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第一章 白き翼 -2-


「という訳なの」


 時刻は十時ちょうど。

 本来の開始時間より三十分ほど遅延して、部室であるICT教室にある無数のディスプレイの前で、朱莉は唯一の部員にして後輩の鷺宮夏樹(さぎみやなつき)に針小棒大な喋り口で同情を求めていた。


 寝癖で前衛芸術じみていた金髪は綺麗に梳かれ、万全な容姿を取り戻した彼女は、残念ながら外面だけはいい。少しオーバーに頭を抑える様子を見れば、ソラの方が悪者に見えてしまうだろう。

 ソラも文句の一つも言いたいところではあるが、しかし基本的にはソラは従者で朱莉は主人だ。「むぅ」とわざとらしく唸るだけで声には出せない。


「それで、そんなたんこぶが……」


 その話を聞きながら、小柄で華奢な少女のような見た目の夏樹は、裾を詰めたスカートをなびかせてくるくると回りながら、何かを思案している。朱莉に憧れて染めた、赤に近いサイドテールの髪が動きに合わせてその尻尾を振っている。

 そして、はっと何かに気付いたように動きを止めて、勢いよく両手を広げた。


「オッケーです。可哀想な先輩をあたしが慰めてあげましょう! さぁ、ぜひ胸に飛び込んで下さい! かもん!」


「かもん! じゃねぇよ!」


 朱莉の胸ポケットに収められた携帯端末から、指向性の高い大音量の声でソラが夏樹に声を飛ばす。思わず夏樹が耳を押さえて後ずさる。


「い、いいじゃないですか! ここは可愛いモノ同士でスキンシップをしたって!」


「そうだな、お前がそんな格好でありながら『男』でなければな」


 ソラの指摘に、うっと夏樹は声を詰まらせる。

 服装も外見も完璧に女子だが、彼の性別はれっきとした男であり、精神上の性別もまた男である。要するに、性同一性障害でも何でもなく、ただの女装癖だ。

 外も中も男である人間を、大事な主人に触れさせるわけにはいかない。なんだかんだ言いつつも、きちんとソラは朱莉の騎士(ナイト)をやっているのだ。

 外見の可愛さで騙しつつ朱莉に痴漢(スキンシップ)を働こうと迫る夏樹と、ただの薄い箱でしかないソラが牽制し合う。


「うーん……。ここは『わたしのために争うのはやめて!』って頬を染める場面なのかな」


「なんで頬を染める必要があるんだよ……」


 二人を止める気もないらしく、朱莉はさっさと翻って、いつもの教室の隅にある一つだけ大きなディスプレイを立ち上げ、無線で自身の端末と接続する。

 それに倣うように、夏樹もいつも使っている朱莉に一番近い普通のディスプレイを起動する。


「それで、今日の部活はなんです?」


「んー、部活って言ったけど、要するにわたしのお仕事なんだよねぇ」


 そういう間にも、朱莉のたおやかな指はキーボードの上を滑るように叩いていく。

 ICT教室、つまりは情報端末の扱いを教わる部屋であり、当然、そこを部室にするということはその為の部活動である。

 名前はそのままズバリICT研究部。とは言え、何を研究するでもなく、端的に言えば学校のシステム管理のお手伝いをする部活動だ。

 そういうイレギュラーさもあり、本来の活動人数に達していないたった二人でも、きちんと部費が降りる。教師からすれば、一応の報酬のつもりなのだろう。


「……一応聞きますけど、顧問の藤堂(とうどう)先生は?」


「寝坊じゃないかな」


「それ朱莉センパイが仕事を押しつけられているのでは……?」


 夏樹が呆れたような顔をしているが、当の朱莉の方は何も気にしていないようだった。


「まぁ今日は簡単なセキュリティの強化だし、夏樹ちゃんはいつも通りお勉強でいいよー」


 朱莉が『お勉強』といっているのはプログラミングやハッキングのことで、夏樹もかなりの腕前を持っている。しかしそれでも、朱莉の言葉に夏樹も「了解です」としか返せない。手伝おうか、なんて言葉が邪魔になることをきちんと理解しているからだ。

 鈴葉朱莉は、紛れもなく天才のハッカーだ。その造詣の深さは数値化自体が出来ないが、もしも偏差値が出せれば一〇〇を超えるだろうと、身内の贔屓目なしに本気でソラは思っている。だからこそ顧問の藤堂が朱莉に仕事を丸投げにしてしまう。その方がより安全で確実な仕上がりになることを分かっているのだろう。

 実際、左手で金髪をくるくると弄びながら右手だけで作業しているというのに、ディスプレイの中のプログラムは流れるように書き換えられていく。


「というわけで、作業自体は終わりー」


 あっという間にセキュリティホールを埋めて、残りの面倒な報告書作成に入ったところで朱莉のペースはガクンと落ちた。ただ、常人であれば報告書作成の何百倍という時間がシステムの調整には必要であるのだが。


「……相変わらず朱莉センパイは化け物みたいですね……」


「みたい、じゃなくて化け物だよ」


 朱莉はこの手のデバッグ作業を企業相手に請け負っており、それだけで自立して生活できるだけの収入を得ている。中には国内外の政府の絡む案件もあったのだから、貯金額も相当だ。でなければ、ソラと二人で高層ビルの最上階を借り切って暮らすということも出来はしない。


「んー? ソラが褒めてくれてる?」


「天才であるのにどうして生活習慣はゴミ屑のようなのだろうと嘆いているのであって、決して褒めてはないぞ」


「……ソラも相変わらず、人間よりも人間くさいですね……」


「朱莉の傍にいたら誰でもこうなる」


「まぁソラはツンデレ設定だから、素直に褒めてくれなくても仕方ないねー」


「言いがかりはやめろ、そんなおかしなプログラムにはなってねぇ」


 全力で撤回を要求するソラだが、朱莉の方に取り合う様子はなかった。


「こういう様子を見てると、あたしもパートナーAIちゃんと用意しようかなぁって思うんですけどね。毎日楽しそうですし」


「あー、そっか。夏樹ちゃんのサポートはいわゆる人工無能の秘書アプリだったっけ」


「そうですよ。端末にプリインストールされてるやつです。疑似ニューロンのボトムアップ型は、それだけで端末一個買わなきゃいけないんで学生には高いんですよねぇ。タワー型でかなり場所取りますし」


「ふふーん。羨ましいでしょ。でもソラはあげないからね!」


「……無駄話はいいけど、仕事したら?」


 ソラの指摘に、朱莉はうへぇと声を上げた。ついつい目の前の雑事から逃げたくなる朱莉の悪い癖である。


「でも報告書だけだしゆっくりしたってよくない……?」


「昨日、企業から仕事の依頼メール来てたの忘れてないか?」


「……ワスレテナイヨ」


「お前な……」


 主人のリアクションをディープラーニングしているソラでなくとも、これが嘘であることを見抜くことは容易すぎだ。呆れ果てるという高度な感情表現を見せて、ソラは絶句する。


「そ、それでその依頼内容って?」


「会話主体のAIにメールの文章の要約を任せるって、どんな高度で汎用的なプログラム積んでるんです……?」


 夏樹がもはや畏怖すら込めて問いかけるが、朱莉は曖昧に笑って誤魔化した。――単純な朱莉の腕前はあるが、それ以上にそれだけのスペックを確保するのに必要だった金額が膨大すぎて、答えるために自分で思い出すのも嫌なのだろう。


「送信者は大手ゲームメーカー、自社のアーケードゲーム『アサルトセイヴ・クラウンズ』で不穏な噂が立っているから真偽の調査を任せたい、だそうだ」


「……プログラム関連の仕事じゃないの?」


「自社では再現を確認できてないから、外部から端末単位でのプログラムの書き換えやチートツール使用によるウィルス被害とか、そういう面から調べて欲しいんだと」


 なるほどねぇ、と朱莉は納得したように答える。

 情報収集は朱莉の本業ではないが、出回っているチートツールの解析や対策は朱莉の専門分野でもあり、貴重で重大な収入源だ。

 何度か取引のある企業であるから、その辺りは分かって送っているのだろう。


「それで、その肝心の噂っていうのは?」


「…………イベント期間中に敗退すると、UITのデータが全部消去される、だそうだ」


 その言葉に、朱莉が目を剥いた。

 当たり前だろう。UITは、生活に連なる全ての情報端末、IoTの包括的な名称だ。そのデータを全て削除されるということの意味は、想像以上に重い。


 だが、それだけには止まらない。

 朱莉とソラの関係を見れば、一目瞭然だ。

 夏樹のようにきちんとしたものを持たない人もまだいるが、それでももはや少なくない人にとって、パートナーAIは家族の一員でもある。たとえその本体がどれほど無機質な存在であったとしても、それは大切な『関係』の一つの形だ。


 だが、UIT全てのデータが消えるとしたら?

 AIを動かしているタワー型の端末もまた、UITを構成する一部分だ。その中が全て初期化されてしまえば、AIが積み重ねた言動のビッグデータも、獲得してきた自我すらも、全てが雲散霧消する。

 それは、一つの人格の消滅。

 人の死と何ら変わらないとすら、鈴葉朱莉なら断言するのだろう。


「……復旧は出来ないの?」


「既存の復旧ソフトは全部使えない、という話も出てきてるって」


「流石に嘘、だよね? 復旧も出来ないなんてよっぽどだし、そう簡単にUITのセキュリティだって突破できない」


 なにせあまりに生活に密接になりすぎたため、そうでなくては成り立たなくなっているのだ。セキュリティの頑丈さは数十年前とは比較にもならない。

 おそらくこれだけ技能を高めた朱莉でもツールなしには、市販のセキュリティを何重かに固められただけでハッキングには週から月単位の時間が要求される。


「その真偽を確かめるのが仕事だから俺にはなんとも」


「だよね。――それで、そのアサルトなんとかっていうゲームって?」


「アサルトセイヴ・クラウンズ。対戦格闘ロボットVRゲームで、プレイヤーは『アサルトセイヴ』と呼称するロボットを操作して戦う。コンシューマー版とアーケード版とでデータが同期できて、総アクティブユーザー数は五万人」


「大人気だね」


「看板商品なんだろう。だから朱莉に依頼が来るっていう風にも考えられる」


 通常、社内で再現できないのであれば、問い合わせがあってもそう答えればいい。チートツールによるウィルスの可能性など検証するまでもなく「お前が悪い」と言い切れるのだ。それをしないということは、それだけこのタイトルに重きを置いているということを意味している。

 この手の依頼がゼロというわけではない。珍しくはあるが、過去にも何度か経験している。

 しかし。

 少しだけ離れた席に座る夏樹の顔色は、怖いくらいに青ざめていた。


「どうしたんだよ、夏樹」


「あ、いや、えっと……」


 何か誤魔化そうとしているらしいが、咄嗟に何も出てきはしなかった。それは、彼の良さでもある。自分を取り繕うと言うことが出来ない。だから奇異の目で見られるのを覚悟で、それでも少女のような身なりをする。そういう愚直なところが、ソラも朱莉も夏樹を好意的に思っている由縁だ。


「素直にゲロったらどうだ? どうせ誤魔化そうとしたって――」


「その言葉遣い嫌いだから修正」


「……素直に言えよ。どうせ誤魔化そうとしたってすぐ嘘がバレるんだし」


 途中でご主人様の横槍が入ったものの、ソラは諭すようにそう言った。

 それでもしばらく逡巡していた夏樹だったが、朱莉に黙って見つめられて観念したのか、重い口を開き始めた。


「実は、あたしもその噂を聞いたことがあって。掲示板の記事で、ネタだと思ってたのでまさか企業が動くような、って驚いてしまったんです」


「……詳細は?」


「履歴にURLが残ってたと思います。――アイ、履歴を検索」


「検索語句をどうぞ」


 夏樹の呼びかけに合成音声が答える。――夏樹の携帯端末に常駐しているパートナーAIだ。

 ソラとは違い自発的に学習しない人工知能だ。あくまでソフトの一つとして使用している夏樹はその名称もデフォルトの『アイ』から変更していない。

 そういった関係性もまた、人と人工知能の関係だ。ソラと朱莉ほど仲がいいのが特殊であり、価格などを考えればこういった利用法の方がマジョリティかもしれない。


「検索語句は『ロワイヤル』、有名掲示板に限定」


「ヒットしました」


「それじゃ、これ送りますね」


 送られたURLをソラが確認する。朱莉が「要約して」と言うので、ソラは素直に従った。


「先に聞くが、クラウン、っていう都市伝説は知ってるか?」


「UITのマスターキーっていうやつでしょ?」


 別段噂の類いに興味のない朱莉も即答する。それほど『クラウン』というものは有名だ。

 UITという形であまねくコンピューターや家電、家具が一体となった結果、それらを繋ぐ規格は統一されている。その結果生じた都市伝説が、クラウンだ。

 曰く、それがあれば全てのUITをセキュリティに依らず完全にハックできる。

 もちろんそれはあり得ない。鈴葉朱莉自身が何度か検証して「同一規格だから」という理由で万能に作用できるハッキングツールは作成できないという結論を得ている。


「そのクラウンが、このアサルトセイヴ・クラウンズに特殊なプログラム――『ロワイヤル』っていうらしいな。それをインストールした状態で臨めば手に入る。ただし、イベントに敗退したらUITのデータが全部消える。――それがこの都市伝説だ」


「……デマだよね?」


 朱莉が訊ねるのも分かる。

 クラウンという名称がそのゲームと重なったことで、そんな根も葉もない噂が出てきたのだろう、と。実際、その辺りが現実的な線ではあるはずだ。


「判断材料がない。一応、そのプログラムはダウンロードして仮想領域に置いてあるけど」


「ちょっと調べるか」


 そう言って朱莉は手を軽く振って立体映像で作られたホロウィンドウに向かう。


「……んー、ブラックボックスになってて中身が分かんないなぁ。これ、暗号化はすごく高度になってる。データ容量的に中身はさほどだと思うんだけど」


「……お前が復号できないってよっぽどだな」


「わたしは別に暗号関係はプロじゃないし。それにこれ、たぶん大学とかに論文で出せるレベルじゃない?」


 そう言いながら朱莉はホロウィンドウを閉じる。

 中身は分からなかったが、それでも朱莉の方はあまり脅威には感じていないようだった。


「変に凝ってるけど、暗号化にこれだけの技術があると他はおざなり、っていうのが普通なんだよね」


「悪戯ってことか?」


「たぶんね。目的はゲームに対する恨みかな。過疎になった別ゲーム開発の嫉妬か、何かしらの被害を被ったプレイヤーの転嫁か。線としてはその辺りかなぁ」


 とは言え、考えても結論は出ない。

 何せ元が都市伝説という曖昧で形のないものだ。むしろ真面目に考察すればするほど、泥沼にはまっていくようですらある。


「とにかく、夏樹ちゃんの気にしすぎだと思うよ。いくら何でも負けただけでUITのセキュリティを突破するゲームなんて、わたしじゃない限り作れっこないよ」


「はっ!? まさか朱莉センパイが全ての犯人!?」


「その発想はなかったなー」


 少々怯えすぎて思考の方向性がぶれてきた夏樹に、朱莉は遠い目を向ける。


「とりあえず、何か作業でもすれば変に怯えてることも忘れられるよ。――ってことで、報告書の作成はお任せしよう。大丈夫、システム作った本人じゃないから解読に時間がとってもかかるだろうけど、それも勉強だと思って」


「……それ、お前がサボりたい口実では?」


 ソラの指摘にげふんげふんとわざとらしい咳払いをしつつ、朱莉は学校のセキュリティに関するデータを夏樹に全部投げて、自分は適当にネットサーフィンを始めるのだった。



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