2、スマッシュ
「ちょ、ちょっと待って! 宅原くんは、そ、その、本気で番匠先輩に、ほ、ほの字になっちゃったの!?」
「ほの字って古くない?」
「いいからっ! 茶化さないで答えて!!」
普段のミミからは想像もできない真剣な表情だ。さすがに茶化すのも悪いのでコチラも真面目に答える事にする。
「そうだなぁ。たぶんだけど……その、好き、なんだと思う」
「たぶん? あやふやだね?」
ミミにそう言われても仕方がない。自分でもこの気持ちの正体が一体何なのか正直よく分かっていないのだから。分かるのは、先輩のあの姿が脳裏から離れないということだけだ。
そうして、ミミと話していた時、ふと思い出した。
__ココがどこで今何をしているのかを
そりゃあ、少し離れているとは言え体育館だ。もちろん声は響く。
それに先程、ミミは大声で何か言わなかったか?
気がつけば一部の部員を除き、ほぼ全員がこちらに奇異の視線を集中させていた。
「何あの子たち、一年生みたいだけど」
「ほら、あっちの女の子の方って新しく入ったマネージャーの……」
「あぁ、あっちの方のマネージャーだ」
「そうそう。横の男の子は入部希望の子かな?」
「何か、旋に気があるみたいなこと言ってなかった?」
「クスクス。旋〜、お客様みたいだよ」
…………。
ミミが何を大声で口走ったのかに思い至ったとき、俺の脳内は真っ白だった。
やけに女子が多かったのもダメージが大きい要因の一つだろう。
「あら? ミミちゃんじゃない。どうしたの? 何かこっちの方に用事?」
番匠旋先輩が目の前にいた。
一瞬前まではバクバクいっていたはずなのに、いつのまにか心臓の音は聞こえなくなっていた。
今思えば、あの時の俺は熱に浮かされていたようだったと思う。
「ン? そっちの子は新しい入部希望の子かな? それなら__」
「番匠先輩っ!」
「……っ?! び、ビックリした。急にどうしたの?」
__俺は何を言おうとしたんだっけ?
そうだ。あのすごく美しいスイングを賞賛したくて、、、アレ? でも俺は番匠先輩が好きで、アレ?
目の前で首を傾げている番匠先輩を見て、もどかしい気持ちになった俺は慌てて言葉を紡いだ。
「番匠先輩! あの、その、、すごく……そう! すごく綺麗だって思いました! 俺、先輩が大好きです!! 大ファンです!!」
(※ 先輩のスイングすごく綺麗でした!! 先輩の卓球している姿、カッコよくて大ファンになりました!)
自分で自分が何を言っているのか、まったく分からなかった。ただ、心に浮かんだフレーズをそのままに伝えたはずだ。
ただ微かに覚えているのは、周囲がシンと静まり返ったことと、みんな例外なく揃って鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたことくらいだ。
「そ、そ、そそそそ、、そうなんだ。あ、その、ありがとう。で、でも、そのアレじゃない? 初対面だし、お互いの名前も、知らないし……その…………」
「俺、宅原歩夢って言います! 初対面なんて関係ないですよ!! 先輩に一目惚れしました。こんな気持ち初めてですけど、先輩から目が離せませんでした!」
(※ あっ、宅原歩夢っていいます。初対面なんて関係なく、先輩のスイングに一目惚れしたんです。こんなにスポーツでワクワクしたの初めてだけど、先輩のフォームは素人目にも目が離せないほど惹きつけられました!)
「ひゃっ?! そ、そうなんだ。そこまで……」
脳内で考えるよりも前に言葉が溢れ出してくる。俺のこの感動を少しでも先輩に伝えたくて、必死に言葉を紡いでいく。
そして……、
「先輩! 俺、初めてですけど、下手くそだと思うけど……先輩としてみたいですっ!! いや、先輩とじゃなきゃ駄目なんです!」
(※ 初心者なんですけど、いつか先輩と卓球してみたいです!)
________。
そこまでを言い終えた俺は、ふぅと一息つく。
全員固まっていることに、そこはかとなく違和感を感じたが自分が感じたことはしっかり言葉にできたはずだ。
「__へぇ。君、私の体が目当てなんだ?」
「へ?」
周囲の空気が一変した。体育館中に漂っていた空気とも違う。もっと、重たく息苦しい空気だ。何もしていないにも関わらず身体中から汗が止まらない。
「ちょうどいいわ。君、入部希望なのよね? 私が入部テストしてあげる」
「入部、テスト?」
「えぇ。普段はそんな事はしないんだけど、君には入部テストを受けてもらいます。本来なら、君の相手は男子に頼むのが筋なんでしょうけど。__私が相手じゃご不満かしら?」
「え、えぇと。つかぬ事をお聞きしますが……何の相手で?」
「何を寝ぼけたことを言っているの? __卓球に決まってるじゃない。初心者みたいだから、勿論ハンデはつけるし私に勝たなくても入部はさせてあげる。どうかしら?」
おぉ、こんなにも早く先輩と卓球ができるなんて! やっぱり何でも言ってみるものだな。入部がどうとかは後で考えればいいだろう。今は先輩と卓球できるチャンスを逃したくはない。
「是非! 是非お願いします!!」
「決まりね。それじゃ、ルールを説明するわね」
一、宅原歩夢のサーブに関しては、公式ルールを適用しないものとする
二、番匠旋側は現行の公式ルール同様11点、宅原歩夢側は5点で1セットとなる
三、以上のルールを踏まえ、1セット先取した者が勝利
「こんなものかな。君はこのルールで不足はないかしら?」
「はいっ。大丈夫です!」
「そう。なら、早速始めましょうか」
「はいっ!」
「ミミちゃんには審判をお願いするわ。いいわよね?」
「……わかりました」
こうして異様な空気のまま、俺の入部テストは始まった。
「ラケットは部のラケットを貸してあげる。シェークだけど問題ないわよね?」
「しぇ、シェーク? は、はい。たぶん大丈夫です」
「__本当に初心者なのね。ミミちゃん」
「はい。ではこれより、宅原くんの入部テスト試合を始めます」
「よろしくお願いします」
先輩が綺麗な姿勢でお辞儀をした。見とれていた俺も、追従し頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします」
その後のじゃんけんの結果、サーブは俺からとなった。
よしっ、球が落ちないようにしっかりと握りしめて……
「あっ」
「ミミちゃん、止めなくていいわ。そういうルールだから」
何か失敗したみたいだ。だけど、卓球のルールを知らない俺には何が間違っているのか知る由もなく。ピン球を握りしめたまま、勢いよくラケットに叩きつける!
よしっ、勢いよく先輩のコートに入った! これなら__
____スパァンッ
「……えっ?」
「ハンデをあげるとは言ったけど、手加減するとは言ってないわよ。全力で来なさい、叩き潰してあげる」
「…………っ」
まずい、球の軌道が殆ど見えなかった。
このままじゃ、簡単に負ける! 考えろ、もっと深く考えるんだ!
「くっ、これなら……」
__パシュンッ
先程よりも少し右側、真ん中よりにサーブしたのだが、軽く球の外側に回り込んで撃ち抜かれてしまった。
サーブは二球交代で次は先輩のサーブからだ。ミミが掲げているスコアボードの『0ー2』という数字を見て焦燥感が募る。このままでは、先輩との試合が呆気ないままに終わってしまいそうだからだ。
いや、このままでは確実にそうなるだろう。
番匠先輩のサーブだ。俺は、一挙手一投足を見逃さないように集中していた。
先輩のサーブは、俺とは違い手を開いていた。掌を上にして、その上に乗せるようにしてピン球があった。
「サーブはね、本来ピン球を握り込んではいけないの。こうして、掌の上にそっと乗せてから行うものなのよ。あっ、心配しなくても球を握ってサーブしても反則を取ることはないわ。そういうルールだしね」
疑問が顔に出ていたのか先輩が説明してくれた。だが、先輩の説明のおかげで先程ミミが声を上げた理由が分かった。俺が球を握りしめてサーブをしたから、止めるべきか悩んだのだろう。
「……フゥ、あとはこう、ピン球を15cm以上トスして__ッシ!」
説明の途中で実演するように放たれたサーブは、スピードも遅く簡単に返せそうだった。
(あれ? サーブ、失敗したのか? でも、これなら俺でも返せそうだ!)
球の軌道上にラケットを持っていき、球を待ち構える。
そして、ピン球がラケットに当たろうと____スカッ
「へっ? アレ、なんで空振りして……え?」
球はラケットに当たる直前に、まるで意思を持っているかのように紙一重でラケットを避けていた。
コンコン、と球が台上から落ちてバウンドしていた。
いやにその音が響いて聞こえてくる。
「……君、確か宅原くん、だったよね。分かったかしら? コレがサーブよ?」
「…………」
俺は何も言えなかった。言える訳がない。
何だよ、アレ。あんなものを、狙って出来るんだとしたら勝ち負け以前の問題だ。そもそも、勝負にすらならないだろう。それに、アレが全力のサーブということもないだろう。その証拠に、先輩はまるでコチラを試すような、測っているような表情をしているのだから。
最悪な状況だ。絶望的な勝率だ。コチラは5点だからハンデがある、って? そうだな。俺も、5点取ればいいだけだからまだ勝機が残されていると、あのサーブを見るまではそう思っていた。
だが、アレは無理だ。それほど実力の差を見せつけられた。
最早今の俺には、ハンデとして与えられた5点が、実力の差を際立たせるための演出にしか感じなかった。
「今のサーブは、話している途中で打ったから得点には加算しなくていいわ」
審判であるミミに、先輩がそう持ち掛けていた。
だが、俺は先輩が、初心者である俺のことを思ってのことではないと確信していた。先輩は卓球に対してどこまでも真摯なのだろう。
先輩の態度の節々から、そう伝わってきた。
「仕切り直しましょうか。先に断っておくけど、次からは本気でサーブを出すから」
「番匠先輩!? 流石に初心者ですし、その……」
「__なに? もしかして、ミミちゃんは卓球で手を抜けって言ってるの? この私に?」
「え!? いや、そこまでは、その……」
「ミミちゃん。今のあなたは審判なのよ? 審判は中立の立場であるべきだと思うんだけど__違う?」
「……っ。すいません」
「いいのよ。引き続き審判をお願いね」
「……了解です」
この会話はもちろん俺の耳にも届いていたが、その内容はまったく頭に入ってきてなかった。
俺の視線はずっと先輩の手元を凝視していた。
先輩の全力のサーブ、一体どんなサーブが放たれるのだろうか。想像もつかないからこそ集中を切らすわけにはいかない。
「待たせてごめんなさい。それじゃあ、今度こそいくわ……フゥ__サァッ!」
先輩のサーブは、真ん中やや右寄りな軌道だった。球速は先程よりも少し速いと感じる程度。
だが、今度は油断しない!
先ほどと同様、球の軌道上にラケットを構える。
(思い出せ! さっきまで見ていた、先輩や他の部員の人たちの振りを!)
体が勝手に動いたとしか言いようがなかった。ただ、一つだけ確かなことは__先輩のサーブを返球できた、という事実だけだ。
(よっし! ここから反撃を__)
__パシィインッ
何が起きたのか、まったく分からなかった。
サーブは確かに返球できたはずだ。だが、そこから何が起きたのか微塵も理解できなかったのだ。
今の球速、まったく反応できなかった。それほどの速さだった。
それに、アレは俺が魅入っていた先輩のスイングだ。美しく無駄がない洗練されたフォーム。
やはり、あのフォーム……
「……綺麗だ」
「まだ懲りてないのかしら? 私のスマッシュを見てもまだ……やる気はあるみたいね」
「……スマッシュ」
そうか、アレがスマッシュだったのか。名前くらいは知っていたが、実際に見たことがなかったため分からなかった。
俺の胸中はただ一つのことで、埋め尽くされていた。
__打ちたい!! 俺も、スマッシュを!
先輩のスマッシュは俺には真似することは出来ないだろう。俺の関節があんなに滑らかに動くとは思えない。
しかし、どうしてもスマッシュを打ちたい俺は必死に知恵をふり絞った。
(何かないか! 何か何か何か何か……そういえば、番匠先輩のスマッシュが印象に残りすぎてて思い出せなかったけど、他にもスマッシュ打ってた人がいたような……)
「二本目いくわよ__ッシ」
思考の波に呑まれていくが、先輩の二本目のサーブが放たれた。しかし、ここで思考を放棄したら駄目だと更に集中力を上げる。
体験したことがない感覚だ。まるで、時間がゆっくりと流れているような、そんな未知の感覚。
__でも、嫌な感じはしないな
その時の俺は、まず反射で体が動いて、その後を思考が追いかけているようだった。
(そうだ、そうだよ。先輩の前に見てた部員の人、確か持ち方が違った。あの人は、そう。こんな感じで__)
思考はしているが何を考えているのか、自分で理解できないような。ただひたすらにクリアな思考の中で、俺は思考を加速させていく。
__このまま負けるくらいなら、この試合に、変化を!!
「うぉぉおぉ!」
意図して声を出した訳ではない。自然と声が出ていた。
頭の中では、ひたすらスマッシュの光景がリフレインし続けていた。
(勝てなくてもいい! でも、せめて一本、スマッシュが打ちたい!)
身体は自然とそのフォームを形作っていった。
腕を後ろに引きつけ、身体の右側を半歩下げる。
__部員の人のスマッシュはもっと思いっきり溜めていた!
脳内の光景を反芻しつつズレを修正していく。
__先輩の最初のスマッシュは体に無駄な力が入ってなかった!
俺が魅入ったスマッシュは、こんなに力を込めていなかったはずだ。身体から余計な力が抜けていく。
__さっき見たスマッシュは……腰を軸にして全身を使って打っていた!
____先輩の打ったサーブがすぐそこまで迫っていた
先輩の放ったサーブの軌道を、ほとんど直感で予想する。ピン球が予想通りの軌道を描き、コチラに迫ってくる。
(いっけぇぇぇエエェッえええぇッえええぇッえっっっっっっっっっっ!!!!!!!)
「__ッシ!!!」
スロモーションの世界で俺が視認できたのは、驚いた顔をしたミミと、楽しそうな顔でラケットを顔の前で構える番匠先輩の姿だった。
俺の人生初のスマッシュは、見事に番匠先輩のコートに突き刺さり……そして__
____それ以上の速度でこちらのコートに返ってきた