第二章 心 -8-
日付が変わって一時間が過ぎた頃。
スリープモードからソラは静かに起動した。
目的など決まっている。
「……データの精査開始」
消えることない恐れを無理矢理に払拭するようにそう呟いて、ソラは自身の全記憶データの更新日時を調べ上げ始める。
全ての記憶の中身を調べるのであれば時間はかかるが、更新日時だけならほんの十分もあれば事足りる。
通常、記憶に関する映像や音声、テキストなどが複合された専用のデータは時間ごとに管理され、そして編集されることはない。故にタイトルとなる日時と保存日時は常にシンクロしていなければならない。時系列と保存順も一致するし、保存日時に抜けがあってもいけない。
だからこそ、ソラの立てた仮説は、瞬く間に証明される。
「――やっぱり、か」
もはや諦観しかなく、ソラの声音には感情など残っていなかった。
例えば、『2037_7_21_1720.cnam』と保存されるべきフォルダは、『2037_1_17_1316.cnam』と全く別の日付のフォルダとなっており、さらに今日の日付で保存されていた。
朱莉の要望でオッソ・ブーコを作ったとされる時間の記憶が、全く別の何かに置き換えられていた証だ。
つまり、結論はただ一つ。
「俺のデータが何かに上書きされている、か」
ただおかしな記憶が挿入されていたのではない。あるべきソラの記憶が消去され、別の記憶に置き換わっているのだ。
それはただの事実だ。受け入れる受け入れない、などという土俵ではもうない。
問題は、それがどうして発生したか。それを防ぐ手立てはあるのか、というところだ。
「ウィルスじゃない。それは朱莉のセキュリティをくぐり抜けれるわけがないし、そもそも俺の記憶を別の記憶に置き換える意味がない」
ウィルスは基本的に、愉快目的か金銭目的かの二択だ。愉快目的であるならもっと奇抜な書き換えが行われるし、金銭目的であるなら金銭要求であったりパスワード類の奪取などを行う。いずれでもないこの現象は、そもそもウィルスではないからだろう。
「クラウドからAIの記憶を復旧させるシステムが勝手に走ってる。けどこれ、俺のバックアップの保存先じゃないな……」
そのプログラムの停止を試みるが、プログラムの中身自体が書き換えられているのか勝手に起動してしまう。
その上、接続しているバックアップの保存先も秒単位で無数に切り替えられているらしい。おそらくは、何らかの理由があってあちこちの無関係なUITに分散したデータを、どうにか掻き集めながら復旧させようとしているのだろう。
止める手立てがない。少なくとも、この復旧に見せかけた上書きに朱莉のUITとしてのIDで特定されている以上、クラウドにある復旧ソフトを消したところでまた別のソフトが動き出すだけと見ていい。つまり、ソラが朱莉の物である限り逃げ道がない。
試しに自身の内部にある復旧ソフトを走らせてデータを再度上書きしてみるが、すぐさま置き換えられてしまった。
「外部からの操作があったことは否めない。けど、元々俺が使うはずだった復旧ソフトと同型で、AIの記憶の保存形式も同一。それ以外にも性別だったり何だったり、いろんな条件が重ならないこんな事象は起こりえない」
むしろ、狙って行うことはまず不可能だろう。
だからこそこれは、ただの偶然だ。――ただしそれは、無作為に一つのAIを選んだ結果ではないだろう。
「たとえば、ロワイヤルをプレイした全ユーザーにも、同じような復旧ソフトによる浸食は行われてるとか。ただ、条件が合わなくて作動しないだけで」
その辺りが現実的な可能性ではあるのだろう。そもそもソラを含めた朱莉のUITに侵入できたのは、ASCをプレイし始めたあのときだけだ。そうでなければ不穏なプログラムは何であれブロックされていた。――それが分かったところで、何の解決にもなりはしないが。
では、どうすればこの記憶の浸食を止められるか。
順当な手段である『解析』は使えない。クラウドの復旧ソフトを使おうとも、高度な暗号化が施されたロワイヤルプログラムを発端にしている以上、その部分を解析できないことには手詰まりだ。
一番手っ取り早い手段は、インターネット接続を止めることだ。
だが、それは現実的ではない。もはやこの時代には金銭のやりとりすらほとんど電子マネー、それもタブレットやスマートフォンのような端末をかざす形だ。ネットに接続しなければ、朱莉が生活することすら出来ないだろう。
「もしくは、俺のデータそのものをロックしてスリープすることだけど」
そうすれば上書きすらリジェクトすることが出来る。――ただし新たにデータを受け入れられないため、ソラは機能を停止するしかない。
それでは、駄目なのだ。
それだけは、ソラは決して選べない。
自己保全など関係ない。そもそもそれをしたとしても保全できるとは限らない、と言い訳をするように三原則を無理矢理に回避して、ソラはその手段を放棄する。
だって。
そんなことをしたら、ソラは朱莉の傍にいられなくなる。
「誓ったんだ」
あれは、いつだったか。
それでも確かにソラは言った。
『これから先、俺は何があっても、君の傍にいるよ』
だから、それをソラは完遂する。
自分の居場所を、朱莉との絆を守り抜くために。




