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終章


 白く、狭い繭の中だった。

 画面は黒く染まり、ただ電源が入れられただけの液晶はほのかに彼女の顔を照らしている。

 全て、全て終わっていた。


『センパイ……』


 夏樹の声がインカムから聞こえてくるけれど、それに応えるだけの気力すら湧いてはこなかった。


 ――なんでこんなことになっているんだろう。


 そんな風に、どこか現実逃避気味にしか状況を認識できなかった。タブレットを見やっても、それは死んだように動かない。――その中にいたソラという人格は、先の戦闘の最中に燃え尽きてしまった。

 本当は、ロワイヤルプログラムなんてどうだって良かった。

 ソラがいてさえくれるのなら、他の誰のAIが消えようが朱莉には関係ない。ルナがどんな悪事を働こうが、ユウを失った綾城美海がどれほど失意にくれていようが、そんなことはどうだっていい。

 けれど、彼女はそれでもイクスクレイヴに乗った。

 ただ、胸を張ってソラの傍にいたかったから。

 そんなちっぽけな理由のために、朱莉は戦っていたのだ。


 ――その果てが、これだ。

 本当に大切なものだけが滑り落ちて、どうでもいいオマケだけが掌の上に残っている。


「こんなの、違う――……」


 こんなものは、朱莉が求めた未来ではない。こんな世界は間違っている。

 ひやりと、背中に冷たいものが突きつけられるようだった。胸の奥のさらに奥、きっと心のあるその場所が、締め上げられるように痛んだ。

 だから鈴葉朱莉は押しやったキーボードを引き寄せて、がむしゃらにそれを叩き始めた。鳴り止まないその音は、どこか、走る足音にも似ていた。

 ASCの画面を映し出すことしか出来ないはずの黒い画面に浮かんでいるのは、白い文字の羅列だった。英語と数字、記号だけのその文字列は、とあるAIのプログラムそのものだ。

 記憶も人格も、何もかもがその羅列に集約されている。疑似ニューロンなんてものに組み込まれていながらも、所詮はただのプログラムだ。あまりにも複雑で、おおよそ一人の人間には解析しきることの出来ない領域だとしても。

 そんな難攻不落の情報の塊を前に、ただ朱莉は持てる知識を総動員してソラの人格の復旧を試みていた。


「だめだよ……っ」


 心を殺すように、彼女はそう口にした。そうしなければ、背後に迫った悲しみに、身も心も押し潰されてしまいそうだったから。

 逃げていた。

 鈴葉朱莉は、ただその現実から逃げるためだけに、心を鎖す代わりに作業に没頭しようとしたのだ。

 エンターキーを押すたびに画面にはエラーが表示される。可能性一つ一つが潰されていくみたいに、朱莉の手ではソラを呼び戻すことは叶わないのだと、そう突きつけられていくみたいだった。

 けれど、手は止まらない。


「わたしは、ソラがいないと駄目だよ……っ」


 引き離したはずの悲しみが、次第に朱莉の背後にまで忍び寄っていた。

 視界が滲む。

 指先が震えて、タイプミスが増えていく。

 心が折れそうになる。もう無理だと、もう彼を取り戻せないのだと、そんな現実が朱莉の何もかもを背から呑み込んでいく。

 ぽろぽろと落ちた滴は手の甲を塗らして、手の力を吸い取っていくみたいに鈍らせていく。

 カタ、と。

 最後にキーを叩いて、もう朱莉の手はそれ以上動かなくなった。

 冷たい悪魔みたいな何かが、逃げ惑う朱莉に追いついてしまったのだ。


「……本当は、もういい加減独り立ちしなきゃいけないって、分かってるよ……っ」


 涙を零しながら、固く拳を握り締めて嗚咽を堪えて、ぐちゃぐちゃの顔で朱莉は叫んでいた。


「ソラに頼ってばかりじゃ駄目だって。そんな当たり前のこと、わたしだって分かってる。……だけど、だけど……っ!!」


 涙をぼろぼろと振りまいて、金色の髪をぐしゃぐしゃに振り乱して、鈴葉朱莉は小さな繭の中で叫んでいた。


「まだ一緒にいたいよ! あなたが、言ったのに……っ! ずっとわたしの傍にいるって! ソラが誓ってくれたのに!!」


 喉が裂けそうなくらい目一杯叫んで、残響がコクーンの中を震わせる。

 プツ、と。

 そんな音を、朱莉は聞いた。


「……、」


 涙に濡れる目を拭って、画面を見る。

 それはまるで、奇跡のように。

 白い文字の羅列、別のAIに書き換えられていたそれが、ゆっくりと、しかし確かな速度でまた上書きされていく。


「ソ、ラ……?」


 呼びかけに答えるように、それは加速度的に上書きし続けていく。もはや動体視力の限界を超えるような速度で、画面の文字列はスクロールと共に書き換えられ続けている。

 そして、止まる。

 荒れ狂う嵐のようだった白の奔流はピタリと止んで、やがて電源を落とすみたいに消えた。

 じじ、と炎が空気を焼くみたいな音がした。

 タブレットに明かりが灯る。

 燃えるような熱さと共に、また朱莉の視界が滲んでいく。


「――……初めて会ったとき。機械みたいだなって、思ったんだ」


 聞き馴染んだ、誰よりも、それこそ親よりも聞いた声だった。

 ぼろぼろと零れる涙を止めることもせず、鈴葉朱莉はただ嗚咽を漏らし続けていた。


「だから、俺は支えになりたかった。支えになれて、十分だった」


 そんな優しい声を、いったい、どれほど待ち焦がれただろう。


「終わったはずなんだ。もう、お前は十分すぎるくらい優しい人間になったのに。もう、俺の役目なんてないはずなのに」


 小さく、首を横に振る。それくらいでしかもう朱莉は彼に答えられない。それほどに、感情が溢れすぎていてどうにもならなかった。

 だけどさ、なんて言って、彼は続けた。


「――……改めまして、我がご主人様(マイマスター)。俺の名前はソラだ。――そして」


 そして、彼は朱莉の胸へと戻ってきてくれた。



「今までも、これから先も。俺は何があっても、君の傍にいたいよ」



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