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第1章 幕命 (3)

 「マゴも行きたかんべ。俺と似たようなもんだ。」

 兎毛は孫兵衛に返す。友と熱い想いを共有したいと思った。


 孫兵衛は家督を継いでいるものの、「寄合」という平時は無役の家柄だった。

 藩の役職に欠員が出れば仕事を与えられるが、平時においては働く代わりに「御役金」を払うだけだ。普段から役職を求めている者が多い。

 国許を離れる役職に就くと家禄に手当が上乗せ支給されるため、今回は寄合ならずとも派遣を望む者は少なくないと思われた。


 孫兵衛もかつて役職を得て、数年を大阪で過ごしたことがある。

妻を娶ったのも大阪だった。大阪城の守衛にあたる定番与力・坂本鉉之助の娘である。


 忍藩の大阪屋敷は天満にあり、隣は大塩平八郎邸だった。

 孫兵衛は何度か顔を合わせるうち大塩と交流を持ち、その講義を弟子達に紛れて聴いたことも度々あった。


 大塩が飢饉による打ちこわし対策として門人に砲術訓練をしたときも、大砲の試射を行うと聞いて見学に行った。

 孫兵衛の義父である坂本鉉之助は荻野流砲術を修めており、孫兵衛も手ほどきを受けていたが、大砲に関しては机上の知識のみで実際に目にしたのは初めてだった。

 大塩が試射に使った大砲は、火縄銃を大きくしたような木筒だったが、微妙な火薬量の調整による射程の変化など、実技ならではの知識を吸収するには十分だった。


 このとき大塩や弟子達の訓練に臨む姿勢は鬼気迫るものがあり、孫兵衛も圧倒され、感銘を受けたものだったが、後になってわかったのは、これが決起の準備であったということだ。


 天保八年(一八三七)に大塩が決起したとき、孫兵衛は用務のため江戸へ向かっており不在であった。

 まもなくして大塩は自邸に火を放ったので、大阪城のほうから見ると忍の屋敷辺りが一面火の手に包まれているようだった。


 坂本鉉之助は娘婿の孫兵衛が不在であることを知っており、娘の身を案じて部下を見に行かせた。その報告により、大阪城代と配下の与力達は乱の勃発を知ったのだった。

 鉉之助はすぐさま城代の許可を得て大阪町奉行所の手勢と合流、荻野流砲術の名手として見事に大塩方の現場指揮官を狙撃して乱の鎮圧を早めた。


 大塩本人は、一度は逃れたもののやがて大坂へ舞い戻り、一か月程して潜伏先が露見し、息子とともに自決した。


 孫兵衛を介して、二人の運命の歯車が狂ってしまったのだろうか、もともとかみ合うはずだった歯車がかみ合っただけなのだろうか。

 やがて乱は鎮圧されただろうが、孫兵衛に関わるいくつもの偶然が重ならなければ、違った結末が待っていたかもしれない。


 大塩平八郎という男も、坂本鉉之助という男も孫兵衛には等しく尊敬の対象であった。それゆえ大塩の死を大いに悲しんだが、孫兵衛の前で義父の栄誉を称える者が絶えず、心中複雑であった。


 しばらくして、孫兵衛は大阪の役職を辞して忍へ戻り、以来無役のまま過ごし、二十四となった。

 忍へ戻ってからは、書物ばかり読んでほとんど屋敷へ籠っている。

もう役職にも就くまいと思っていた。大塩が大阪町奉行所を辞した理由を考えると、権力の場にいないほうが大塩への弔いとなるような気がしたのだ。


 (房総で軍役に就くならば、日々おのれを律していられよう。

  権力に胡坐をかくような事態にもなるまい。)

 大塩のように、生真面目で馬鹿正直に生きられるような気がした。


 「悪くない。」

 孫兵衛が答えると、兎毛は破顔して孫兵衛の肩をつかみ、何度も何度もうなづいた。泣き出さんばかりである。孫兵衛も目頭が熱くなる。

 二人は空を見上げた。そうでもしないと落涙しかねない。

 「いら明るいな。」

 「ああ確かに。」

 秋の夜空には、いつのまにか月が昇っていた。

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