第1章 幕命 (6)
十月一日、城からの使いが百名程の藩士に対し個別に登城命令を伝えた。それぞれ日時を指定されている。
ついに房総への派遣命令であるらしいとの噂は瞬く間に広がった。
最初の組は二日の朝で、その数、十五名程であった。
その中の一人に後藤五八がいた。
孫兵衛の和田家と、五八の後藤家は浅からぬ仲である。
桑名から忍へ国替えとなったとき、忍から白河へ移った阿部家が五百名程度の家臣であったのに対し、奥平松平家には千四百名を超える家臣がいた。
阿部家は家光の小姓から成り上がったので、軍事動員を基礎とする戦国大名家に比べれば石高のわりに家臣が少なかったと思われるが、奥平松平家は、白河騒動で減封となっても家臣を減らさず、反対に石高のわりに家臣が多かった。
当然、家臣の居住する屋敷が不足するが、国替え前には他家の領地のため建設に着手できない。忍へ移ってからしばらくは数百名の家臣が豪商、豪農の家へ仮住まいしなければならなかった。
その仮住まいも数が限られており、後藤家と和田家は数か月の同居を強いられて家族のように過ごした。まだ幼かった孫兵衛は、五八を叔父のように慕って暮らしたのだった。
孫兵衛には登城命令が無かったので、五八が下城したら話を聞こうと、少し時間を置いて後藤の屋敷を訪ねることとした。
途中、兎毛がいれば同道しようと木戸の屋敷に寄った。
「マゴげも、知らせがきなかったんか。」
出迎えた兎毛は驚いたように近寄ってきた。兎毛にも登城命令はなく、環だけは登城したらしい。
お互い落胆の色は隠せない。
呼び出された者、呼び出されなかった者の名を、お互い知りうる限りあげると、あとはほとんど無言で後藤の屋敷へ向かった。
屋敷に着くと、五八はまだ留守であったため、息子達が出迎えた。
上から弥太郎、弥次郎、弥三郎の三兄弟である。
孫兵衛や兎毛より若く、国替えの時はまだ生まれていなかったが、その後何度も両家には行き来があったので、よく見知った三人である。
この三兄弟も明日以降、呼び出しを受けていると聞くと、兎毛は不満をあらわにした。
孫兵衛自身にも若干の嫉妬があったが、三兄弟に腹を立てては筋が違う。ここは兎毛をいさめるように言った。
「そう怖い顔をするな。三人とも出仕しておる。
御馬廻ではさもあろう。我らとは違うぞ。」
三兄弟とも馬廻として藩に出仕している身である。
馬廻役は藩主の身辺警護のほか、決戦兵力となる存在である。外国船や外国軍隊との戦闘も視野にある以上、派遣の中枢を担ってしかるべきである。
昼過ぎに五八が戻ると、近所の藩士達が更に続々と集まってきた。
「登城すると、鳥居様の所へ呼ばれてな。」
鳥居とは、家老の鳥居強右衛門である。
五八は少し間をおいて一同を見渡してから続けた。
「房総詰め、七か年を仰せつかった。」
「七か年。」
皆、息をのむ。
半年程度の交代制と考えていた者が多かったため、七年というのは意外であった。参勤交代も関東諸藩は半年おきである。
集まった者達は左右と顔を見合わせ、ざわざわと小声で話しだした。
五八の話では、派遣任期は一年か七年で、七年任期は原則として家族を伴って移住するということだった。
参勤交代では、藩主に随従する勤番藩士と、江戸に定住する定府藩士がいるのだが、七年任期というのは、この定府藩士にあたるものと考えられた。
房総へ常駐して有事に備えるのだろう。
妻や老齢の母親を連れて行くのは気が引けると、五八が打ち明けた。
「まあ、七年詰めではそのほうがよいのかもしれんな。
さすがに七年も老いた母上を放ってはおけん。」
ため息交じりに五八が言うと、しばらく沈黙が続いた。