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第三章 誓いの剣 -4-


 ブツ、と何かを切断するような音と共に、意識が浮上する。

 そこで初めてソラは、自身がスリープモードではなく完全に電源が落とされた状態から起動したことに気付いた。

 不意の強制終了もあり得ないことではない。――だが、それはたとえスリープモードであってもソラには記憶として蓄積される。今のように、そもそもそんな記憶がない状態での強制終了は、少なくとも朱莉と出会ってからの十年間に一度もありはしなかった。

 カーテン越しにも日はない。天気予報アプリを覗けば、今日は一日じゅう強い雨らしい。今が朝なのか夜なのか判断できない。自身の中に流れているこのクロックが正常であるかどうかを、もうソラには認識すら出来ない状態なのだ。


「――っ」


 不規則に、ソラの中で何かが揺れる。ただの電気信号の乱れが、どうしようもなく気持ち悪かった。マイクにまで入る雨音が、さらにそのノイズを増長させているようですらあった。


「――ソ、ラ……?」


 そんな中で、掠れた朱莉の声がした。

 カメラで辺りを見渡せば、部屋の入り口で倒れるような寝姿から起き上がったばかりの金髪の少女と視線がぶつかった。彼女の目元は泣き腫らしていて、せっかくの美人が台無しだった。


「……そんなところで寝てると風邪引くぞ?」


「ソラ!」


 できる限りいつもの調子で返した途端、朱莉はがばっと勢いよく立ち上がってソラのタブレットへと手を伸ばした。

 千切れるような勢いで充電ケーブルが抜け、そのままソラの視界は真っ黒に覆われる。――彼女がその豊満な胸に押しつけるように抱き締めているからだ。

 ソラが人間であったなら夏樹辺りから羨ましがられそうだが、これだけ力強く押しつけられれば窒息死しかねない。今ですら、みしみしとタブレットの外装が軋みをあげているくらいだ。


「おい、朱莉――」


「よかった、よかったよぉ……っ」


 ぐすぐすと鼻を鳴らす声がする。それだけで、ソラがどんな状態であったのかなんて、今さら問うまでもなかった。


「……心配かけたな」


 最大限の優しい声音で、ソラはそう言った。そのせいで、朱莉はもう堪えきれなくなって子供みたいに泣き出してしまった。しばらくは、まともに会話なんて出来そうもない。


 ――だが、この起動は所詮『偶然』だ。

 ソラとユウの人格のデータ量がせめぎ合っているからこそ、観測するたびに結果が変わる。どちらが表出するかは完全な運次第になっているのだろう。

 だがそれも、今だけだ。

 記憶のデータはソラの方が圧倒的に多い。夏樹の調べではユウがAIとして生み出されたのは一年前だ。たとえユウのデータが全て流れ込んできたとしても、ソラの記憶の九割は残るはずだ。――だから、ユウは復旧する際に既存のソラのデータを空白で上書きしている。

 今はちょうど天秤が釣り合っているだけだ。

 一度彼に乗っ取られたのであれば、もうあとはない。ここから先は、加速度的にユウの人格がソラを侵食していくだろう。


 ――あとどれほどの時間が残されているのだろう。

 考えても、きっと結論なんてない。

 それは三日かも知れないし、あるいは、たった三秒しかないのかも知れない。

 だから、だろうか。


「……ゴメンね、ソラ」


 涙を拭い、なおも零れる涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、朱莉はようやくのようにソラのタブレットから距離を置いて、そう切り出した。


「何を謝ってんだよ」


「わたしは、ソラが消えるなんて嫌なの。たとえ、他の何を犠牲にしたって」


 その言葉で、悟る。

 いや、いっそ声色だけで十分だ。

 その波形を聞くだけで、もう彼女は引かないのだと思い知らされた。


「だから、わたしはASCで美海を討つよ。それがいま出せる最短の答えだから」


 悠長に準備をしている時間などないと、そう思ったのだろう。

 ハッキングのツールなどを準備しなくともよい。彼女を敗退に追い込めば、勝手に無防備な腹を去らしてくれる。――ただしそれは、相手のデータ全てと引き換えに。

 どんな形であれ、既に一度失ったとしても、そこにあるデータはなけなしの思い出だ。それを再び奪うということは、たとえ相手が認めた上の賭けであっても、朱莉は嫌悪していた。


「……自分のために相手から何かを奪うな、なんて、当たり前のことを言っても聞かないんだよな?」


「うん。これは、もうわたしが決めたこと」


 それは暗に、命令であることを示唆している。たとえどんな状況に陥ろうと、ソラは朱莉のパートナーAIだ。スレイヴがマスターに反抗するなど、あってはならない。


「……了解したよ、朱莉」


 だからソラはあっさりと折れた。

 ――ただし、決してご主人様(マスター)とは呼ばなかった。

 それは朱莉の命令だからではなく、自らもまた選んだ末の答えであると、そう宣言する代わりに。


     *


 それから、ソラは朝食にとサンドウィッチを作った。平時の朝食の二倍ほどの量があったが、泣き疲れてカロリーを消費しすぎたのか、あるいは、それが最後のソラの作った食事になるかもしれないと思ったのか、朱莉は時間こそかかったもののそれらをペロリと平らげていた。


 綾城美海と対決するに当たって、問題点はある。

 それは、自動マッチングされるイベントモードでどうやって綾城美海を限定するか。

 だがそれは解決できる。――正確には、既に鷺宮夏樹によってクリアされた。

 初めて朱莉とソラがASCに触れたときに夏樹がやってのけたハッキングを解析、利用すれば綾城美海との対戦にこぎ着けることは容易だ。

 やるべきは一日中ASCに張り付いて、美海がログインするのを待つだけだ。それが長時間に及ぶことも想定した為の腹ごしらえでもあった。

 ――だが、結論を言えばその必要はなかった。

 朱莉が待機してすぐ、美海のログインがあった。


「……思ったより早いね」


 千載一遇の好機だ。ここを逃せばソラの消滅は免れず、勝てば一転して救われる。間違いなく天王山だ。

 ごくりと、思わず朱莉の喉も鳴っていた。それだけ、この戦闘一つには重みがある。勝負を仕掛けようとする指先は震えていた。

 パラパラと、防音されているコクーンの中にまで雨音が聞こえる。ただただ無言で、ソラは朱莉が覚悟を決めるのを待った。


「――やるよ、ソラ」


 それでも、彼女はそう言った。その瞳は、愛する者のためにと奮起する優しく鋭い炎が宿っている。

 その思いに答えること。きっとそれが、ソラの役目だ。


「あぁ。――これから先も、お前の傍にいる。そんなありきたりで当たり前の日常を取り戻すために、俺は戦うんだから」


 そうして、朱莉とソラの最後の戦いが幕を開ける。

 勝負を仕掛ける。あらかじめ設定していたツール通り、おそらく今頃は綾城美海の画面いっぱいにバトル申請の画面がポップアップしているはずだ。

 その状況に困惑はあったのだろう。だが一分もしないうちに、朱莉たちのコクーンではもはや見慣れたカタパルト内部の映像に切り替わっていた。――綾城美海がバトルを承諾した証だ。

 今まで幾度となく繰り返した出撃シークエンスだが、しかし、どこか違う緊迫感があるようだった。カメラで見下ろせば、そこには紺碧の装甲が映る。それが、それだけが、いまソラの命を守る鎧だ。


「……頼むよ、イクスクレイヴ」


 自身の身体にそう呼びかけて、ソラは前を向く。同時、三つの赤いランプが順に点灯し、全てが緑に変わった。


「――行くよ!」


 朱莉が右のペダルを強く踏み込む。蒼い機体は瞬く間に狭い砲台の中を突き抜けて、曇天の空へと舞い上がる。

 背の純白の翼が、鈍色の世界を裂くように広がる。左右の大剣を抜き払い、蒼の騎士はその翡翠の瞳を光らせる。

 ずしゃ、とイクスクレイヴが舞い降りたのは、砂の地面だった。右方には海、左方には林が広がっている。無人島ステージだろう。

 コクーンの内部に雨音が響く。まるで現実の世界に合わせたみたいに、その静かな島も激しい雨風の中にあった。


「……来たよ」


 そんな彼らの前に、漆黒の機体が姿を見せた。


 AGF-GW01クロスワン・バスタード。

 その不気味なマントのような装甲も、悪魔のようなフェイスも、右手に握った禍々しい(クラレント)も、夥しい数の砲門を持つ(バリスタ)も、何もかもが変わってはいない。――だが、AIの回路全てを凍てつかせてしまうような、そんな冷気にも似た殺気が溢れ出ている。

 遙か遠く、ほとんど島の海岸の端と端に着地した二機が毅然と睨み合う。戦闘が始まるまで、あと三〇秒もある。


 そんな中だった。

 ブツ、と、マイクが音を立てる。


『――聞こえる?』


 筐体(コクーン)の中に、知らない女性の声が響いた。

 ――瞬間、ソラの脳裏で何かが走る。

 それは、敵機――すなわち、綾城美海からの通信だった。


「何か用かな?」


『あなたたちがどんな手段を持ってこんな真似をしたのかは知らない。――けど、ユウに関わってるって思っていいのかな?』


「――っ」


 綾城美海は、その名前をあえて出していた。

 本来であれば朱莉たちが知り得ない名前にどう反応するかを、彼女は確認しておきたかったのかも知れない。


『ユウからメールがあった。助けてって。――あなたたちが、ユウのデータをどこかに隔離してるって思っていいんだよね。つまりゼロポイントのあなたちを倒せば、UITのデータごと、ユウを閉じ込めているプログラムだって破壊できる』


「……さぁ」


 その状況で、朱莉はそう言った。

 おそらく綾城美海は、まだユウの存在がどうなっているかを知らない。――ソラのAIの一部になっていると知っていれば、こんな好戦的な態度は取れないだろう。ID上は朱莉の所有物になっている以上、ここで朱莉たちが敗北すれば復旧途中のユウのデータすら消去される。

 だがそれを知らない彼女は、朱莉たちを倒せばユウが自分の元に帰ってくると勘違いしている。それは僥倖だった。

 もし彼女が正しい情報を得てしまえば、ソラたちからは何も手が出せなくなる。美海からすれば、放置していれば勝手にユウが戻ってきてくれるのだから。


『ユウを返して』


 刺すような声だけがあった。もしも光通信の回線越しでなければ、きっとその殺気だけで射殺されていただろう。


「……それは、わたしにメリットがある?」


『彼は、私の大切な人なの。――私から、あの人を奪わないでよ……っ』


 その声は、涙に濡れていた。怒りか、後悔か。彼女は震える言葉で、それでもそう言って朱莉へと呼びかける。

 ――それは、恥も外聞も捨てた嘆願だったのかも知れない。こんな風に勝負を挑んでおきながら、そんな真似をしようとしている。

 それが、逆鱗だった。


「――大切?」


 今度は、返す朱莉の声が震えていた。


「大切なら、どうしてそれを賭けに出すような真似をするの?」


 それは純粋な怒りだった。


「それでどうして、負けるまで戦うの? ロワイヤルプログラムをインストールするかはあなたの意志だよ。したとしても、一敗した時点で撤退するっていう選択肢だって、なかったわけじゃない」


『そ、れは――……』


「自分勝手にAIを殺しておいて、被害者ぶらないでよ」


 鈴葉朱莉にとって、ソラというAIは紛れもなく家族の一員だ。それが世間一般の感覚ではないことなど分かっている。だから、それを否定すること自体に関しては何も思わない。――夏樹に対する朱莉の言葉は、嘘偽りない本音だ。

 だからこそ、許せない。いっそ不要だからと言うのなら、価値観の相違で片付くのに、そうではないと言いながらその尊厳を踏みにじるような行為だけは、鈴葉朱莉には許せない。そんな偽善者じみて悲劇のヒロインを気取る有り様だけは、認められない。


 カウントが〇へと近づいていく。それに比例するように、朱莉の怒気は刃へと乗せられ、その鋭さを増していく。


「だから、わたしはあなたを認めない。――たとえどんな手を使ったとしても、わたしはわたしの大切なものを取り戻す」


『……たとえ、何を言われたって』


 残されたカウントは既に一〇を切っている。緊張感はもはやカメラにすら映るような勢いで高まり続けている。

 その中で響く女性の声に、躊躇いはなかった。


『それでも、私はユウを返して貰う。あなたがどんな思いで何をしようと、私には関係のないことだから』


 美海の宣言と同時、カウントは〇に。


 地獄の扉が開く。


 両機が同時に突撃する。甲高い唸りを上げながら、降りしきる雨を切り裂くような速度でイクスクレイヴが一直線にバスタードへと迫る。

 それをバスタードは躱すそぶりすらなく迎え撃とうとする。

 クロスワン・バスタードのマント型の装甲は、序盤のみしか使用できないが、素ダメージで二五〇ものダメージを無効化できる。その際、よろけもダウンも発生しない。絶対有利なカウンター技を持っている状態だ。

 それが分かっていながら、朱莉は躊躇なくペダルを踏み込んだ。

 右の大剣(アスカロン)が煌めく。

 スラストアクセルでの刺突、それはバスタードを貫き、そのまま背後へと抜けていく。敵機を射貫いたのだという嫌な感触にコクーンが揺れる。

 だが、それでもバスタードは実質的に無傷だ。振り返りざまに、バスタードの禍々しい(クラレント)が追う。

 だが、ステップで回転したイクスクレイヴは、後出しでありながらその斬撃にさらに左のグラムによる攻撃を重ねた。


 二つの刃がしのぎを削る。格闘判定、鍔迫り合いだ。

 攻撃のタイミングは完全にイクスクレイヴの敗北だが、威力と攻撃時間で超えれば朱莉たちが押し勝つ。


「――そして、それはわたしが勝てる」


 朱莉が宣言すると同時、バスタードの右腕が弾かれた。


『――ッ!?』


 驚愕する美海を置き去りにして、朱莉はイクスクレイヴを駆り、右薙ぎの一撃でバスタードの装甲を破壊する。

 だがそれで終わらない。いまだよろけ状態を保つバスタードへ、アスカロンとグラムの二刀で最大コンボの攻撃を叩き込む。一割五分もの耐久値を削り、バスタードを砂の地面へと沈めてみせた。


 そこまで全てが、計算ずく。

 切り抜ける刺突であれば、バスタードの反撃の前に二撃目を繰り出せることも。カウンター狙いのバスタードはコンボ数の多い斬撃――つまりは初撃の軽い攻撃を選択することも。格闘判定であればバスタードの装甲によらずによろけを発生させられることも。

 全て、朱莉の読み通り。そのコンピュータのような計算能力こそが、プレイ時間すら凌駕する朱莉のプレイヤースキルそのものだ。


『……強いね』


「まさか。――大切な人も守れない弱虫だよ」


 そう答えて、朱莉は起き上がるバスタードへと立ち向かう。

 ――序盤に関して言えば、ボードゲームと同じだ。先攻を取れば、戦う前から動きのいくつかを決めておける。

 バスタードの装甲を剥ぎ取った今からが、本気の勝負と言えるだろう。


『でも、機体の相性は私に分がある』


「何を――」


 答えるより早く、バスタードは左手に握り締めた弩をイクスクレイヴへと向けた。

 放たれたのは、一発ではなく一〇にも及ぶ深紅の光線だった。

 全力でスラスターを噴かしながら回避を試みるが、遅い。その深紅の光線は回避する隙間を潰すように、一文字にイクスクレイヴへと襲いかかった。


 ――遅れて、ソラは気付く。あのボウガンの形状はただの飾りではない。用意された砲門含めて、一つの武器。これは全十門のライフルを並べたもの。散弾のように、しかしそれよりも強力な弾丸をいくつも同時に放つことで、回避を許さない。まさに機動力重視の機体を潰す為の武装だ。

 喰らった弾数は、機体の面積から推測するにに最大値の五発。それだけで二割以上の耐久値を削られ、イクスクレイヴはぬかるんだ地面に沈んでいた。


『本気で勝ちに行くなら、ストーリーも目を通した方がいい。バスタードはイクスクレイヴの兄弟機。ただし敵国が奪取し「イクスクレイヴを破壊するため」に改修を加えたものだよ。装備の全てが、イクスクレイヴを屠るのに最適化されている』


「それは、厄介な相手だね……っ」


『バスタードは武装を腕と完全に連結させてる。左右一つずつしか武器を持てない分多彩さを欠くけれど、威力は跳ね上がってる』


 その上で、プレイ時間の差による改修値の差だ。計算し尽くしてようやく叩き込んだコンボよりも、バスタードの射撃一つの方がダメージがある。


『それに、バスタードの本領はそこじゃない』


 そう言うと同時、バスタードの背のマントが堕天使の翼のように開く。


「バスタードの展開――っ」


『知ってるみたいだね。前回戦ってから調べたのかな』


 ここから先は、地獄の二〇秒間だ。

 あの翼が展開している間、クロスワン・バスタードは機動力と格闘攻撃力が一・二五倍される。そうでなくとも威力で押し巻けるのがほとんどだというのに、格闘判定必勝や、格闘攻撃補正強化などの追加効果まで付加される。


「ソラ」


「任せろ」


 逃げ惑うことに意味はない。たとえ機動力自慢のイクスクレイヴであっても、同型機かつ一時的なドーピングがされているバスタードが相手では勝ち目がない。

 だから、為すべきは的確に一撃ずつ捌き切ることだけだ。


『私は勝つよ。大切な人を取り返すために』


 真正面からイクスクレイヴとバスタードが対峙する。

 振り下ろされる全ての斬撃を、操作権限を譲り受けたソラが躱しきり、返す刀でねじ伏せてみせる。

 ――バチバチと、脳裏で何かが焼け焦げる音がする。

 それが演算の負荷によるものなどではないことを、ソラは十二分に理解していた。

 それでもなお、ソラは手を止めずに眼前のバスタードの攻撃を躱し続ける。一撃でも食らえば死に近づく恐怖の中で、全ての攻撃を見極める。

 まだ十秒にも満たない。折り返してなどいないことに心が悲鳴を上げる。

 だがそれでも、感情のパラメーターなど無視して、ソラは彼女へ言葉を投げかける。


「返ってきて欲しいのは、ユウなのか? ……それとも、汐見佑輔なのか?」


『……っ』


 美海が息を呑む。――きっとその言葉が、美海自身がずっと目を逸らし続けてきた問いだったから。

 ダウンから起き上がると同時、残された時間を無駄にしまいとバスタードが突撃する。――だが、それこそが動きを単調にしている。

 それに合わせてシールドを展開し、よろけたバスタードにイクスクレイヴは追い打ちをかけるように五連撃を叩き込む。


「――断言するけれど、後者は叶わないよ」


 バスタードの翼が光を失いマントへと戻る。その耐久値も、既に六割を切っていた。砂に埋もれた悪魔のような機体を見下ろしながら、朱莉はそう続けていた。


「このロワイヤルプログラムをインストールした状態でイベントを優勝すれば、擬似的な『クラウン』が手に入る。――その都市伝説の名前と偶然とは言え合致しているから、このゲームが使いやすかったのかな」


 そう言って、朱莉はチラリとソラのタブレットを見る。


「理論上はあり得る。セキュリティを破壊された敗者のUITを全て連結させて、莫大な演算領域を確保する。まぁスーパーコンピュータみたいなものだよ。それを勝者が自在に扱える。それだけの力があれば、大抵のことは出来るよ。単純に鍵開けに使えばお金も下ろし放題だろうしね。――けれど、死んだ人は帰ってこない」


 きっと、朱莉だって考えたのだろう。現実的でないことなんて百も承知で、それでも幼少の記憶の中にしかない母親が戻ってくることがあるのかも知れないと、そんな夢想をしたはずだ。だからこそ、彼女はそれを否定しなければいけない。


『……知ってるよ。佑輔が帰ってこないことくらい、頭じゃ分かってるよ』


「ならどうして――」


『それでも、私は佑輔の温もりが欲しい……っ』


 そんな叫びがあった。まるで魂を引き裂くみたいな、悲痛さにまみれ、犯された声だった。


『佑輔の声が聞きたかった。だからユウを作って貰った。――だけど、触れ合えないの。そこにいるのに、キスどころか手だって握れない。そんなの、耐えられないじゃない……っ。ロボットだってアンドロイドだって何だっていい。ただ、佑輔ともう一度触れ合えるなら!』


 だから、綾城美海はロワイヤルへと手を伸ばした。

 そこに現実的な意味なんてないのかも知れない。どれだけ求めたところで、汐見佑輔が帰ってくることはない。それは作られた偽物で、きっと彼女の渇きを癒やす術などこの世のどこにもないのだろう。

 そんなこと朱莉たちに言われるまでもなく、綾城美海自身が一番分かっているはずだ。

 分かった上で、分かりたくなかったから。

 だから彼女は、全てを賭けて奇跡へと挑んだのだ。


『だから、返してよ』


 彼女の声音がフラットになる。まるで、感情がオーバーフローしてしまったかのようだった。

 直後だった。

 何かを噛み砕いたような音がした。

 見下ろしたままのバスタードの、その悪魔を模したそのフェイスからだった。

 ただの仮面(マスク)だと思っていたその口が、捕食者のように大きく開く。


「――ッ!?」


 息を呑んだのは朱莉だったか、それともソラだったか。


『ヴァナルガンド』


 声があった。

 同時、その口の奥に搭載されたたった一つの砲門から、マグマのような閃光が迸った。それが見えた次の瞬間には、イクスクレイヴの頭蓋がその光に呑まれていた。

 ガリガリとスピーカーから割れるような音を放ちながら、コクーンの中が激しく揺さぶられる。きつくトリガーを握り締めていなければ、朱莉も座っていられないほどだ。

 見れば、削られた耐久値は二割にも及んでいる。それもただの一撃で、だ。攻撃回数で言えばイクスクレイヴの方が圧倒しているというのに、耐久値の割合は全くの互角まで持ち込まれている。


 ――だが。

 効果はそれだけに止まらなかった。


「何、これ……?」


 衝撃は止んだというのに、モニターは死んだように黒色に呑まれている。衝撃の再現をした一時的な乱れなどとは、明らかに違う。


「……頭部の部位破壊だ」


 機体のスペック表を検索したソラは、苦々しげにそう呟いた。

 それがクロスワン・バスタードの口内に搭載されたビーム砲『ヴァナルガンド』の効果。威力もさることながら、その本質はこの頭部の部位破壊補正だ。

 モニターが復活するが、それは破壊された頭部のカメラではなく、胸部のサブカメラだ。視点は先ほどからガラリと変わる上に、画質も落ちる。時折、砂嵐のように画面の端々の映像が途切れる始末だ。

 ――これでは、イクスクレイヴの本領である高速起動にカメラが追いつかない。


『私は、負けられない』


 ぞっとするような声だった。そこにはもはや、生気などない。執念だけに突き動かされているような、そんな空虚でおぞましい声だった。


『私は勝つよ』


 そう宣言すると同時、バスタードの握る弩がオペラグラスのように上下に開いた。砲門の数は、単純に二倍。

 これがバスタードの真骨頂。

 マントのような装甲の展開による格闘強化、弩のバリスタのリミッター解除による射撃強化。それらを駆使することで、圧倒的な火力であらゆる状況を制圧するのがクロスワン・バスタードという機体だ。

 カメラを潰された状態では、いくら朱莉でも戦えない。彼女のラプラスの悪魔のようなプレイテクニックも、十分に相手の動きが読み取れる状況であってこそ。


 ――だから。


「させねぇよ」


 向けられた銃口に対し、イクスクレイヴはそれを潰すようにアスカロンを振り下ろした。右薙ぎで吹き飛ばされたバスタードはバキバキと音を立てて木々をなぎ倒しながら、林の方へと沈む。


『――ッ!?』


 半分以上砕けたイクスクレイヴの頭蓋では、バスタードの動きなど読み取れるわけがないと美海は踏んでいたのだろう。実際、朱莉にはバスタードの動きに反応など出来なかった。

 だから、それを引き受けたのはソラだった。


「俺は画面を見てるわけじゃねぇ。ゲーム側から入力される映像データを直接読み取ってるんだ。メインカメラが潰れようが、俺ならノイズに惑わされずに戦える」


 アスカロンとグラムを構え、バチバチと頭蓋から火花を走らせるイクスクレイヴでバスタードを睨み据える。


「ソラ……」


「ここから先は俺がやる。――自分の居場所くらい、自分で守るよ。AIでもなんでも、俺だって男だからな」


 それが、最後の戦いになるであろうことを理解して。

 それでもソラはそう言い切った。


「ソラ……?」


 そのソラの声音の僅かな際に、彼女は何かを感じたのかも知れない。だが、それを悟らせるより先に、最後の一幕の火蓋が切られる。

 起き上がったバスタードとイクスクレイヴが、真正面から殴り合う。

 バリスタの弾丸がイクスクレイヴを貫く。

 イクスクレイヴの五連撃がバスタードを引き裂く。

 両刃剣(クラレント)がイクスクレイヴの左腕を打ち砕き、片刃剣(アスカロン)がバスタードの右腕を肩口から両断する。

 互いが吹き飛ばされたために周囲の木々は薙ぎ倒され、蒼と黒、二つの鎧が爆炎と共に暴れ狂う。


『返してよ、私の、私の大切な人を――ッ!』


 ――懐かしイ声だ。


 違う。違う、これは、知らない。


 ――もット、もッと、傍で。


 違う。違う、違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。

 ソラの中の回路を、何かがおぞましい速度で駆け抜けていく。まるでオセロの盤面をひっくり返すみたいに、ソラであったはずのものが失われていく。必死に抵抗しているのに、それが止まる気配はない。

 本当は、こうなることをソラは気付いていた。

 『ユウ』の記憶は、それに近しい状況を前にして呼び起こされていた。――だが、それは正確にはデータを上書きされるきっかけではない。それは、ソラがユウの記憶を読み出すきっかけだ。放っておけばただのブラックボックスと化すだけのデータの残骸に、その呼び水が命を吹き込んで、ソラを呑み込んでしまう。


 ならば。

 その記憶の根源として美海の存在はこの上ない。彼女の言葉、その波形一つでさえ、ソラの中の何もかもが覆る。


 ――帰リ、たい。


 声がする。

 知らないそんな声が、濁流となってソラを呑み込んでいく。


「引っ込んでろ……ッ」


 それでも、それを押し潰してソラは言う。――もう、彼の中には記憶なんてほとんど残っていない。

 それでも、前へ。


「渡さねぇ」


 その声はもはや修羅のように。

 全てを失い、魂すら燃やしながら、それでも彼は足掻き続ける。


「ここは俺の居場所だ。俺は、俺は――……ッ!!」


 左の(グラム)を失った隻腕の騎士が、残された右手で刀を振るう。

 それに刃向かうように、大剣(クラレント)を失った悪魔がバリスタで迎え撃つ。


 紅炎が舞う。

 バリスタの矢を握り潰すように突き進み、イクスクレイヴの剣はバスタードの胴体を両断する。その夥しいほどの火花の中を、それでもなお、イクスクレイヴは突き進む。


 目の前で削られていくバスタードの耐久値。それを消し飛ばすまで。

 一撃、一撃と重ねていく。


 燃え尽きていく。

 何かが、こぼれ落ちるみたいにソラの中で消えていく。

 ――それでも構わない。


「やめ――……ッ」


 それは朱莉の声でも、そしてソラの声でもなかった。誰の声とも分からない声。だがそんな制止を振り切って、イクスクレイヴは走る。

 重く、鈍い感触に筐体の中が揺れる。

 最後の一撃が、悪魔のような機体のその胸の中心を深く貫いた。


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