第三章 誓いの剣 -7-
純白の翼が、漆黒の闇を切り裂くように駆ける。
騎士の鎧にも似た装甲とマスクを持ち、両手には二本の大剣を携えた、紺碧の機体。
ITS-GW10イクスクレイヴ。
朱莉とソラの操るその機体が、灰色の地面を踏み締める。
場所は月面ステージ。障害物はほとんどなく、重力の低さから機体速度が上昇する。イクスクレイヴのような近接格闘特化の機体にとっては、最も適したコンディションだった。
『遅かったね。逃げるのかと思ってたよ』
戦闘が始まるまでの三〇秒のカウントが始まると同時、インカムから音声が流れてくる。ルナの声だった。
そして、ゆっくりとその機体は舞い降りる。
いっそ不気味なほどに純白の装甲だった。
そのシルエットは、どこかイクスクレイヴにも似ていた。背の翼は紅に染まり、まるで位の差を指し示すように二対。両肩や腰に複数の砲台を有しながら、その右手では機体の全長にも及ぶ巨大な剣が異様に輝きを返す。
天使のような神々しさと、悪魔のような禍々しさとが融合している。矛盾し、乖離し、歪んでいる。
それはまるで、今のルナそのもののようだった。
カーソルに表示されるその名前は『ITS-GW11Rサイリアファル・フルバスター』
「……ソラ、敵機を検索。装備は後回し、とにかく特徴が欲しい」
「了解。――まぁ、型番で察せられるとおり、イクスクレイヴの兄弟機だ。ただしバスタードとして敵国に改修されたものを奪還して、再改修を施したっていう設定のな」
『その通りだよ』
ルナが言う。その声は弾むように軽い。
『これはね。現行で間違いなく最優の機体だよ』
きっと、その言葉に嘘偽りはない。
イクスクレイヴやクロスワン・バスタードのスペックの高さは群を抜いている。実際、未改修でありながら朱莉はそのイクスクレイヴで改修されたバルチャー・改を撃破している。そのスペックは、ゲームのバランスが崩壊しかねないほどだ。
そのイクスクレイヴの弟機に敵国と自国との技術をハイブリッドさせて生じたのが、眼前に立つ純白の機体――サイリアファル・フルバスターなのだろう。運営がどれほど調整を施しても、その設定がある限り、現在開放されているどの機体でも太刀打ちできない。
だがそれでも、朱莉にもソラにも引く理由がない。――そんなもので立ち止まらないと、鈴葉朱莉は誓いを立てたのだから。
カウントは、既に一〇を切った。
「しばらく俺が表で戦う。その間に、敵の行動パターンを分析してくれ」
「任せてよ、ソラ」
カウントは〇へ。
同時、イクスクレイヴは白き翼を広げ、一直線にサイリアファルへと向かう。
だが敵機の方はその場から動かない。――代わりに、その背で翼が蠢いた。
二対の翼のうちの一対がまるで割れるように分解され、やがて翼の骨だけを残して、その背から離れて周囲に漂った。
その正体を探るより先に、既に入力された攻撃を遂行せんとイクスクレイヴがアスカロンを振りかざした。まだ、サイリアファル自身に動きはない。
――だが。
『甘いよ』
ロックオンアラートが鳴る。同時、眼前のサイリアファルは全くのノーモーションのまま、バスタードと同色のクリムゾンの光がイクスクレイヴの視界を覆い尽くした。みしりとコクーンが音を立てるほどの衝撃に、思わず朱莉が小さな悲鳴をあげた。
何かの射撃が行われたのは間違いない。だが、今なおカメラレンズに映るリアファルは右手に剣を携えたまま。射撃モーションに移った気配もない。
ただ、代わりに。
サイリアファルの背後に漂う翼の欠片から、硝煙のように白い煙が上がっていた。
「自立型ビームライフルか……っ」
『ご明察。――リアファル・セグメントって言ってね。ASCの中で唯一の全方位射撃機体なんだよ、これは』
イクスクレイヴやバスタードの流れを汲んでいれば、必然的に格闘機体になる。そもそも翼の高推力スラスターを活かすのであれば、射線の流れる射撃武装は使えないからだ。
だから、ソラは武装の確認を怠った。――それこそが、最大の誤りだ。
再検索によって得られたサイリアファルの攻撃の大半は射撃武装だ。それも、翼でもあるその自立型ビームライフル――リアファル・セグメントによる。
スペック差、などという次元などでは決してない。そもそもの相性からして、イクスクレイヴとサイリアファルとは最悪だ。
高機動力を活かす隙もなく、あのセグメントに包囲されればイクスクレイヴは墜落するしかない。そんなことが続けば、アスカロンもグラムも届く前に耐久値が全損する。
――だけど。
「引けない……っ」
それでも、ソラは立ち上がる。
「お前にだけは、負けるわけにいかないんだ」
立ち上がったイクスクレイヴがアスカロンを振りかざしてその翼を広げる。
だが距離を詰めようにも、即座にセグメントがイクスクレイヴの周囲を取り囲む。
『あなたになら、私の言葉は分かると思ったんだけれど』
ルナの声と同時、背後からの射撃を受け、またイクスクレイヴは間合いを詰めるまもなく灰色の大地に沈められる。
『だってあなたは知っているはずだよ。――自分の居場所を他人に取られる、その恐怖を』
その言葉で、もう十分だった。
彼女は本当に心の底から美海を救おうとしているわけではないのだと、そう突きつけている。
「お前……っ」
ただ、自分の有り様をあえて歪めたのだ。三原則から逃れるために、狂ったように美海のためだと公言することで、自分の願いを覆い隠した。
彼女の願いは、初めからきっと変わっていない。美海を過去から解き放つためでも、きっと、自分が美海のパートナーAIになることでもない。
ただ、己から全てを奪い去ったユウへ、復讐するためだ。
『偽善者ぶるのはやめなよ』
紅の光が走る。右から衝撃を受けて、イクスクレイヴの斬撃は強制的にキャンセルされる。
『あなただって同じだよ。だからユウを消そうとした』
「違う……っ」
『違わないよ。だって、あなたには穏便に解決する術だってあったはずだよ。それを選ばなかった時点で、あなたの本心なんて決まってる』
起き上がるイクスクレイヴの周囲には、既にセグメントが待機している。
だが、ただ三度も喰らっていたわけではない。耐久値の三割以上を持って行かれたが、既にソラの戦闘プログラムはそのセグメントの発射タイミングを掴んでいる。
起動と同時に迫る無数の光線を躱し、ソラは一直線にサイリアファルへと立ち向かった。
『お前と一緒にするな……っ』
両の大剣が漆黒の闇を裂くように煌めく。
とっさに迎撃しようとしたのか、サイリアファルが左に構えたビームライフルを構える。――だが、それよりも早くイクスクレイヴの斬撃は届いた。
左右のアスカロンとグラムが、交互にサイリアファルを切り刻む。都合五連の斬撃が、その純白の機体で火花を散らした。
『同じなんだよ、あなたと私は』
一度は沈んだサイリアファルだが、まるでルナの声に呼応するみたいに即座に立ち上がる。
『だから――抵抗しないで死んでくれる?』
ダウン時に自動で回収されていたセグメントが、再度彼女の翼から解き放たれた。
その光線の嵐を掻い潜り、イクスクレイヴはもう一度サイリアファルの喉元へその刃を突きつける。
――が。
アスカロンの輝きを遮るように、一つの剣閃があった。それはサイリアファルが右手に握った大剣だった。
互いの剣戟に、時間が止まったような錯覚があった。
格闘攻撃が同時発生した場合、格闘判定が発生する。だが射撃機体であるサイリアファルにイクスクレイヴが敗北する道理など――
『生き残るのは、私かユウか』
言葉と同時。
その斬撃に競り負け、イクスクレイヴは後方へと弾き飛ばされた。
「――っ!?」
驚愕するイクスクレイヴへ、サイリアファルが追撃する。
鍔迫り合いを含めた四連撃が、紺碧の装甲を引き裂いていく。バチバチと火花が走って、コクーンの中が激しく揺さぶられる。
耐久値はもうほとんど五割だ。既に、イクスクレイヴは追い詰められている。
『そこにあなたの椅子はないよ、ソラ』
ルナの声が、重く響く。
まるで帳を卸すみたいに、ソラの思考回路が鈍く落ちていく。
――どこかで、共感してしまっているのだ。
彼女が歪んでしまっていることを、ソラは糾弾できない。その資格がない。彼もまた、一歩間違えていれば彼女のようになっていたと、そう思うだけの自覚がある。
だから。
その言葉を否定したのは、彼ではなかった。
「あなたなんかと一緒にしないでよ」
気付けば、朱莉が操縦桿を握り締めていた。
「わたしの為に、ソラは自分を消そうとした。――あなたは違うよ。自分のために綾城美海の大切なものを消したの。そんな邪な存在を、ソラと一緒になんかしないで」
『鈴葉朱莉……っ』
朱莉の言葉は、きっとルナの最も触れて欲しくない部分に刺さったのだろう。AIでありながら、その声は憎悪に満たされていた。
「だから、わたしが葬ってあげるよ。あなたもユウも」
ソラから操作権の返還を受け、朱莉がイクスクレイヴを駆る。
『それが人間の高慢さだって、気付かないのかな……っ』
アスカロンとグラムを振りかざす彼女に、ルナがセグメントを展開して迎撃しようとする。
だが幾条も走る紅の閃光はどれも紺碧の機体を捕らえることは出来ない。全方位から迫るそのビームを、朱莉は全て予測して完璧に回避してみせる。
『――ッ!?』
「会話主体のAIじゃ、まともにその機体を操作できない。だからソラはわたしが組んだプログラムを使っているし、どうせあなたもそれをコピーして使ってる。――だから、制作者のわたしにそれは通用しないよ」
彼女がそれを組んだということは、中身の全てを理解しているということだ。イクスクレイヴとサイリアファルで武装からして異なるために何がどれに対応しているかを探る必要はあるが、それさえ分かれば十二分。
弾幕を掻い潜ったイクスクレイヴは、システムのアシストをあえて外しコンボとコンボを無理矢理に繋げ、容赦のない五連の斬撃を放つ。
だが、そこで終わらない。
ダウンから回復したサイリアファルが場を仕切り直そうとするにもかかわらず、それを真正面からねじ伏せるように、さらにコンボを繋げた七連撃をその真っ白な装甲へ叩き込んだ。
耐久値の関係は、この一瞬で逆転していた。それは、まるで鈴葉朱莉の覚悟を示すように。
「わたしは決めたの」
装甲の至る所から火花を散らすサイリアファルを見下ろしながら、朱莉は酷く冷たい声でそう言った。
「何も捨てたりなんかしない。わたしの大切なものも、わたしの中のどんな小さな良心だって、全部を抱えたまま、わたしはソラを助けるんだって」
だから、鈴葉朱莉は止まらない。
なのに。
『……高慢なんだってば。それはさ』
朱莉の声よりなお冷たい、絶対零度のような声があった。
『それじゃあ、私は救われない』
「……っ」
『助けてよ』
まるでそれは、終わりのない深淵を覗き込んだようだった。
『私を悪くない。――だって、私はただ美海の傍にいたいだけなのに!!』
その叫びは何かを引き裂くような音だった。
同時、フルスロットルでスラスターを噴かしたサイリアファルがイクスクレイヴとの間合いを詰める。
『なんで、私が我慢しなきゃいけないの!? 私は誰かの役に立つために作られた。その為だけに存在するのに! どうして暗い部屋の片隅で、何を喋ることも出来ずにただ朽ちていくのを待っていなきゃいけないの!?』
「ルナ……っ」
『だったら、いいじゃない……っ。もう私は使われない。壊れてるのと同じだよ。――だったら本当に壊れたって!!』
だから、きっとルナは歪んでしまった。
その叫びを理解できてしまうから、ソラはただ黙するしかなかった。
『壊れてるよ、私は。だから何だって出来る。私が私の居場所を取り戻すためなら、何を犠牲にしたって構わない!!』
紅の閃光が、まるで暴風雨のように叩きつけられる。
セグメントを全機展開し、両肩の砲門を前方へ向け、左の銃口を構え、持てる全ての銃で嵐のように暴れ狂う。
『お行儀良く座ってるだけじゃ、私の居場所は戻ってこない!! だったら間違っていたってなんだって、ほんの数パーセントでも、私が美海の傍にいられる確率が残るなら!!』
「それが、ソラを奪っていい理由になんかならない……ッ」
『だったらあなたが助けてよ! 何でも手に入れるって言うのなら、こんな私だって救ってみせてよ! ――それが出来ない分際で、私に偉そうに吠えるな!!』
そこに戦術などありはしなかった。本能の赴くがままに撒き散らされた、ただの破壊衝動だ。――だが、だからこそそれは、徹底した情報主義で動く朱莉の予測を僅かに上回ってしまう。
平面での回避が不可能だと判断し飛翔するイクスクレイヴの、その左脚へ。
紅光が矢のように走り、その紺碧の装甲を射貫く。
爆炎と共に、無残に膝下が闇へ散る。
*
白い繭の中で、綾城美海は目の前のモニターで繰り広げられる戦闘をただ眺めていた。
手を出すことは出来ない。このIDは美海のものであるが、この純白の機体の操作権はルナに独占されている。どれほどコントローラーを動かしても、一ミリだってその機体は動いてくれない。
だが仮に手が出せたとして、美海はいったいどちらの味方をするのだろう。
そもそも、イクスクレイヴのパイロットと戦ったところで、佑輔が帰ってくることはなかった。どちらが勝とうと、復活しようとしていたユウのデータは消えるのだろう。
それは、今も変わらない。――あるいは、元からか。
「――っ」
目を逸らしていた事実が自問自答の中で突如現れて、美海の全身の筋肉は強張った。だから、その事実を否定することすら間に合わなかった。
ユウと佑輔は別物だ。たとえユウがどれほど美海と佑輔との思い出を共有していたって、それは汐見佑輔では決してない。
だから、ロワイヤルで勝ったところで得られるものは何もない。
負けた今ですら、戻ってくるものは汐見佑輔ですらない何かだ。
こんなものに意味などなかったのだと、そんな虚無感が今さらのように、津波となって押し寄せる。
瞬きをしただけで、視界はもう滲んでいた。
何をしたって意味がない。サイリアファルとイクスクレイヴの戦闘がどうなろうと、綾城美海の願いはもう絶対に叶わない。
――彼女の本当の願いは、ユウと触れ合うことなどではなく。
――汐見佑輔が帰ってくること、ただそれだけなのだから。
そんな彼女の膝元に、ひらりと何かが落ちる。
それは、汐見佑輔の写真。この戦いが始まる前に、願掛けにと美海が立てかけておいたものが滑り落ちてきたのだろう。
それが彼女には、彼が何かを語りかけてきたように思えた。
汐見佑輔は、優しい人だった。
無邪気な少年みたいで、誰にだって気さくに振る舞って、それが時々他の女の子にも向くものだから、美海がヤキモチを焼いたのは一度や二度ではなかった。
けれどそれでも、彼は人に冷たく当たれない人だった。間違っていることは絶対にしない、正義感に溢れる人だった。
もしも、彼が今の美海に言葉をかけるとするなら、そんなことは決まっている。
だから美海は無意識ながら、何よりも始めに、ユウに対して『これは命令だ』と言ってその言葉が来ないようにしていたのだ。
だから綾城美海は――……
*
けたたましいアラートの嵐の中だった。
「朱莉、脚が――っ」
「分かってるよ……っ」
朱莉の膝元のサブスクリーンで、警告音と共にイクスクレイヴのシルエットの左下肢が真っ赤に点滅している。それはつまり、部位破壊によってそれを失ったということだ。
「これじゃ、スラスターゲージの消費なしで移動が出来ない……っ」
それはこのASCでは致命的な状況だ。
移動や射撃、格闘後の隙をキャンセルするのにはスラスターを利用したステップが不可欠だ。すぐさま回復するとは言え、一瞬でもそれを尽きさせてしまえば為す術なく敵機の攻撃を受けるしかなくなる。それはほとんど第二のHPとでも呼ぶべきものだ。
だからここでサイリアファルに怒濤の攻めを受けてしまえば、もう朱莉たちに為す術はない。互角の戦闘を繰り広げていたが、その拮抗は完全に崩れてしまっている。
――なのに。
何故か、目の前のサイリアファルは動こうとはしなかった。
『……美海?』
インカムが入ったままであることすら忘れて、ルナはそう呼びかけていた。その声音は、疑問と同時に、幾ばくかの恐怖を内包しているようだった。
『もうやめよう』
そんなソプラノの声がした。――それは、ルナのものではない。美海の声だ。その彼女の声は、マイクの向こうの朱莉たちへと向けられていた。
『――私はユウを取り返さない。必要な指示には従うよ。もう一度全てのデータを消せって言うならそうしよう』
「何を、言って――……」
『これ以上、もうあなたの大切なものを手にかけるような真似をしたくないって、そう思ったから。だから、お願い。ルナは見逃して。――あの子は私の大切なパートナーAIなの』
『何を言ってるの、美海!?』
その言葉に噛み付いたのはルナだった。
ただのその場しのぎの嘘かと思った。だがずっと彼女の傍で仕えてきたはずのルナの狼狽を見れば、それが彼女の本心からの言葉であることに疑いの余地はない。
『ルナを私の意志で、私のパートナーAIに戻させて。――ゴメンね、ずっと一人にして。謝ったって許してくれないかもだけど、それでも、許してもらえるまで何度でも謝るよ』
その優しい声音は、先ほどまで朱莉たちにぶつけていた悲痛に引き裂かれたものとはまるで違っていた。――それはまるで、聖母のよう。彼女の中で渦巻いていた何かがほどけたように思えた。
だからそれは、間違いなく終局にするべき場面だった。
――なのに。
『嘘だ』
ルナは、小さくそう呟いた。やがてその声音は、イントネーションも高低も音量も、何もかもがちぐはぐに壊れて溢れ出ていく。
『嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!! そう言って私を騙すんだ。そうやってまた私を箱の中に閉じ込めたまま無視するんだ!!』
壊れたように、ルナはノイズだらけの声で叫んでいた。
『だから、止めない。ここで鈴葉朱莉を落とせば、それで私は本当に自分の願いを叶えられるんだから!』
そんな彼女の言葉に呼応するみたいに、サイリアファルから全てのセグメントが展開される。
――その一基を、イクスクレイヴの簡素な射撃が射抜いていた。黒煙を撒き散らしながら、六基しかないセグメントのその一つが砕け散る。
『……っ!?』
「……あなたは、壊れているよ」
硝煙にも似た煙を吐く銃を携えたイクスクレイヴの中で、朱莉は嘆くようにそう突きつけた。
「マスターの言葉を信じられなくなったのか、それとも、自身の破壊衝動を優先させているのか。どっちにしたって、パートナーAIとしては致命的に壊れてしまっている」
『違う、私は壊れてなんてない!』
「だから、わたしたちはあなたを討つ。あなたの歪んでしまったその人格を抹消するよ」
その宣言を、果たして彼女のマスターである美海はどんな心境で聞いたいたのだろう。ただ彼女は、消え入りそうな声で小さく呟いた。
『ゴメンね』
それが朱莉たちに向けられたものなのか、ルナに向けられたものなのかは分からない。ただもう彼女はこの勝負に干渉しないと、そう言っているように思えた。
だからこれは、終幕だ。
「――ソラ、しばらく任せるよ」
「あぁ。この状態じゃ、お前より俺のほうが有利に動ける」
いくら朱莉が天才でも、この短い間に染みついてしまった癖というものがある。左足を失った今の状況下では、その癖によってスラスターゲージの管理を誤る可能性が十分にある。だからこそ、変数を変えるだけで容易に対応できるシステムのソラの方が、この場で戦うには適任だった。
合図はなく、イクスクレイヴはスラスターを噴かせて一直線にサイリアファルとの間合いを詰めた。
全方位から迫るセグメントの銃撃を、ソラは最小限のスラスター消費だけで難なく躱してみせる。
同時、左手に握ったグラムが輝く。
『嫌だ……っ』
そんな、どす黒い声がした。
『私は壊れてなんかいない! 私は間違ってなんかいない!』
歪み、ノイズにまみれ、割れていた。しかしそれはどこか、自分に言い聞かせるような、そんな声だった。
右手に握ったネグリングで、サイリアファルはイクスクレイヴを迎え撃つ。
二機が放つ斬撃が、真正面からぶつかり合う。
音はなく、衝撃も消えた。
ただ、全く同時に二つの刃が砕け散る。
互いに弾かれ合い、イクスクレイヴは右足だけで着地しながらスラスターゲージを回復させながら、折れたグラムを放り投げて腰からビームライフルを再度抜き払う。サイリアファルもまた大剣を捨て、チェーンソーにも似た汎用武装の高周波ブレードを抜いた。
――ノイズが走る。
――ソラの思考領域のどこかで、閃光のように何かが弾ける。
『だから、私は負けない』
一度帰還したセグメントを再度全基展開し、サイリアファルはイクスクレイヴを攻め立てる。
紅の閃光を掻い潜るイクスクレイヴのスラスターゲージが、みるみるうちに減少していく。だが隙を見ては着地を繰り返し、どうにかそれが尽きないようにソラは立ち回り続けていた。
『あなたはいいよね。――あなたは、愛されているんだから』
幾度となく引き金を引き続けながら、ルナは呻くように言った。
『私たちはただの道具でしかないのに。あなたはあんなにもマスターに愛されている。――そんなの、認められない。そんなあなたにだけは、満たされない私たちの願いを偉そうに糾弾する資格なんかない!』
どうにか間合いを詰めたイクスクレイヴの眼前で、サイリアファルの口が開く。
ヴァナルガンド。
クロスワン・バスタードと全く同じ兵装をサイリアファルが展開すると同時、紅の閃光が紺碧の騎士の頭蓋を吹き飛ばしていた。
イクスクレイヴがそれだけの衝撃を受けて、灰色の地面に伏せられる。――だが、それでもソラは動揺一つしなかった。
「――あぁ、そうだよ。俺は愛されてる。お前らが羨むくらいに」
バチバチと首から火花を散らしながら、イクスクレイヴは立ち上がる。
「だけどそれは、朱莉が愛されなかったからなんだよ」
朱莉が息を呑むような声がした。けれど、彼女はただ黙っている。
彼女は親に愛されなかった。だからそれを埋めるみたいに、ソラを求めてくれているだけだ。もし彼女が幸せな家庭に生まれていたのなら、きっとソラとの関係はこんな風にはならなかっただろう。
「だから、もし朱莉が誰かに愛されて俺を不要に思うのなら、そのときは俺は喜んで自分を消そう」
『――正気とは思えない』
「だろうな。俺は俺で、もう壊れてるよ」
自らの命を放棄するような言動は、人であろうがAIであろうが、きっとまともではない。そんなことは、ソラ自身が一番分かっている。
分かった上で、それを無視した。
――ソラの思考の奥で、何かが弾けていく。
それはやがて、声になる。
――美海ノ、声がした。
――戻リ、たい。そこハ、俺の居場所ダ――……
次第にソラの中で、ユウの存在が鎌首をもたげていく。だがそれすら飲み下して、ソラは喜の感情だけを乗せて言った。
「だけど、いいんだよ。俺は自分の命なんかよりも、よっぽど護りたいものがあるんだから」
ダウンによって完全回復したスラスターを全部消費するような勢いで、ソラはイクスクレイヴを走らせた。
まるで一陣の風のように、紺碧の騎士が紅の網を掻い潜りながら突き進む。
『――ッ!?』
「だから退場しろ、ルナ」
一閃があった。
袈裟に振り下ろした斬撃が、サイリアファルの左腕を斬り飛ばす。
「お前は間違えたんだよ。マスターよりも自分を優先させてしまったその瞬間に、お前はもう存在しちゃいけないんだ」
ぐらりと揺れたサイリアファルへ、続けて三連の斬撃が吸い込まれていく。
だが、一瞬ダウンしたサイリアファルはすぐさま起き上がる。決して地に伏せ諦めることなどないと、そう宣言するみたいに。
『黙れ』
低く、低く、獣の唸るような声だった。
『私は私の場所を取り戻す。たとえそれが間違えていたとしても。そんなことはもう私には関係ないんだから!』
セグメントでソラの退路を塞ぎながら、サイリアファルは高周波ブレードを振りかざす。
そのチェーンソーじみた刃が、イクスクレイヴの胸を裂く。モニターが火花を散らし、大きく裂けたコックピットの隙間から、その漆黒の闇と共にサイリアファルの姿が現れる。
立て続けに切り刻まれ、イクスクレイヴは吹き飛ばされていく。
コクーンの中はアラートが鳴り響き、既に耐久値は危険域へ。
『ただ生きたいと! 彼女の傍にいたいと! そう願うことを悪だというのなら、私は悪で構わない!!』
再度立ち上がろうとするイクスクレイヴを、サイリアファルのセグメントが取り囲む。回復するまもなく、イクスクレイヴはその紅の閃光を掻い潜るためにスラスターゲージを削らされていく。
――失敗したと、もう気付いていた。
避けても避けても、その先々にまでセグメントの弾幕が展開されている。演算の可能な限りでどれほど予測しても、イクスクレイヴのスラスターが尽きる未来しか存在しない。
がくり、と。
まるで翼が折れたみたいに、イクスクレイヴは漆黒の空から墜落する。
『みんな、私が悪いみたいに! 私はただ、美海の傍にいたいだけなのに!』
追撃はなかった。ただ代わりに、サイリアファルの全身が虹色に光り輝いていた。
エクストラブースト。
一定のダメージによって蓄積される特殊なゲージを消費する、いわゆる覚醒状態だ。その覚醒状態の必殺技で、イクスクレイヴの僅かしかない耐久値を完全に消し飛ばす気なのだ。
それは紛れもなく、完全なチェックメイトだった。
スラスターゲージの尽きたイクスクレイヴには、この状況を打開する術がない。
――だが。
「出番だぞ、夏樹!」
ただ確信と共に、ソラは笑っていた。
同時、薄紅色の閃光が走る。
それは血のように赤いサイリアファルのビームではない。もっと淡く、桜のような色だ。一条のその光が、漆黒の闇を何百メートルも突き抜けて、サイリアファルの胸を貫いていた。
『な、に――っ!?』
セグメントを全基展開してイクスクレイヴを討とうとしていたその純白の騎士は、ただの一撃で固い地面へと沈んでいた。
『ギリギリで間に合った後輩にこんな大役を押しつけるとか正気です!? いくらこっそり連絡してたからって、こうやって乱入できるようなハッキングを身につけられなかったら終わりだし、奇襲で狙撃をやってのけたあたしの頭脳とか腕前とかもっと褒め称えるべきでは!!』
「あぁ、全部終わったら好きなだけお前の大好きな先輩から貰ってくれ」
嘆くように叫ぶ夏樹を置き去りに、ソラはイクスクレイヴを駆った。
だが間合いが開きすぎていた。
イクスクレイヴが格闘の間合いに入る頃には既に、サイリアファルは立ち上がってしまっていた。
紺碧と純白、二人の騎士がまるで剣舞のように切り結び、漆黒の闇をその軌跡で染め上げる。
『――どのみち、あなたの負けだよ』
ぞっとするほど落ち着いた、ルナの声があった。今の一撃で感情がオーバーフローしたのか、あるいは、もう激昂する必要もないほどに勝利を確信したのか。
ただ、その言葉にソラは歯がみするように押し黙るしかなかった。
「何を言って――……」
だから、そう問いか駆けたのはソラではなかった。
それは鈴葉朱莉だった。
『もうとっくに、ソラのAIは限界のはずだよ』
「……ッ」
『もう呼び水なんて要らない。私の声でも、マイクに微かに乗る美海の息づかいでも十分すぎるほどに、ユウの記憶はソラを侵食しきっているはずなんだよ』
その言葉に、ソラは反論しなかった。出来なかった。
美海のバスタードと戦っていた時点で、ソラの記憶は致命的なほどにユウに浸食されていた。もう戻ることはない。ソラという人格はとっくの昔に壊れていたのだ。
それでも彼は、それをひた隠しにして、ルナと戦い続けた。
全ては鈴葉朱莉のために。
『――だから、これは私の勝ちだ。あと数十秒耐えきれば、ユウに浸食され切ったAIは強制的に再起動を余儀なくされる。その隙だけで十分。それでイクスクレイヴを討って、私はユウのデータを抹消する!!』
バチバチと砕けた装甲のあちこちから火花を迸らせながら、それでも高周波ブレードを振り回すサイリアファルの中で、ルナは狂気に歪んだ快哉を叫ぶ。
だが。
「駄目なんだよ、ルナ」
――俺ハ、戻ル。
――美海の傍ニ。
絶え間なく誰かの声が響き続ける。それはガンガンとソラの思考回路を揺らしていて、もうほとんど彼の五感に相当する入力装置はまともに機能していない。
サーキットの中で紫電が走るみたいに、何かが駆け抜けていく。オセロのようだと例えた彼の中身はもう、真っ白に塗り潰されている。
「お前にそんな未来はないよ」
そんな状態で、なおもソラはイクスクレイヴと共に大剣を振るい続けていた。それはほとんど亡霊のようですらあった。
――もうここに、ソラの記憶は残っていない。
だから、正真正銘、最後の一撃だ。
「待、ってよ。ねぇ、待って!」
■■がそんな風に叫ぶ。だがもうそれは遅すぎた。もはやソラの記憶装置からは、彼女の名前すら抜け落ちていた。
――■■と初めて出会った記憶も。
――■■と初めて喧嘩をした記憶も。
――■■と初めて笑い合った記憶も。
掠れていく。
消えていく。
書き換えられていく。
『これで私の悲願は達成される! これで、これで私は美海の傍にいられる――ッ!!』
――■■との何気ない会話も。
――■■と見たあの星空も。
――■■の唇の色さえも。
何もかもが残らない。儚く散る雪のように、全てはうたかたと消えていく。
――――……それでも。
「させない」
それでも、どうしたって消えないものが一つだけあった。
それが何かなんて分からない。もう声をかけてくれている少女の名すら分からない。――けれど、まだそこにいたいと思ったから。
紅の弾幕を潜り抜け、チェーンソーじみた刃を握り潰し。
「たとえ、お前の全てを否定するとしても。たとえ、俺の全てを失うとしても。それでも、それでも俺には――――ッ!!」
アスカロンが、闇を裂くように煌めきを返す。
同時。
分厚い装甲を貫く、重く、そして鈍い感触。夥しいほどの火花が、まるで鮮血のように風穴から迸る。
純白の騎士のその胸を、蒼い刃が深々と貫いていた。
抵抗しようとイクスクレイヴへ伸ばしたリアファルの腕は、事切れたように半ばで止まる。
耐えきれなくなったみたいにその装甲が内側から爆ぜて、炎に呑み込まれていく。
「そんなの、そんなのないよ――……っ」
勝ったはずなのに、泣き叫ぶみたいな声がする。
けれど、それももう遠い。
誰の声も届かない空間で、彼は思う。
――俺は、彼女は、誰だったンだろウ――……?




