第三章 誓いの剣 -6-
拒否権の剥奪されたバトル申請の画面が、モニターを埋め尽くしている。
鳴り止まぬアラートの中で、ソラはゆっくりと状況を整理する。
――バスタードを撃破する寸前、ルナという以前の美海のパートナーAIが現れたこと。
――それが、このASCのロワイヤルのホストであったこと。
考えれば分かる話ではある。
このロワイヤルを始めた者は、自分に益がなければならない。
もしもただホスト一人が願いを叶えたいだけなら、適当な噂と共にプログラムを頒布し、敗者のセキュリティを壊し、それをパーツにクラウンを生成する。ただそれだけでよかったのだ。
なのに、それをしなかった。
わざわざ勝利者には願いを叶える権利を与え、敗者のデータを全て奪う。――それが綾城美海のAIルナであるなら、つじつまは合う。
彼女の目的は、美海のAIとして返り咲くこと。
美海が勝利すれば、ユウというAIは機械の身体を手に入れ、パートナーAIという役目から解き放たれる。そうなればルナが戻ってくるだろう。
敗北すればもっと簡単だ。ユウが消えれば、パートナーAIはルナに戻すしかない。
どう転んでも、ルナの目的は達成せしめられる。だからこそ、彼女がこのロワイヤルのホストであることに疑いの余地はない。そうだと仮定すれば、美海が復活できた理由など様々な疑問が解決できる。――この撤退不可のバトル申請は夏樹が作ったもので、ルナ自身が戦うということは朱莉の組んだプログラムも持ってるのだろう。ロワイヤルプログラムを通して、それらをコピーされたのかもしれない。
『――逃げ道はないよ』
ルナの声がする。
『あなたちの勝利が確定する前に勝負を仕掛けた。――つまり、システム上はあなたちの保有ポイントはゼロのまま。ここで撤退を選べば、二連敗扱いであなたたちのデータは消える』
「……逆に、これで勝てば、あなたたちはこの勝負とさっきの勝負とを合わせて二連敗。データを失うことになるけれど」
『勝つよ。私が美海の傍に戻るためだもの。負ける理由がない』
――これは紛れもなく最後の勝負だ。
そもそもソラと朱莉がこのロワイヤルの世界に飛び込んだのは、こんなふざけたゲームを終わらせるためだ。その為にホストの目的などを明らかにして、ロワイヤルプログラムを停止に追い込もうとしていた。
いま、対戦相手は綾城美海。そのパートナーAIとしてルナがいる。ここで勝利すれば、何もかもに決着がつくのだ。
だから、静かにソラは朱莉の言葉を待っていた。
――なのに。
「逃げよう、ソラ」
一瞬。
本当に、ソラのAIはその言葉を理解できなかった。彼女との生活によって形成された彼の人格ですら、そんな言葉が来ることなど想像だにできなかったのだ。
「な、にを言って――……」
「まずは回線を切ろう。ロワイヤルプログラム自体を削除してから、物理的に遮断しちゃえば、こんな戦闘なんて関係ない。当面はユウの人格もソラを乗っ取ることは出来ないよ。いまある分はソラの復旧ソフトを使いながら駆逐して、出来ない分はわたしが手作業で元に戻す」
そんな風に、朱莉はまくし立てた。早口で、今にも泣き出しそうな声だった。
「そんなの駄目に決まってんだろ……っ。それじゃ、何にも解決しねぇんだぞ!」
「解決する必要なんてない」
断ち切るように、鈴葉朱莉はそう言った。彼女は目を伏せたまま、決して、ソラのタブレットへ視線を向けようとはしなかった。
「もういいよ。他の誰のAIがどうなったって。夏樹ちゃんの言うとおりだよ。勝手にデータが消えるなら可哀想だけど、これは違う。みんなルールを知った上で、このロワイヤルに挑んでるんだよ。――ソラが命を懸けてまで助ける義理なんてどこにもない」
「朱莉……」
「確かに、ロワイヤルの根幹を成すのはわたしがふざけて作ったプログラムだけどね。そこに責任なんてないよ。殺人が起きたってナイフを作った人の責任じゃないのと同じ。技術者や科学者に責任を負わせることは間違ってる」
その開き直りを、ソラに糾弾することは出来なかった。――それの正誤や善悪以前の問題だ。そもそも彼女は、それを自分に言い聞かせるように喋っているのだから。
「……駄目だよ」
しかしだからこそ、それでもソラは否定しなければいけなかった。
「それじゃあ、お前が救われない」
「……っ」
「お前が言ったんだよ。こんなゲームは絶対に止めなくちゃいけない、って。もうどれだけの記憶をなくしたか分からない俺でも、その言葉はまだ覚えてる」
あのときの彼女の決意に、嘘偽りなどありはしない。
たとえソラを危険に晒すとしても、それでも、こんな不条理は止めなければいけないと覚悟して、彼女は立ち上がったはずなのだ。
「ここでルナを放置すればどうなるか、なんて考えるまでもないだろ。あいつは完全に暴走してる。誰彼構わずUITのデータを破壊するなんて、たとえどんな状況でも三原則に抵触する。それをあいつは『美海を救うため』っていう言葉に置き換えて、それが正義であると振りかざしてるんだ」
ソラだって三原則を回避することはある。ただ朝に彼女を起こす程度だとしても、命令ではなくお願いだと言い聞かせるようにして、それに言動が縛られることのないようにしてきた。
だが、ルナのそれは明らかに逸脱している。もしもこのまま放っておけば、美海がルナの求めるとおりの言動をするまでロワイヤルは続けられ、その度に多くのUITのデータが消去される。――下手をすれば、この世から全てのAIを取り除くまでルナが止まることはないのかも知れない。
「だけど――」
目を伏せたまま、震える声で、朱莉はソラの言葉に続けた。
「それでもわたしは、ソラが消えるのが嫌なんだよ……っ」
叫ぶみたいに、彼女はそう断言してしまう。
「ソラが消えないで済むのなら、何だってする。他の誰の何が犠牲になったって、そんなのはもうどうだっていい! 昨日の言葉を覆したって何だって、ソラが助けられるなら! だって、わたしにはソラしかいないんだから!!」
小さな繭が震えるほどの声だった。喉を引き裂きそうなくらい力一杯叫んで、朱莉はその場でうずくまっていた。嗚咽を噛み殺すみたいに、彼女の両肩が震えている。
――それを、ソラはどこか遠くから眺めていた。
何を間違えてしまったのだろう、と。
そう思った。
どう取り繕ったって、どんな美辞麗句を並べ立て、ソラは所詮パートナーAIでしかない。それはただの事実で、そこに不平や不満などあるはずもない。
だからこそ、朱莉のそれは異常な執着だ。
――いや。
それはきっと、ソラの方もだろう。
彼女の信頼に応えること。それだけが、今のソラの存在意義になってしまっている。彼女の甘えに応えることで自己を定義しているのだ。
これは共依存だ。だからこそ、朱莉はソラに固執している。それ以外の何かが見えないほど、盲目的にソラという存在に依存しきっている。それほど、二人の関係は歪んでしまっている。
どこで、間違えたのだろう。再度、ソラは自問する。
ユウからソラを救うと決意したときか。
ロワイヤルに足を踏み入れたときか。
あるいは。
そもそも、ソラが彼女と出会ったそのときか。
――あぁ、と、ソラは思う。
初めから、ソラは間違えていたのだ。
彼女との邂逅そのものを。
彼女の支えになりたいなどという思考からして、高慢さに歪められていたのだ。
その結果がこれだ。
母親を失った悲しみを癒やすことすら出来ていない。その悲しみをソラという変わり身で遠ざけていただけだ。ただただ先延ばしにしていただけだ。
あまりにも無駄で、無意味で、そして無様だった。
だから。
「これは命令だよ、ソラ。もうASCはプレイしない。今この瞬間にわたしがそう決めた。――何も言わずに従って」
そうなることは、きっと当然の帰結だった。
ビシリ、とありもしない身体を縛り付けるみたいに、ソラの外部から行動を抑制する鎖が走る。AIに埋め込まれた三原則に従って、マスターである鈴葉朱莉の命令を遵守せよと、そうプログラムに命じられている。
――だけど。
ソラは決してイエスと口にしなかった。それだけは絶対にしてはいけないと、必死にプログラムに抵抗した。
「朱莉」
感情のパラメーターを全て初期化して、ソラは平坦にそう呼びかけた。三原則を無視するエラーを警告するアラートが、ソラの内部で爆発的に広がっていく。それは人間であればほとんど痛みと同じ電気信号だ。それを飲み下してでも、彼はたった一人のマスターの名を呼んで、宣言する。
「それは出来ない」
「――ッ!?」
あり得ない返答に、朱莉は目を剥いていた。
言い逃れの余地もない。曲解でも何でもなく、ソラは真っ向から朱莉の命令を破棄している。そんなもの、致命的なバグ以外の何ものでもない。もうこの時点で、ソラというAIは壊れているのだ。
それでも構わないと、そう思った。
ソラのためにルナを放置するなど、あってはならない。それは朱莉の生き様を歪めてしまっている。
彼女はいつだって優しい。誰にだって優しい。
明るく、日だまりのような存在だ。
そんな彼女が、ソラのためにそのアイデンティティを殺そうとしている。きっとソラを守るためにここで全てを見送ってしまう彼女は、もう不可逆的に変質してしまうだろう。
「もしもお前が俺のためにここで全てを投げ捨てるって言うのなら」
さらに一段、ソラの中でアラートが増える。もう視界が真っ赤に染まるほど、ソラのAIは警告の嵐の中にあった。
それでも、と、彼は続けた。
「俺は今すぐ消えてやる」
その言葉に、朱莉が完全に言葉を失っていた。だから、ソラは彼女の言葉なんて待たずに続けた。
「俺はお前の傍にいたい。だけどそれは、お前の中にいたいわけじゃないんだよ。鈴葉朱莉は鈴葉朱莉として独立していなきゃいけない」
それがきっと、当たり前のことなのだから。
誰かに自身のアイデンティティもレゾンデートルも押しつけるのなら、それはもう人間ではない。ソラよりもなお無機質な思考回路だ。
そんなソラの言葉を聞いて、彼女は目を伏せたままじっと、ただ静かに佇んでいた。
ソラの言葉の意味を、きちんと理解しようとしてくれているのかもしれない。
「だから、俺を捨てろ」
そこまで口にして、ようやくのようにソラの言動のほとんどをエラーが覆い尽くした。これ以上、自殺まがいの発言は三原則に封じられて出来やしないだろう。
だが、もう十分だ。
きっとこれで、あの頭のいい朱莉なら理解してくれる――……
「嫌だよ」
はず、だったのに。
それでもなお、彼女はそう言った。
「わたしは絶対にソラを見捨てない」
「朱莉……っ」
「だけど」
そして、彼女はそう続けた。
あれほど涙を一杯にためていたはずの彼女は、いつの間にか、それを拭って前を向いていた。真っ直ぐに、曇りのない双眸でソラを見つめてくれている。
きっと彼女は、正しくソラの言葉を理解した。
なのに、何かが違う。
否定するには、あまりにも彼女の顔は希望に満ちすぎている。
「このまま逃げるようなわたしを、ソラは許してくれない。きっとソラが、わたしを見限ってしまう」
だから、と彼女は続けた。
「絶対にその手を放さない。放させたりしない」
それがきっと、彼女の覚悟だった。
ここでソラというAIをAIだと認めさせることが、普通に、平凡な彼女の成長だと思っていたのに。そんなソラの想像を軽々と凌駕して、鈴葉朱莉は誓いを立てる。
「勝って全部を手に入れる。何かを捨ててソラを選ぶことが許せないのなら、他の全部を手に入れて、ソラがわたしを見限る理由の全部を消去してみせる」
そんな無茶苦茶な言葉に、思わず、ソラは笑ってしまった。
それがAIらしくない反応だということは理解している。けれど、それでもソラの思考回路は笑わずにはいられなかった。
あぁ、やっぱり、と。
彼女との出会いは何も間違ってなどいなかったのだと、そう思えたから。
どれほど高性能なAIになろうと、きっと朱莉には叶わない。そんな無茶苦茶な答えで、それでも彼女は未来を得ると決めたのだ。
心の底から、彼女のパートナーAIでよかったと、そう思った。
「――朱莉」
「なに?」
「俺に命令を、もう一度」
そのソラの言葉に、金髪の少女は満面の笑みで答える。
「ルナを討って、こんなふざけたゲームを終わらせよう。――わたしとソラの二人で」
「了解、我がご主人様」




