今更何を言いますか
婚約破棄。
文字だけで見ればたったの四文字ですが、その四文字によってある人は泣き、ある人は喜んだり、千差万別、様々な物語りがありますわね。
私にとってはあまり実感のない、薄いものでしたわ。幼すぎる頃交わされた婚約は振り返って見れば、世の女性たちが羨むような甘さなど一欠片もなく。
けれど何も苦ばかりではなかった。深窓の令嬢のようにただただ座って笑みを見せるだけでなくより広くより多くの教養を受ける事ができたのも、王太子たる婚約者と婚約したおかげ。
師と仰ぐに相応しい素晴らしい方々と巡り会えたのも。
今の私として成長し、どこに行くにも恥ずかしくはない淑女となり得たのもこの婚約あってこそ。
そう思えば惜しむ気持ちがないとは言えませんが、仕方ありません。
前々よりこうなるかもしれないと父に聞いていましたし、あちらの方からも婚約者を掠めとるような真似は控えるが、婚約者の気持ちや国王次第では直ぐにそのような運びになるだろうと窺っていましたから。
「婚約破棄、確かに承りました。今まで不甲斐ない私を婚約者と据えて頂きまして、有り難う御座います。ルーティア女王陛下の11人目の夫君になられましてもどうぞお健やかに過ごし下さいませ」
御年62歳のルーティア女王陛下は三つほど山を越えた先にある国の、尊き御身の方。
性に奔放なお国柄からか、一妻多夫制もまたその逆も然り。
また広大な土地に恵まれ、そこに住まう民や貴族たちも類い希なる力をそれぞれに持って生まれる事が多い。
その様はまるで神の国とまで称される大国。
そんな大国の女王より望まれたのだ、無碍に断るなどできまい。
祝辞を述べ、にこやかに婚約破棄を口にした元婚約者を見ていればそれはどういう意味だと問われ、小首を傾げて続けた。
女王陛下はこの国が近頃アルトラスに狙われている気配を察知し、大いにご心配なさっている。
それというのも私のお婆様が彼の方の妹姫であったからだ。お婆様は昔から体があまり強くはない方で領地で伏せっているし、娘たる我が母と孫たる私も国同士がぶつかり合えばどうなるかわからない。
あちらの国とは違ってこちらの戦力はあまり強いとは言い難いのだ。
だから女王陛下は王子のうち一人を迎え、アルトラスに侮られないようにしようと我が国に持ち掛けた。
……とはいえ、一番年上の王子は私と婚約していたし、その下となればまだ成人すらしていない幼子。
女王陛下の提案を有り難く受け入れたくとも受け取りづらい状態だった。
女王陛下自らが王子を、というのにも少なからず声が挙がった。
女王陛下の御子は娘が多く、女王陛下のお膝元、これはこれでハーレムを形成しているらしい。男も女も入り混じった大きなハーレムを。
その娘らにも御子はいるにはいるが皆王位に興味がないらしく外界へと巣立ってしまっている。
冒険者とやらになりに朝メイドが起こしに行く前に抜け出していたり。
お忍びで行った先でサーカスの一座に加わってそのまま……というのも。今、彼はサーカスの花形として各国で話題の曲芸師となっている。
他にも靴屋に惚れ込んで靴型から何から作るのに勤しんだり、オペラ歌手として日々鍛錬を行ったり。
元より縛り付けない自由な教育をという方針が一般的だがそれでもものには限度があると女王陛下も苦笑しておられましたが。
話を続けていくうちに顔色を悪くしていく元婚約者に、まさか知らされていなかったなどという事は御座いませんでしょうと尋ねるも、彼は目に見えて狼狽えてそんな事知らなかったと口にする。
有り得ない事だ。国の存亡もかかる大事を王子であった彼が知らなかった、というのは。
では何故、このような公の場で婚約破棄を言い出したのだ。
国王主催のパーティー。
その会場でいつも一緒に行動していた婚約者の学友たちをぞろぞろと引き連れて、私をきつくそのアイスブルーの瞳で見据え、高らかに高らかに。
こんな大勢の前で宣言しては取り返しがつかなくなるのは火を見るより明らかだ。
……婚約が整えば王太子としての地位も弟君に移るだろう。
なのに、彼は何を思って婚約破棄を、と考えかけたところで元婚約者の学友の一人がヒステリックに叫んだ。
彼女は確か、最近男爵の養子となったと話題の娘だ。
とても優秀だとかで学院でも話題に上がる程だったが、彼女は貴族令嬢としても優秀な生徒としても有り得ない程に滅茶苦茶な事を叫んでは髪を振り乱していた。
曰く、女王陛下と王太子が結婚するなんて有り得ない
曰く、せっかく悪役(公爵令嬢)を追い出して王妃になれると思ったのに
曰く、戦争なんて全くのでたらめに違いない、その証拠にこの国は平和そのものだと
そんな事を私に言われても。別に私がアルトラスにこの国は狙いやすい国だと先導したわけじゃ御座いませんし、女王陛下がこの国を憂いてご配慮下さったのだって女王陛下ご自身の善意ですもの。
婚約破棄についても私から何か言う事は許されていませんでしたし。……時がくれば王子より沙汰が下るだろうとしか聞かされていなかったのに、私が諸悪の根源とまで言われる筋合いはなくてよ。
婚約破棄したら他国の女王と婚約が整ったでござる
完