ダウン値が閾値を超え、バルチャーの動きがぐらつく。そのまま、さらに朱莉は畳みかける。
アスカロンだけでなくグラムすら振りかぶり、左右交互に繰り出す五連撃。その最後に、両の大剣を振り下ろす。
激しく散る火花はもはや絶えることなく、ただバルチャーのマントのような装甲は剥がれ落ちるようにその下の基盤を晒していた。
都合七連撃。おそらくは、現状でイクスクレイヴが出せる最高クラスの攻撃だ。無限に思えるほどあったバルチャーの耐久値も、ついには折り返す。
『まさか、初見でめくりまで使えるなんて。……本当、化け物ですよね。いっそソラの方が人間で朱莉センパイの方が機械だ、って言ってくれた方がまだ信じますよ』
呆れたような声音だった。――だが、諦観はない。
むしろ、その逆。
ここまで追い詰めてくる朱莉に、苛立ちを隠し切れなくなっていたようにすら聞こえる。
『――消えたって、いいじゃないですか……』
夏樹の声が震えていた。冷たい壁の向こうにしかなかったその声は、気付けば身を焦がすような灼熱の炎に呑まれていた。
『だって、所詮は全部データじゃないですか。思い出は胸の中に秘めてる。大事なタスクが消えたなら謝ればいい。――AIだって、作り直せばいい!!』
夏樹の叫びに応えるように、沈んでいたバルチャーが跳ねるように起き上がり、イクスクレイヴへとその剣を振りかざしていた。
振り下ろされる斬撃に応えるように、朱莉もまたアスカロンを振り抜いた。格闘判定による鍔迫り合いに持ち込み、二つの鎧がゼロ距離で睨み合う。
『所詮、そんなのは全部データです。0と1の羅列です。心なんてどこにも宿ってない』
だから、鷺宮夏樹はそれを犠牲にすることを厭わない。生活は少しの間難しくなるだろう。不便も多いし、人に迷惑をかける。
だが、その程度だ。敗北に痛みはない。――少なくとも、鷺宮夏樹にとっては。
彼もアイというパートナーAIを持ってはいる。だがそれは携帯端末にプリインストールされている程度のものだ。簡単な情報などの整理や検索に使う程度であり、それはあくまで道具だった。それ以上では決してない。
「……夏樹ちゃんは、とても幸せだ」
小さな繭の中で、鈴葉朱莉はそう零した。
「機械やAIに心がないと思える。それは人の特権だと。うん、正直に言えば羨ましいよ。――だってそれは、人の心にきちんと触れてきた証だもの」
夏樹の言葉はある意味で、とても優しいものだ。
心は人にだけ宿るもの。それはつまり、彼は心ない人間には出会ってこなかったということだ。それが正しい心なのか邪心であるのかは別として、夏樹はきちんと人と触れ合って生きてきた。どんな形であれ人と人としてきちんと接してきたのだ。
そうでなければ、今のような結論にはならない。
「だけど、それは違うんだよ。だってわたしは知っている。人にだって心が宿らないことを」
広い家に、朱莉とソラの二人きり。身の回りの世話は全てAIのソラの仕事であり――家族はいない。それが鈴葉朱莉の家庭環境だった。
母は幼い頃に他界した。だが、父は存命だ。普通なら父子二人きりで手を取り合って暮らすのかも知れない。
けれど、朱莉の父は違った。
何故母と結婚したのかは知らない。きちんと母には愛があったのか、それとも無機質な関係だったのか。――だが少なくとも、彼は朱莉を愛してなどいなかった。法に抵触しない程度に最低限の物を与えるだけで、高校に上がってからは朱莉は一度も父と顔を合わせていない。
きっと、彼に心はない。
持ち合わせていないのか失ったのかは分からない。だが、それだけは間違いない。
「だったら、逆にさ」
だから、鈴葉朱莉は心の定義を否定する。
「AIに心が宿ったっていいじゃない」
それが、鈴葉朱莉にとっての心だった。
――同時、格闘判定に競り勝った朱莉のイクスクレイヴが眼前のバルチャーを弾き飛ばした。その隙を逃すまいと、さらに追い立てる。アクセルを目一杯に踏み込んで、アスカロンの切っ先でバルチャーの胸を貫く。夥しい火花が散るが、しかし耐久値は一割も削れない。
「夏樹ちゃんからすれば、わたしとソラの間にあるものは『心』ではないのかもしれない。そう思うならそれでもいいよ。名前なんてただの記号だから、その『何か』の名前なんてどうでもいい。――だけど」
倒れ伏したバルチャーを見下ろしながら、鈴葉朱莉は宣言する。
「わたしとソラの間にある『何か』を否定することだけは、絶対に許さない。――他の誰かの『何か』を奪うことを、わたしは絶対に認めない」
自分でもぞっとするほど、冷たい声音だったと思う。
けれど、鷺宮夏樹は怯えを殺すように、震える声でそれでも吠え立てる。
『でも、それでも! そんな誰かの曖昧なものよりあたしは自分の心の方が大事だから……っ。だから、勝ってそれを取り戻さなきゃいけないから!』
起き上がると同時、バルチャーのマントのような装甲が開いた。
奥に見えるのは円錐形の弾頭――ミサイルだった。その装甲はシールドだけでなく、ランチャーでもあったのだろう。
藍色のランチャーガードから、一〇発近いミサイルが一斉に放たれる。
イクスクレイヴの翼が唸りを上げ、全力で回避行動に移っていた。ホーミングするそのミサイルすら、どうにか朱莉は振り切ってみせる。時限式だったのか、あるいはミサイル同士で衝突したのか、イクスクレイヴに命中せずに爆ぜたミサイルの爆風がその背を叩いていた。
――だが。
それすら、鷺宮夏樹の思惑だった。
『ごめんなさい、センパイ。――これで、決めます』
がしゃり、と。
聞こえるはずもないのに、朱莉はそんな重苦しい音を聞いた気がした。
見れば。
遙か遠くに離れてしまったバルチャーが、背にした一丁の狙撃銃を抜き払っていた。自身の全長にも届くほどの長いバレルの先の銃口を、ぴたりとイクスクレイヴの胸部へと向ける。
ぞっと、背筋が凍る。
確信があった。
この一撃を食らえば、残りの二〇〇程度しかない耐久値など紙を破るより容易く消し飛ばされる。ガードも意味を成さないだろう。
あれは一撃必殺の武装だ。
「ソラ、行くよ」
防御も回避も間に合わない。――だから、前へ。
急旋回し、一直線にバルチャーへと向かう。
だが、間に合うはずがない。そもそもどれほどの機動力であったとしても、これだけの空隙を埋めるには至らない。
バルチャーの指が、その狙撃銃の引き金を引く。
――それよりも刹那早く。
朱莉はレフトレバーのスイッチを押していた。
イクスクレイヴの全身が、そのビームカラーと同じ緑色の粒子を帯びる。
凄まじいGがコクーンの中を襲う。だが、それでも朱莉は前だけを見据えていた。
放たれる一撃必殺の槍。薄紅の光に対し、朱莉の行動は単純だった。
ロックオンを外すことで、自動で対面に向かうイクスクレイヴの制御を自身に委ねさせる。――それを、ソラが操縦する。
斜めに落ちるように、イクスクレイヴはその狙撃銃を回避する。スラスター翼の端を掠めているが、当たり判定の外だ。
『エクストラブースト……ッ!?』
夏樹が息を呑む声がした。
ダメージが一定以上貯まることで使える、逆転技のようなものだ。その状態になれば機体性能は跳ね上がり――そして、専用の技が使えるようになる。
「落とすよ、ここで」
緑の光に包まれたまま、朱莉は冷たく言い放つ。
狙撃を外したことで、バルチャーは大きな隙を作っていた。ガチャガチャとインカムの向こうで夏樹が無理矢理機体を動かそうとしているが、銃を構えたまま動けていない。
右のアスカロンが、左のグラムが、光を反射し十字に輝く。
モニターのフレームレートでは捉えきれないほどの速度だった。
気付けば、既にイクスクレイヴはバルチャーの背後に立っていた。振り返れば、六つの傷を深くに刻まれたその機体が、おぞましいほどの火花を撒き散らしながら大地に横たわっている。その背面は、炎と黒煙を吐いていた。
「部位破壊。普通は攻撃キャンセルのリスクと引き換えに確率で付与するけれど、このエクストラアタックはそのデメリットなしに部位破壊を起こせる。壊したのは背中のスラスターだよ。これでもうバルチャーはまともに動けない」
だがそれでも、絶対に部位破壊が生じるわけでは決してない。通常と同じように低い確率でしか発生しない。それを、土壇場で彼女は引き当てた。
バルチャーの狙撃を躱す腕前だけではない。
エクストラブーストからの派生を一瞬にして考えついた頭脳でもない。
その僅かな確率すら引き当てる、その運もまた、彼女が化け物たる由縁であった。
インカムの向こうでは、けたたましいほどのアラートが鳴り響いている。モニターに映し出される敵機の耐久値バーは、今の一撃でほんの数パーセントを残すほどに削っていた。
「わたしの勝ち、でいいよね?」
アスカロンの切っ先を沈んだバルチャーの首元に突きつけて、鈴葉朱莉はそう宣言した。
『そう、ですね。これは完璧にあたしの負けです。これじゃ牽制の銃撃も避けられませんし、二〇も残ってない耐久値じゃ即死です』
夏樹が、ふぅと息を吐く。
『……これで、終わりかぁ……』
自分のデータ全てを賭けに出しておきながら、随分とあっさりと彼は退いた。もしかしたら、本当はどこかで終わりにしたかったのかも知れない。――朱莉に敗北して、それをきっかけに断ち切る決意が出来たのだろうか。
「夏樹ちゃんが、昔いじめられていたのは知ってる。だから、ロワイヤルでやりたかったのはその仕返しかな?」
『――っ。気付いていたんです?』
鷺宮夏樹は、中学時代に嫌がらせを受けていた。
男子でありながら可愛いモノが好きで女装趣味、となれば、そういう対象にはなりやすい。ましてや、夏樹の内面はただの男だ。
幸い、高校に入った今では、夏樹はクラスのマスコット的存在だ。そういうキャラクターとして、迫害されずに受け入れられている。
だが、だからといって、過去のことまで許容できるかは別問題だ。
「そんな理由でロワイヤルを入れてるんだろうなって言うのは想像が付くよ。――だけど、やっぱりやめておいた方がいい。だって、自分が嫌いな人たちのために自分の大切な物を賭けるだなんて、馬鹿みたいじゃない?」
朱莉のその言葉に、夏樹は『……です、ね』と小さく呟いた。音声が悪くて聞き取れないが、少し震えているような気がした。
『……ごめんなさい』
すっ、と。何かが落ちたような、晴れた声で夏樹は言った。
「うん?」
『試合中、いろいろひどいこと言っちゃって。ちょっと、頭に血が上ってました』
「あぁ、うん。そのことね」
そう言って、朱莉はくすりと笑う。
「絶対に許さないから」
跳ねるような可愛らしい声で、にこにこと笑顔のまま朱莉はそう言い切った。
そのまま首を刎ね飛ばすようにイクスクレイヴの一閃があった。
数パーセントの耐久値は消し飛び、大々的に勝利を告げるWINの文字が画面に浮かび、夏樹が蓄えた数千ポイントが朱莉に流れ込む。
『え、ちょ、ここは笑って許していつも通りに戻る、的な流れなのでは……?』
「自分のしたことをちょっと考えようか? ソラを消そうとした時点でわたし的には沸点を三周くらい超えてるんだけど」
横からソラの「あーあ」という声が聞こえてくるが、朱莉に引き下がる気はない。
『ど、どうすれば許してもらえたりとか』
「腸は煮えくりかえっているんだけども、まずはいじめっ子への復讐がしたいからってAIを賭けに出したことは本人に許しをもらってよ。話はそこからだ」
『ア、アイ。許してくれる?』
『すみません、よく分かりません』
「駄目だったね、じゃあわたしもまだ許せないよ」
『これ一生無理なのでは!?』
夏樹の泣き声が聞こえるが、今の時点で朱莉に許す気はない。
ソラを手にかけるということの重さを考えれば、むしろ手を上げずに済まそうと言うだけで褒められたっていい。
「でも、協力者が欲しいとは思ってたんだよね」
『……はい?』
「あぁ、どうしてもいじめっ子に仕返しがしたいなら、法に触れない範囲でなら手伝ってあげてもいいよ? 別にこんなふざけたゲームをクリアする必要なんてないから。――その代わり」
『そ、その代わり?』
「ちょーっと、お願いを聞いてくれる?」
それがちょっとでないことなんて、誰の目にも明らかではあった。
『も、もし断ったら?』
「データ消去より怖いのって何だと思う? 自分の性癖を全世界に、具体的にはご両親とか先生とか初恋の人とかに暴露したいならわたしはもう止めないけれど」
『いぃぃやぁぁぁああああああ!!』
おそらくは最後の六連撃などよりもよっぽど深いダメージが入ったらしく、夏樹は普段より男に近い声で絶叫していた。
――そうして、朱莉とソラの初陣は幕を下ろす。
ザザ、と。
コクーンのモニターに、あるいはソラの入ったタブレットに、一瞬、しかし確かにノイズが走ったことに、誰も気づきはしなかった。