第1章 幕命 (7)
そこへ後藤家の下男が来客を告げた。
廊下を進む足音はかなり速い。
案内の者より先に顔をのぞかせたのは環であった。下城して兎毛や孫兵衛がここにいると聞き、やって来たらしい。
環は集まった面々に簡単な挨拶を済ませると、部屋の隅でうなだれている兎毛を横目で見つつ切り出した。
「七年詰め、家内引越しを仰せつかりました。」
一同が兎毛を振り返る。
顔を上げた兎毛は話が呑み込めていない様子である。
「おまえも行くのだ。房総へ。」
周りの者が兎毛を小突く。
悟った兎毛はうなずくが、喜ぶ様子はない。
房総へ行けるとはいうが「兄が同伴する家族」でしかないとは、自分の望みとはほど遠い。後藤の三兄弟とは扱いがまるで違う。
(部屋住みの次男坊は妻女と同じ扱いか。)
部屋中に歯ぎしりが聞こえそうな表情である。
「兎毛の腕を買っておるのかもしれんぞ。
環とともに房総へ置いておけば、いざというとき力となる。
ただ、取り立てて扶持をくれるほど余裕はないのだろう。」
五八がとりなすように言った。
子息三人を「取り立て」させ、「扶持をくれ」させることに成功した五八の言だが、兎毛は不思議と腹立たしく思わなかった。五八の人あたりの良さによるものかもしれない。
環は五八に軽く頭を下げて話題を変えた。
「ところで帰る途中、さる御重役に伺ったところでは、
どうやら、替え地があるらしいのです。
勢州、播州の御領地は御召し上げ、
新たに房総に御領地を賜る御見込みとか。」
忍藩は伊勢国、播磨国に飛び地を持っていた。石高三万石余りである。
これが没収となり、新たに警固する上総国や安房国に領地を得るというのだ。
再び一同は、ざわめき立つ。
「なるほど。自分の領地では、嫌でも守らねばならん。」
年配の者が皮肉っぽく言った。
確かにそう仕向けられていると言えなくもない。
「まあ、警衛地が御領地であったほうがよいのは確かです。」
孫兵衛がなだめるように言った。
江戸湾や房総沿岸を警固するとなれば、船や水夫を徴発する必要がある。
忍や秩父から川船や、それを操る水夫を連れて行くわけにもいかない。
会津・白河両藩が江戸湾警固を命じられたときも、同様に海岸領地を与えられている。
ともかく、もはや一時的な任務でないのは間違いなかった。
江戸湾の海岸に領地を持つということは、再び領地替えがあるまでは警固の責任を負うこととなる。奥平松平家の命運どころか、日本の命運を左右する極めて重い責任である。
今回七年任期の者がいるが、藩は短くとも七年とみているのだろう。七年ごとの交代を幾度も繰り返す可能性もある。途方もなく長い期間に感じられた。
再び沈黙が続くと、五八が解散を促した。
「さて腹が減った。
お主ら、昼飯は自分の家で食えよ。」
これから登城する者も多い。皆、足早に自邸へ戻った。