1、海原を貫く一条の閃光の如し
本格的に卓球し始めるのは次話からです
「もう! 歩夢のせいで完っ全に遅刻じゃない!!」
「だから〜! 何度も謝っただろう、ゴメンて」
現在、俺は全力で走っていた。この勢いなら、100メートル走で自己ベスト記録が出るだろうというくらいには全力で走っていた。
「駄目っ! 全然、誠意が感じられない!! それに、この前もそう言って遅れたんじゃない!」
全力疾走する俺の傍らで、並んで走る少女の姿があった。
「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。こんなに気持ちがいい朝なのに、もったいないぜ?」
「……だ…………よ」
「ン? 何か言ったか?」
「誰のせいだ、つってんのよッ!! このバカ!」
「……っ、急に耳元で大声出すなよな」
ふんっ、と少女はそこから更にスピードを上げ加速していく。勿論、今現在が自身のトップスピードである俺が追いつけるはずもなく……。
「さすが陸上部だな。もう、あんなとこまで行ってるよ…………アレ? これって……まさか俺、置いて行かれた感じ?」
そこからの俺は、気分は某有名陸上選手であるウサ○ンボ○トになったつもりで通学路を駆け抜けた。
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「はぁ、あれだけ急いだのに遅刻って……なんか損した気分だ」
結局、俺は間に合わなかった。あれだけ全力でダッシュしたにも関わらず数分ほどオーバーしたのだ。
「おうおう、宅原くんよぉ。今日は嫁と一緒じゃなかったのかい? ニシシ」
「ミミ、俺は今凄まじく疲れているんだ。その嫁とやらに置いて行かれたせいでな」
「にゃはははは。さすが、ビーナだね! 宅原くんもずっとそんな調子じゃ、いずれビーナに愛想尽かされるかもよ?」
朝からテンション高めなコイツは西條ミミ。彼女は愛嬌があり、人懐っこく誰彼構わず話しかける性格のため、このクラスのマスコットキャラクターのような存在だ。
「誰が嫁よ! 誰が!!」
「おっ、噂をすれば嫁が登場だぁ。おはよ〜う、ビーナ」
「おはようミミ……じゃなくて! コイツはただの幼馴染! 何度も言ってるじゃない、家が隣だから昔から知ってるってだけだって」
「ほほぉ、ふむふむ、なるほどなるほど。まっ、そういう事にしておくよ。ニシシ」
「おい、愛莉。なんでお前は遅刻してないんだ。お前が置いていったおかげで、俺のカーボンファイバーのごとくしなやかな心に擦過傷がついたんだぞ」
「ふふん、これでも県大会優勝候補ですし? まったく傷ついてないじゃない!」
今朝、俺を置いて全力疾走をかましたこの女は愛川愛莉と言って、一応俺とは幼馴染という間柄だ。
「うんうん、今日も夫婦漫才は健在ですなぁ」
「ミミ! だからその冗談やめてって言ってるでしょう!? そのせいで私、この前話したこともない後輩から『先輩って婚約者がいるって本当ですか?』って突然聞かれたのよ! こ、このままじゃ本当に……そ、その、こ、こっこっここっっこっこ……」
「こっこっこ? 何だ鶏の真似か? ぶふっ、割と似てるな」
「こ……コブラクラッチ!!」
「へぶっ、………………ぎ、ギブ、ぎぅ……____ぶくぶくぶく」
「へ? あっ、やり過ぎちゃった。……白眼剥いてるけど、生きてるのかしらコレ」
「ふぅ〜今日も変わらず、良い一日になりそうですなぁ」
俺、宅原歩夢の運命を変えた1日はこうして幕を上げた。
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「じゃっ。私、部活だからもう行くわね。……歩夢ぅ、アンタ明日も寝坊したら……どうなるか分かってるんでしょうね?」
「ハイ。ショウチシテオリマス」
「……よろしい。ミミ、また明日〜」
「うん! ビーナも部活頑張ってね。また明日」
ようやく全ての授業が終わり、現在は放課後だ。愛莉は、部活大好き好き好きもう部活と結婚する! っていうレベルの変態なので放課後はいつも別行動なのだが、俺は違う。
俺は何と言っても皆が憧れる人気の部活、『帰宅部』所属だからな。アニメやラノベでは高校生の主人公は大体が帰宅部(偏見)だし、放課後だって自分がやりたい事を自由に行うことが出来るという素晴らしい部活なのだ!
活動内容は、スタイリッシュかつアグレッシブに交通マナーを遵守しながら帰宅する、というものだ。
す、素晴らしすぎる。なんてApplicability(応用性)がある部活なんだ。帰宅部、恐るべし。
と、無駄な思考は一旦隅に退けて、と。
「うん。暇だ」
「暇なのですかにゃ?」
「暇なのですにゃ♪」
「……男子がやっても需要はないと思う」
「「………………」」
「うん。暇だ」
「流す方向ね。OK、了解」
「あれ? そういえば、ミミって部活入ってたっけ?」
「ン〜? 言ってなかったけ? 私、一応マネージャやってるんだ〜」
「そうだったのか。初耳だな……ミミだけに」
「…………。あっ、そうだ! 暇ならウチに寄ってく? 体験入部って形なら文句も出ないと思うよ?」
「スルーしたな……う〜ん。そうだなぁ、暇だし行ってみようかな」
「よしっ、決まりね! そうと決まれば、レッツゴー!!」
こうして俺は、ミミに誘われるままに第2体育館を目指した。
____そこで、運命の出会いが待ち受けているとも知らずに
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____蒼く美しい海原に、白い一条の閃光が走ったようだった
時は10分ほど前まで遡る__
__ミミに連れられるままに第2体育館へと足を運んだ俺は、室内へと足を踏み入れた瞬間から空気の変化を敏感に感じ取っていた。
体育館に入った途端、明らかに、空気の質が変わった。例えるなら入試のような緊張感だろうか。
それに何故だろう、この体育館に入ってからずっと心臓が早鐘を打ち続けていた。
……まるで、早く先へ進めと行っているかのように。
「宅原くん? 顔色が良くないみたいだけど、大丈夫かにゃ?」
ミミが下から覗き込みながら尋ねてくる。本気で心配しているのだろう、顔が不安げだった。
丁度いいところに頭があったので何気なく撫でてみると、この人間に擬態した猫は「ふにゃ〜」という気の抜ける鳴き声を発した。じゃれついてくる猫みたいだった。
「あ、あぁ。大丈夫だ。問題ない」
「……うん、本当に大丈夫そう。それじゃ、行っくよ〜、ご開帳ぉ〜」
扉の先は、数々の青い台が展開しており、その台を挟んで真剣な顔をしている人間が相当数いた。
「むっふっふ〜、何を隠そうこの私は………のマネージャーだったのだよ! デデデデ〜ン♪
そう、あれは____」
俺はミミの話を聞いていなかった__いや、聞く余裕などなかった。
__視線だけじゃない。
閉め切っているからか、少し湿っぽいこの温度も。鼻をつく汗の匂いも。張り詰めた緊張感が漂うこの空間も。
五感全てが俺を釘付けにしたようだった。ここにきて俺の心臓は、周囲に聴こえるのではないかというレベルで早鐘を打っていた……が、今はそんなことよりも、一分一秒でも長くこの景色を脳に刻みつけておきたかった。
「ということがあって、私はマネージャーに……って、宅原くん聞いてる? ちょっと……はぁ、これは無理ですな。完全に入っちゃってる」
隣でミミが何か言っているような気がしたが、気のせいだろう。
テレビなどで見たことはある。手の平に収まるサイズの球をラケットを使って打ち合うスポーツだということくらいしか知らないが。
衝撃だった。あんなに高速で移動する球を、必死に追いすがり相手のコートに叩き込み合う姿は、とても……。
……とても、なんだ? 何だこの感じ。あんなに必死こいて頑張っているんだぜ? 今までの俺なら、必死になってスポーツしている姿を見ても、馬鹿らしいと一笑に伏したはずだ。一歩引いたところから冷めた感情で見ていたはずだ。なのに、、、
「……なんなんだよ、これ」
「おっ、やっと帰ってきたのかい? 宅原くん。質問にお答えするとね、これは__卓球、というスポーツだよ」
「……卓球」
「そっ! 卓球。宅原くんは、卓球やったことない?」
「……ないな。中学のときに体育の選択授業で卓球があったけど、ソフトボールを選択してたから」
当時の俺は、心中で卓球はもっとゆるい感じのスポーツだと思っていた。
だが、当時の卓球に対するイメージなどこの光景を見た瞬間に吹き飛んでいた。動き回る脚に、しなやかなスイングを連続して繰り返す腕。
気がつけば俺は、自分だったらどうするかをひたすらに思考していた。
__あそこに打ち返せば……いや駄目だ。あそこじゃ決定打にはならない気がする
__そこで、右に……えっ!? そっちに打ったら……やっぱりそうくるよな
__何だあの球速、ギリギリ目で追えるレベルだ……なら次は……
一体、どのくらいそうしていたのか。自分の体感では一時間はそうしていたような気がするが、後日ミミに確認してみたところ、たったの6、7分だったそうだ。それを聞いた時は、狐につままれたようだった。
____パァァンッッ!!
視線が吸い込まれるように、そちらを向いた。
青い卓球台に、良く映える茜色の髪。一切無駄がない均整のとれたプロポーション。そして何よりも、極限まで磨き上げられたかのような、しなやかなスイング。
そこから生み出されるのは、精密かつ破壊力がある一条の閃光だった。
それは、地球上のどんなものよりも美しく見えた。
__蒼い卓球台を海と例えるなら
____それは、まるで海原を貫く一条の閃光のようだった
「おやおやぁ、ニシシ。宅原くんにはビーナという可愛い奥さんがいるのになぁ。浮気は、ダ・メ・ダ・ゾ・?」
「教えてくれ、ミミ。あの人の名前は何て言うんだ?」
「……はぁ。番匠旋先輩。私たちの一つ上の先輩だよ」
「番匠……旋、先輩」
「ニシシ、まさかぁ、惚れちゃったのかにゃん?」
「あぁ、惚れちゃったみたいにゃん」
「え゛?」
____この日がすべての始まり
空っぽだった心という名の炉に、卓球という薪と、番匠旋という燃料が焼べられた日。