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第一章 白き翼 -5-


 隣の話し声もろくに聞こえないくらいの音響の洪水だった。

 開店とほとんど同時に、朱莉はゲームセンターへと足を踏み入れていた。

 目的は一つ、依頼されていたゲーム『アサルトセイヴ・クラウンズ』をプレイするためだ。――ちなみに、夏樹には「今日の部活は中止」と連絡を入れておいた。

 溢れ出ているのは音だけに止まらない。周囲一帯はチカチカと瞬く液晶の群れ。あらゆる機器が発展したこの時代だからこそ感じるのかも知れないが、どこか退廃的にも見えた。


「それで、噂のアサルトセイヴなんちゃらっていうのはどこ?」


「クラウンズな。長いなら公式略称はASCらしいからそれを使えばいい。――ぱっと見の集客効果の低い箱物はだいたい奥、って相場が決まってる」


 わざわざイヤホンを付けてソラと会話しながら、朱莉は指示通りに他のゲームには目もくれずに施設の中を奥まで進んでいく。

 ほとんど入り口とは真逆の位置に、それはあった。

 真っ白い球体だった。

 それがざっと見ても五基ほど横一列に並べられていた。正直、ゲームセンターに来慣れないソラたちからすればそれは異様な光景だった。

 先ほどまでの喧噪はどこへ行ったのか、そのブースだけは静かな空間だった。むしろ外ではそれが当たり前なのだろうに、この場ではそれがまた異質だった。


「これが筐体?」


 イヤホンを外しながら、朱莉はソラに問いかける。


「そうみたいだな。コクーンって呼ばれるドーム型VR筐体、操縦するロボットの操縦席を模したASCの専用筐体だ」


 VRゲームが完全にリアルを再現するには、ユーザーの動きがボトルネックになる。しかし、この手の操縦席を模したドーム型であれば、それを完全に回避できる。そういう相性の良さもあり、この手のゲームは年々増えている。おかしな噂が出てしまっているが、ゲームは一般的で平凡なこのアサルトセイヴ・クラウンズも、当然、その一端を担う人気ゲームだ。


「いまはプレイヤーは?」


「ちょうど一枠空いてる。ラッキーだったな。普段は待ち時間が発生するらしいから」


 ソラの言葉に頷いた朱莉は「……開店ほぼ同時で一枠しか空いてないって言うのもすごいね」と零しつつ、その空いている筐体(コクーン)の背面のハッチを開けた。


 電源の入ってないその奥は、暗い闇の中だった。

 繭の中は大小三枚の湾曲したメインモニターで覆われていて、中央――というよりもその内部の空間の八割を占めるように、合皮のシートが鎮座している。シートの前の膝で挟むような位置に半球状のサブモニターがあり、両手で握れるように操縦桿であるトリガーが左右一本ずつ、足元にはペダルが二つある。


 非常に手の込んだゲーム筐体だった。目隠ししてこの中に放り込まれていたら、本当に何かの操縦席だと勘違いしたかもしれない。

 どれが触れていい物か分からないのか、まるでデジタル機器初心者みたいな動きでそっとシートに腰掛けた朱莉は、肩身が狭そうに小さくなっている。


「起動方法はUITの登録後、電子マネー決済の承諾ボタンを押すだけ。都市伝説にあったあの『ロワイヤルプログラム』はインストール済みだ」


「りょーかい」


 そう軽々しく応えながらも、承認のボタンを押そうとする朱莉の指先は震えていた。

 それでも、躊躇わずに前へ。

 真っ暗だった画面に明かりが灯る。壁面に隠されていた照明にも電気が通い、まるで、その白い繭に命が宿っていくようだった。

 真正面のメインモニターに何かのロゴが表示され、そのまましばらく待てば大々的に『アサルトセイヴ・クラウンズ』というタイトルが映し出された。


「……引き返すなら今だぞ」


「何を今さら」


 まだ明るくない表情のまま、しかし朱莉はそう言い切った。


「たぶんこれは本物だよ。それは認めるしかない。――だからこそ、絶対に止めなきゃいけないんだよ」


 可能なら、彼女だってソラを危険に晒したくなどないだろう。朱莉とソラの間にある絆は違いなく本物だから。

 だけど、それは自分たちだけではない。

 他の誰にとっても、大きさに違いはあっても、そんな関係があるはずだから。

 自分のせいでその絆が脅かされるのなら、彼女はそれを守らなければいけない。少なくとも、ソラの知る鈴葉朱莉という少女は、そんな真っ直ぐな少女だ。


「情報の確認はいるか?」


「ざっくりとソラの中でだけ見直しておいて。疑似ニューロンってたまに抜け落ちるから」


 朱莉の返答にソラは「了解した」と頷く。

 既に、自宅である程度の予習は済ませている。イベントモードと、このロワイヤルプログラムに関しては特に。


 まずはイベントモードだが、それは単純な大会のようなものだ。

 期間中に特定の時間が設けられており、そこでプレイすると自動で近いレベル帯の相手とマッチングされる。

 勝利すれば一〇〇ポイントと、相手の獲得していたポイント全てが手に入る。

 敗北すれば相手に全てのポイントが奪われる。

 ポイントがない状態で敗北すれば、イベント敗退となり、その期間中はイベントモードがプレイできない。

 期間終了時のポイントが高い順にランキングされ、上位には報酬が与えられる。

 ――以上が、このASCのイベントだ。開催期間は、今回は四週間以上と長く、既に始まった今でも二週間近く残っている。


 そしてロワイヤルプログラムは、このイベントに便乗する形で起動する。

 イベントに参加する以前にロワイヤルプログラムをインストールしていることが必須条件。

 敗退、すなわち二連続で敗北することで、おそらく朱莉が作ったと思われるセキュリティ破壊プログラムが作動し、あらゆるUITのデータが初期化される。

 そして優勝することで、敗者のUITを利用した疑似クラウンを手に入れる。それがあればあらゆるUITをハックし、望むものが手に入れられるだろう。


 重要事項はこの程度だった。

 それ以外のASCにかかわるものは公式サイトやプレイ動画を見ても理解に限度があり、実際に足を運んで確認することになっていた。


「……まずは起動。チュートリアルを済ませて、ある程度フリー対戦で練習。イベントの初戦は絶対に勝てるCPUっていう話だし、慣れたらそこで一勝を確保してから帰ろう」


「そうだな。今日はあくまで練習だ。情報と経験を集めて、実際にプレイを始めるまでに、しっかり対策を立てて――……」


 そんな会話の中で、朱莉は適当なトリガーのボタンを押して画面を先へと進めようとした。

 その瞬間。



 白い繭の中に、けたたましいアラートと共に真っ赤なランプが走る。



「――ッ!?」


 朱莉が慌てて辺りを見渡すが、火災などの危険な知らせではない。ただの演出なのだろう。

 ただし。

 それは本来、チュートリアルで始動するものではない。代わりに、目の前には小さなウィンドウがポップアップしている。


「ソラ、これは……っ!?」


「起動と同時に『イベントモード』でバトル申請を申し込まれた……っ!? イベントとかロワイヤルとか関係なく、不正な手段で無理矢理にだ……っ。拒否したくてもYES以外の選択肢はグレーアウトしてやがる……っ」


 響くアラームが、朱莉とソラの不安と恐怖を駆り立てていく。だがそこでパニックになるほど、二人とも愚かではなかった。

 一度深く息を吸っただけで、この赤い空間の中で彼女は冷静さを取り戻していた。


「……ロワイヤルのホストに、わたしたちが横槍を入れようとしていることがバレた?」


「可能性はゼロじゃないけれど、どう考えても現実的じゃない。――それに、バレたことで俺たちを排除しようとするのなら、そもそも俺たちのロワイヤルプログラムを全体から切り離してしまえばよかったんだ。そうすれば俺たちはただの都市伝説だったって結論づけたはずだ」


「ってことは、不正ハッカーによる初心者狩りってところかな。自動マッチングのイベントでバトル申請なんておかしいし」


「……それでも、俺たちがプレイし始めると同時にバトル申請を送れるっていうのは不自然ではあるけどな」


 とは言え、考えていても進まない。このまま逃げれば不戦敗扱いで、ポイントを持たない朱莉たちはそのままイベント敗退となってしまう。それではソラのデータも消えてしまうだろう。

 それ以外に選択のない朱莉がYESのボタンをタッチすると、機体選択画面が現れ、夥しいアラートの群れはそこでピタリと止んだ。


「チュートリアルのデータを抽出、戦闘しながらソラが解説して」


「了解した、ご主人様(マスター)


 そう言いながら、朱莉は画面に表示された一〇〇を超す機体(アサルトセイヴ)を眺める。


「初期選択は解放状態に因らず一機自由に獲得、それ以外はストーリーモードで特定の条件を満たすことで解放されていく。――ただ、通常は選んだ機体をゲームで獲得するEXPで改修していくんだ」


 しかし、既に戦闘申請を受けたこの状態ではそれは出来ない。そもそもその機能が使えたとしても、使用するEXPを一ポイントだって持っていないが。


「……無改修で敵機に挑まなきゃいけないってことか。とにかく機体性能が高いアサルトセイヴをピックアップ」


「条件が曖昧で候補を絞りきれない」


「このゲーム、ソラは参加できる?」


「正式なシステムとして、パートナーAIが補助することが可能になってる。とはいえ、会話メインのAIじゃ並のCPUにも劣るから雰囲気重視だろうけど」


「ソラの演算能力なら問題ないね。検索条件にソラの補助を前提としたピーキーさを追加。たぶんそっちの方が性能差を埋めやすい。防御力より、機動力と攻撃力に重点を。――あとはソラの直感に任せる」


「最後の最後で無茶苦茶言うな、お前……」


 そんなことを言いながらも、ソラは指示に従って数件残った検索候補の中から一機だけを選択する。

 闇色の背景に、その蒼穹のような機体が映し出される。


 フェイスは騎士の甲冑をイメージしたような無骨ながらも凜々しさのあるもの。機体のシルエットそのものはそれに対し、かなりスリムに作られていた。青を基調としたその装甲の色は、どこか芸術のような美しさがあった。

 そして、背には一対の翼。まるで雲のように、あるいは天使のように、一切の汚れのない純白の翼をその機体はたたえていた。

 その付け根には、長短一振りずつの刀が。それこそがこの機体の最大の特徴なのだろう。その刀から発せられる威圧感は、歴戦の猛者が放つ殺気のようですらあった。


「ITS-GW10イクスクレイヴ。――これでいいんだね?」


「武装は右の対艦ビームソードのアスカロン、左の対セイヴビームソードのグラムがメインで、背中にある高推力スラスター翼が特徴。――要するに、近接格闘、機動力重視の機体だ。ネットで見ても『速すぎて扱いづらい』以外に悪評はない。その辺りは俺がカバーする」


ソラがそう宣言すると、朱莉は躊躇せずその機体を選択した。それはある種の、ソラへの信頼の表れだろう。

 やがてモニター一面がどこか薄暗い灰色の空間を映し出す。剥き出しの鉄骨とクレーンが吊るされていて、赤やオレンジのランプがあちこちに見える。ごぅんごぅん、とモニターの向こうから腹部に響くような重い音が聞こえてくる。

 もはやゲームとは思えないほどの臨場感(リアリティ)だった。――だが、ある意味でそれは当然なのかも知れない。

 撃破されればAIであるソラは死ぬ。それは本物の、生死を懸けた戦いだ。

 ごくり、と朱莉の喉が鳴る。

 不安を押し殺すみたいに、微かに震える手でぎゅっと操縦桿を握り締めている。


「……これは、工場?」


「というよりは格納庫だな。そのままカタパルトに繋がってる。――出撃シークエンスだ。シートに深く腰掛けて、疑似Gに備えること。頭上の三つの赤いランプが緑に変わったら、右のペダルを思いっきり踏み抜け」


「分かった」


 ソラの指示に従って、ランプが緑に点灯すると同時に朱莉は思いきりペダルを踏み込んだ。

 擬似的なGに身体を押さえつけられている間に、モニターに映し出された景色は一変した。

 射出されたのは、広域の市街地。

 乱立したビルの隙間を縫うように、蒼い巨体が地面へと降り立った。


 ビルの高さからして、機体の全長は一〇メートルほどだろう。メインスクリーンに映し出されている映像は、どうやらコックピットの位置ではなく頭部のメインカメラから映している――という設定なのだろう。

 そのメインモニターの左下には、自機の耐久値七七〇が表示されている。それが尽きたときこそ、AIという情報だけの存在のソラの死だ。

 緊張の糸が張り詰めていくのが、まるで見えるようだった。朱莉の眼光にも、ひりつくような鋭さが含まれている。


「戦闘開始は両機が射出されてから三十秒後。敵影は三〇〇メートル先のビルの向こう。気を抜くなよ? 相手は間違いなく俺たちより格上だ」


「分かってる」


 いつだって朗らかだった朱莉の表情が引き締められる。それだけ、この一回の勝負に懸かるものが重い。この千にも満たない数字が潰えたときが、ソラの(しょうめつ)となる。操縦桿を握る朱莉の手に、さらに力がこもる。

 モニター上部に移された三〇のカウントはみるみる数を減らしていき、〇へ。


 瞬間。

 ビルの後ろから黒い影が飛び出した。


「速い……ッ!」


「こっちも動かないと的だ。トリガーの左右前後で移動、右のペダルを二回踏めばスラストアクセル、いわゆるダッシュだ。スラスターゲージを消費するけど、着地で回復。だからスラストアクセルは断続的に」


「分かった」


 それだけの指示で、朱莉は紺碧の機体――イクスクレイヴで中空を駆る。

 グン、と彼女の身体がシートに押さえつけられる。あまりの速度に発生した疑似Gに朱莉は目を剥いていて、その間にイクスクレイヴはあらぬ方向へ飛んでいこうとする。


「踏み込みすぎだ」


 それをソラが上書きするように修正をかける。着地したイクスクレイヴは、まるで水面を跳ねる石のように狭い市街地を駆け抜けていく。

 だが、敵の方がプレイヤー歴は明らかに長い。近接格闘重視の朱莉が近づこうとするのに、その距離は全く縮まってくれない。


「敵機の情報を」


「名称はバルチャー、機動力、防御力、攻撃力どれも平均的だが、カタログスペックは狙撃が強力な射撃機体だ。装備は近接武装に乏しい」


「なおさら、距離は詰めておきたいね」


「こっちも牽制で射撃をした方がいい。左の武装をビームライフルに」


 ソラの指示とほとんど同時に、朱莉は動き始めていた。高速で市街地を掻い潜るように走りながら、イクスクレイヴは左手で腰のアサルトライフルのような形状の黒い銃を抜き払い、敵機へと狙いを澄ませる。――彼女の機体制御も既に問題ないレベルにまで仕上がりつつあった。おそろしく飲み込みが早い。その辺りにも、この年齢でハッカー、あるいはプログラマーとして類い希な才覚を発揮した片鱗が見えていた。


 とりあえず三度引き金を引いてみる朱莉だったが、放たれた緑色の閃光は、蛇行しながら距離を取る敵――バルチャーの左右をすり抜けて終わる。

 しかし、おかげで少しずつ距離は縮まっている。遠くにしか見えなかった敵機の容姿も、しっかりとカメラが捕らえていた。


 青とも緑とも付かない、そんなマントのような装甲に身を包んだ機体(アサルトセイヴ)だった。

 背には、巨大な刀と見紛うような狙撃銃が一丁装備されている。あれを抜き払われたら、未改修のイクスクレイヴでは一撃でどれほどの耐久値が削られるか、想像するのも恐ろしい。


 まだ互いにダメージはゼロ。距離も縮まらず、長期戦にもつれ込む――かのように見えた。

 先に変化を見せたのは、敵機のバルチャーだった。

 朱莉の牽制射撃を躱すと同時、腰から二丁の拳銃を抜き払い、その銃口をイクスクレイヴへと向ける。


「避けろ!」


 ソラの指示と同時、ロックオンされていることを警告するモニターのフレームが赤く強調される。朱莉が慌てて操縦桿を引いて後退させるが、僅かに間に合わない。

 二丁の小さな拳銃から放たれた十を超す薄紅色の光の連射の半分が、その蒼い装甲を抉るように貫いていた。


「――ッ!!」


 衝撃が小さな繭の中を駆け抜ける。

 ダウンを取られるほどのダメージではなかった。だが、それでも朱莉の長い金髪は酷く乱れ、思わず彼女が身を固くしてしまうほどの激しさだった。衝撃に足を取られそうになりながらも、朱莉は即座にビルに身を隠した。

 なんとか呼吸を整える朱莉の視線の先には、耐久値の数字があった。今の連射で一〇〇以上削られてしまっている。もしも全弾命中となっていたら――と想像するだけでぞっとする。


「基礎攻撃力が高すぎる……っ!」


「それが改修済みと未改修の差なんだろ……。機体性能もプレイ経験も、完全に向こうの方が何枚も上手だ。悪いが、これはちょっと厳しいぞ」


 素の機体のスペック差はあるが、それを埋めるための改修というシステムだ。どれだけ高性能のアサルトセイヴを選んでも、未改修という時点で明らかに出遅れてしまう形になる。勝機は限りなくゼロに近い。糸より細い極限しか、その未来へ繋がっていない。


 ――そして。


「ソラの機体操作全システムへのアクセスを許可」


 朱莉は突然、そんな無茶苦茶なことを言い出した。


「……は?」


 ソラも思わず、間抜けな声で聞き返すしかなかった。ASCに繋いだ影響か何かで自身の聴覚に不具合が生じたのではと、半ば本気で疑ったほどだ。


「ソラにもこの機体(イクスクレイヴ)の操作をしてもらう」


「馬鹿言うなよ……っ。俺はただのパートナーAIだぞ。ユーザーの体調やスケジュール管理がメインタスク、会話の構成力や理解力に性能を全振りしてるんだ。アシストならまだしもゲームの操作なんか出来ねぇよ……っ」


 ソラが声を荒げる。それも当然だろう。だというのに、朱莉はいっそ冷たいとさえ思える声音で、その否定を却下した。


「それはこのゲームのCPUレベルに到達してないっていう意味でしょう? 逃げるだけならソラにも出来る。初心者のわたしでも、スラスターゲージの管理をしながら飛び回るくらいは出来たもの」


 それは、度が過ぎるほどの信頼だった。

 どんな端末を用意したところで、所詮は基幹となるデータが会話AIのものだ。格闘ゲームを上手くこなすようには出来ていない。そんなこと、彼女だって分かっているはずだ。

 それでも、彼女はそれを無視した。それが勝つための必要条件であることも理解しているからだ。


 だから、ソラに出来ることは一つだけ。

 可能性を否定するのではない。ただ、朱莉の言葉に応えること。

 その為だけに、ソラというAIは存在するのだから。


「……了解した。けどそもそも、俺が操作してどうするんだよ」


「わたしの頭に、必要な情報を暗記(インストール)する」


 一言。

 まるで、切り捨てるみたいに鈴葉朱莉は宣言した。


「ASCの操作方法、このイクスクレイヴの全武装の攻撃力、リロード時間、ダメージ計算式、コンボの入力、スラスターゲージ量から最高速度、隙となる硬直時間。そのほか全ての情報を叩き込む」


「……正気かよ」


「それくらいしないと、経験の差を埋められない。ただ、たぶんそれをしてると相手へのリアクションが疎かになる。その辺りをソラに任せたい」


 それは間違いなく賭けだった。

 第一、ソラがイクスクレイヴを操作したとしても、果たしてバルチャーの攻撃を掻い潜れるか。掻い潜れたとして、朱莉がただ情報を頭に入れただけで、それを動きに落とし込むレベルにまで昇華できるか。

 どちらの可能性も低い確率だ。それを掛け合わせるのだから、数値は著しく小さいものになってしまう。


 だが。

 もうそこにしか活路がないことを、それだけが糸より細い極限であったとしても残っていることを、ソラの演算能力は気付いてしまっている。


 覚悟を決めるのは、ソラだ。

 朱莉がソラを信じたように、ソラもまた、朱莉に信頼を寄せる。そこにあるのは数字の計算などではない。言葉にならない、しかし確かに存在する絆、心だ。


「……了解した、ご主人様(マスター)


「ありがと。――機体全情報をサブスクリーンに表示。チュートリアルや、表になっていない情報も攻略サイトから抽出してリストアップ」


「任せろ」


 応え、即座に膝元のスクリーンに無数の情報を表示させる。朱莉の眼球だけが恐ろしい速度で、表示された文字列や数字の一言一句に這うように動き回っている。ブツブツと何かを呟きながら、その二次元の羅列、情報の海へと没していく。

 あぁなった朱莉を止められないことを、ソラは十分に知っている。だからこそ、彼が為すべきは他にある。


「――来るぞ!」


 ロックオンアラートより早く、ソラはイクスクレイヴを走らせる。同時、背にしたビルが砕け散り、その背の翼を掠めるように無数のビームの銃弾が抜けていく。

 放たれる銃弾の嵐を掻い潜りながら、ソラはバルチャーとの間合いを一定に保つ。頭が焼き切れそうになるのを自覚しながら、しかし処理落ちなどを起こしていられる時間もなく、徹底して最小の労力のみで敵機の動きを解析、予測し、回避し続ける。

 それはさながら、演舞のように。

 バルチャーの射線を翻弄しながら、蒼の機体は大地を駆ける。


「――反撃に出るよ」


 うつろな目で、未だ視界の半分を膝元のサブスクリーンに落としながら、朱莉は淡々とそう言う。彼女が操縦桿を引くと同時、イクスクレイヴは背のアタッチメントから二本の大剣を抜き払った。


 右手には、ほとんど機体の全長と変わらない巨大な片刃の剣――アスカロンを。

 左手には、それよりもやや短く重々しい両刃の剣――グラムを。

 どちらも刃の部分がえぐれていたが、イクスクレイヴが構えると同時、そこに緑のビームが照射、反射され、絶対切断の刃と化していた。


 背の純白の翼が、甲高い唸りを上げる。

 未改修であろうとその機体性能は群を抜いている。それも、機動力という一点においては間違いなくトップクラスだ。

 一瞬にして間合いはゼロへ。

 両の刃が煌めく。

 振り下ろされる斬撃は、まるで空間すら両断するかのように鋭く、バルチャーのそのマントのような藍色の装甲で火花を散らす。

 右のアスカロンの袈裟切りから始まる五連撃。締めの二刀による同時の斬撃を叩きつけると共に、バルチャーはアスファルトの大地へと沈んだ。

 ほとんど完璧な形でのコンボヒットだった。しかし、朱莉の顔には少しも笑みは浮かんでいなかった。


「――まだ浅いか……」


 見れば、敵機の頭上に表示されている耐久値バーはまだ八割以上を残している。自機と違い明確な数字が分からないが、割合としてはイクスクレイヴもバルチャーも並んだ形になる。


 ただし。

 サブウェポンでしかも半数しかヒットしていないイクスクレイヴと、主武装の最大威力の攻撃を受けたバルチャーとが、だ。

 体感や期待値ではない。明確な数値として、機体性能に絶望的な隔たりがある。

 しかし、鈴葉朱莉はそんなことを考えてはいなかった。


「……イメージより操縦の手が十フレーム以上遅れてる。下方修正は必須。ダメージ計算式から逆算すれば、相手の耐久値は一〇〇〇程度。一撃のダメージよりもっとフレーム数の少ない攻撃で手数を稼いで――……」


 小さく呟きながら、朱莉はさらに先を見据えて情報を貪り続ける。

 無数の情報を頭に入れ、それを実際の行動に出来るまでに落とし込んでいる。まるで飢えた獣のように、それ以外――敵機の動きにすら意識の焦点が合わせられていないようにすら見えていた。

 ダウンから起き上がったバルチャーがすぐさまその小銃を抜き払う。ダウン中から回復直後は無敵判定を得る。だからこそ、そこで反撃に打って出るのはおそらく定石だろう。


 ただし。

 それは、鈴葉朱莉が相手でなければ、の話だ。


 その場で動かず、イクスクレイヴが左前腕で顔を覆う。同時、そこから放射状に光が伸び、放たれた薄紅色の閃光はその上を滑るように逸らされていく。

 シールドガードをこの至近距離で行えば、攻撃後の隙より防御後の隙の方が回復が早まる。たとえステップでキャンセルしようとしても、そもそも人間の動きがそれに間に合わない。

 それを偶然でも何でもなく、計算によって確信していた朱莉は、即座に反撃へと移る。

 右の大剣(アスカロン)の切っ先が陽光を返す。

 ほんの刹那、しかし確かに、イクスクレイヴの刺突がバルチャーの胸を突き刺す。カメラの前で迸る火花と共に、敵機の耐久値バーはみるみる削られていく。さらにそのまま左に薙ぎ払って吹き飛ばし、敵機を再度灰色の地面へと沈めてみせた。


「――――…………」


 攻撃を当てるだけではない。反撃の手すら朱莉は封殺した。その腕前は、ほんの数分前に初めてプレイしたとは思えない。だがそれでも彼女は満足しない。なお貪欲に、さらに情報を集めながら自身すらプログラムとして、最適化を施していく。

 一方的だった。

 迸る火花は全てバルチャーの装甲から。武器を持ち替え袈裟切りから始まる三連撃も、居合から始まる十連撃も、バルチャーの決定的な隙を突いて全てを叩き込んでいく。もしもこれがゲームでなければ、今頃は鉄くずと成り果てていただろう。

 機体性能もプレイヤースキルも、経験すらも関係ない。

 鈴葉朱莉の頭脳は、そんな些細なものを凌駕してしまう。

 いっそおぞましいとさえ思うほどの成長速度。修羅か何かと見紛うその勝利への執念に、所詮は機械でしかないソラでさえ、身体もないのに身震いしそうになる。


 ――だが、それも完全ではない。

 たった一手のミスだった。

 ワンテンポ、相手の動きを読み違えた。――しかしそこを見逃してくれるはずもない。スラスターゲージ管理を誤り地上で動けなくなったイクスクレイヴの全身に、一〇発の太い光の弾丸が叩き込まれる。

 ただ座っているだけのことが困難になるほどの衝撃が繭を襲う。小さな悲鳴が朱莉の口から漏れ、メインモニターには酷いノイズが走る。


 見れば、今の一撃で耐久値を三割以上を削られている。残り耐久値は、ちょうど半分。

 それはつまり、ソラの死にまで折り返したことを意味していた。

 どくりと、冷たい何かがソラの中を流れる。――それが恐怖と呼ばれるものであることを、まだ彼は知らなかった。


「……っ」


 下手を打てば、次の一撃で残りの耐久値全てを消し飛ばされかねない。もう安全圏の勝負ではなくなった。

 ――だが。

 相手の機体に動きはない。

 ダウンを取った後、その回復後に上手く立ち回るためには適切な位置取りがある。それをする気配が全くないのだ。

 ()()()()()()()()()()()


『――やっぱり、化け物ですね』


 インカムを通じての通信だった。

 まるで少女のような声だった。透き通るようなメゾソプラノ。マイクで分解され、スピーカーで合成されたその無機質な音の波を、しかし聞き間違えるはずがなかった。

 知っている。

 ソラも、朱莉も、この声の持ち主を。


「な、んで……」


 掠れたような声が漏れる。それはソラのものだったか、朱莉のものだったか。

 ただ、()はその曖昧な声に応える。



『邪魔をしないで下さい、()()()()



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