第二章 心 -7-
一日中屋内で過ごしていたからか、はたまた朝から厚い雲に覆われていたからか。気付けばとっくに夕暮れを過ぎていた。
「……で、ミウのSNSアカウントは見つかったか?」
「そんなすぐさまヒットしないですよ……」
タブレットを操作しながらあれこれとキーワードを取っ替え引っ替えにして検索し続ける夏樹は、少し疲れたように息を吐いた。
現状、朱莉も夏樹もポイントを失った状態だ。このまま一敗でもすればロワイヤルプログラムにより、UITの全てのデータが初期化されてしまう。
まして朱莉は勝率がかなり高い状態にある。同じレベル帯でマッチングされれば、そのまま敗北に繋がることさえあり得る。
身動きが取れない以上、夏樹の情報だけが頼りなのだが、それもまだ芳しくないようだった。
「それなりに『ぽい』アカウントなら見つけたんですけど、まだまだですね。この中から絞っていくべきか、もう少し候補を洗うべきか。――この辺りは長年の勘ってやつですね」
「けど、手順は結構システマティゼーションされてるみたいだし。――これ、わたしがプログラム組んでみようかな」
「やめとけよ。今のロワイヤル以上に悪用される未来しか待ってねぇぞ、それ」
「それもそうかぁ……」
なんていいながらも、朱莉の頭の中にはおおよその骨組みくらいは出来ているのだろう。
「――それにしても、そのミウって何なんだろうね?」
「何、とは?」
「ソラの話じゃ、そのミウは一度、無茶な戦闘を繰り返して二連敗、そのまま敗退してる。――でも、敗者が復活できるならこのロワイヤルは成り立たないよ」
その朱莉の指摘ももっともだ。
二連続で負けてしまえば、全てのUITのデータが削除される。ならばそれ以降は失うものなど何もなく、戦いに興じることが出来るのだ。イベントはクオータリーで開催される。次のイベント時に勝てば、叶う願いの中に失ったデータの復旧を望むことも付け加えれば、理論上は損失が出ない。
そうなってしまえばロワイヤルのシステムは破綻する。そもそも誰も彼もが敗退を気にせずに戦うのであれば、それはただの地獄絵図にしかならないだろう。
だからこそ、敗者には復活する手段がないと見るべきだ。
しかしミウはその仮説を打ち破って、そこにいる。
「これは何か大きなヒントかも知れないよね。――ミウはホストと何らかの繋がりがある、と見た方がいいかも」
「先入観を持ちすぎると危険な気もするけどな……」
実際、夏樹が拒否できないバトル申請を送ったように、様々な形で抜け道は存在している。あまり型にはまった思考ばかりをしていると逆に真実から遠ざかることもあるだろう。
そんなことを話しているうちに、壁に掛けられたデジタルのアナログ風時計から鳩が飛び出す。七時の合図だ。
「オーケー。もうお帰りの時間だぞ、夏樹」
「――あのー。頑張っているあたしにご褒美的な感じで夕食を一緒に、とか、あわよくばお泊まり、とか――……」
「たとえ今日が空前絶後の大嵐でも放り出すから安心しろ」
「鬼なんです!?」
涙目でしばらく抗議を続ける夏樹だったが、ソラに取り合う気はない。五分ほどいがみ合っていたが夏樹の方が折れ、仕方なく哀愁漂う背中を見せつけながら玄関を出て行った。
「――別に夏樹ちゃんも一緒に食べて帰ればいいのに」
「こんな時間まで男と一緒にいるなんてお父さん許しませんよ」
「いつからお父さんになったのかな……」
半ば呆れつつ、朱莉は食卓についてソラの料理が並ぶのを待っていた。――いまから調理するのだからまだまだ時間がかかるのだが、その辺りは子供のようだった。
「それで、朱莉はなに食べたい?」
「んー。この前の、なんだっけ? すね肉の煮込んだやつ」
「……? どれのことだよ」
「あれだってば。えっと、そう! オッソ・ブーコ」
ポン、と朱莉は手を打った。
そして、ソラは言葉を失った。
そんな名前の料理を、ソラは知らない。
ぞっと、ありももしないのに体中を冷たい何かが張っているような感覚があった。
朱莉の料理はソラが作る。外食以外で例外はない。だからこそ、朱莉が食べたものの中でソラの知らないメニューなど存在し得ない。
忘却もまた。ソラはAIであり、疑似ニューロンなどと人間に近い構造を作ろうとも、記憶の管理は従来のコンピュータと変わらない。タスクの優先順位が落ちることはあっても、ユーザーが取捨選択しない限り、データそのものが消えることはない。――破損した場合は『破損した状態』で残り続ける訳で、インデックスたるタイトルがソラの検索から外れることは非常に低い可能性だ。
――一瞬でそこまでの否定を並べて、しかしそれが現実であると悟ったソラは、真っ先に感情のパラメータを偽装して音声エンジンを動かした。
「ったく。あれ作ったの一週間も前じゃないぞ」
呆れたような声音を上手く作れたと思う。ソラの記憶に『オッソ・ブーコ』なる料理名もレシピも残っていないが、自動調理機の履歴には残されていた。それを頼りに、適当なリアクションも偽造していた。
――全ては、自分のために。
気付きたくなどない、認めたくなどない事実から、少しでも目を背けるために。
「今日は和食。そう決めた」
「マスターの言葉を聞かないAIってどうなの……? まぁいいんだけどさ……」
渋々引き下がる朱莉を眺めながら、冷たい箱の中でソラという人格は恐怖に打ちひしがれていた。
この記憶の忘却は、こんな些細な事柄だけで済むのか。
答えなんて、分かり切っている。
自身がAIでよかったと、ソラは心の底から思う。
もしも自分が人間だったならきっと、全身が震えてうずくまることを、崩れ落ちるような表情を、隠すことなど出来なかっただろうから。




