第一章 白き翼 -4-
翌朝、午前六時三十分。
スリープから目覚め、タブレットのカメラを起動したソラは、いつもと違うことに気付いた。
部屋が、白い。
一瞬それが何なのか理解できなかったソラだが、すぐに気付く。既に照明が点いているのだ。
「ん? あ、ソラも起きたみたいだね。おはよう、ソラ」
そしてソラの視線の先で、寝間着から部屋着に着替え終えている朱莉が、湯気の立つコーヒーを片手に机に座ってディスプレイを眺めている。
「あ……」
「あ?」
「あ、朱莉が自力で起きてるぅぅぅううう!?」
「そんなに全力で驚くようなこと!?」
心外だと訴える彼女だが、ソラが朱莉のパートナーAIになってからのこの十年間、彼の助力なしに彼女が起床した日など一日だってありはしない。何なら昼寝でさえソラが起こしていたくらいだ。
「どど、どうした、体調でも悪いか!?」
「いやいや、そういう訳じゃないし」
「夏休みに早起きとか正気か!? まさか嵐が来るとか!?」
「なんでAIなのに迷信めいたこと言うかな……」
一人慌てふためいているソラに対し、朱莉は半ば以上に呆れた様子だった。
「なんとなく、目が覚めちゃったの。だから、適当にアルバムを漁ってただけだよ」
そう言って、朱莉はディスプレイを回転させ、充電器に挿したままのソラが滞在しているタブレットへと向ける。
そこにあるのは、幼い頃の朱莉の写真だった。
一緒に写る親の姿は、ない。
「お母さんは早くに亡くなっちゃったし、お父さんはわたしに興味がない。高校生になった今じゃ、お金だけ送って完全に放任してる。まぁお金は自分で稼いでるから手つかずだけど」
だから、彼女はずっとひとりぼっちだった。親の愛というものを、彼女は十分に受けて育つことが出来なかった。
しかし。
写る写真のどれもが、嘘偽りない無邪気な笑顔で満たされていた。
「だけど、わたしにはソラがいてくれた」
「朱莉……」
「人から見たら、不幸せなのかも知れない。歪なのかも知れない。だけどやっぱり、わたしはソラが大好きだから」
それはきっと、昨晩の答えだった。
続く言葉を、ソラはただ黙って待った。
「――……大好き、だから……」
彼女の声音が、不安に満たされていく。
どれだけ対策を重ねようとも、格闘ゲームで勝率を一〇〇パーセントには出来ない。もしも敗北してUITのデータが全て消去され、ソラすら初期化されてしまったとしたら。
その瞬間を想像して、彼女は怯えているのかも知れない。
けれど、彼女はそこで止まらなかった。
「――他の人もきっとそうだって思うから。だから、こんなゲームは絶対に止めなくちゃいけない」
それが、彼女の答え。
所詮はデータ。疑似ニューロンなんてものを用意しても、辿っていけばそれは0と1の世界。無機物よりもよほど冷たい、ただの二文字の羅列だ。
そんなことは彼女だって分かっている。分かった上で、それでも、それは意味ある物だと、価値ある物だと断言してくれる。
「……ただし、プレイは最小限に。なんとしてでもそのマスターに接触して、データを引っこ抜く」
「その辺りは頼りにしてるよ、ご主人様」
「うん。――絶対に、ソラも消させたりしないんだから」
決意を胸に、朱莉は小さく拳を握り締める。
不安の何もかもを飲み下す。どれだけ恐怖に足を絡め取られようと、正しいと思ったことを遂行する。彼女のそういう正義感を、ソラは心の底から誇りに思える。
そんな中だった。
くぅ、きゅぅう――……
と。
なんとも可愛らしい、今にも消え入りそうな音をマイクが拾った。
「……聞こえた?」
「主張の激しいお腹だことで」
「ソラ!」
顔を真っ赤にして怒る朱莉に対し、ソラはからからと笑うばかりだった。
「まずは飯にしよう。行動に出るのはそのあとだ」