第1章 幕命 (10)
数日後、孫兵衛は屋敷で鎧や刀槍の類を点検し終え、房総へ持参する書物を選んでいた。
孫兵衛が大阪から戻って手に取った書物は、しばらく哲学的な内容ばかりであったが、数年が経って実学的なものが増えてきた。
砲術に関するものも多いが、半数も持って行けそうにはない。
そこへ、家人が孫兵衛に声をかけた。伊藤という者が訪ねてきているという。
藩士に伊藤という者は多い。誰であろうかと孫兵衛が玄関へ出迎えると、荻野流の砲術師範の伊藤蔵男であった。
蔵男は突然の訪問となった非礼を詫びた。
よほど親しくない限り、屋敷を訪ねる前に使いを出すのが礼儀である。
客間へ通すと蔵男は再び頭を下げた。
「こたびは、お願いの儀がござって参りました。」
「はて、どのような。」
「同門のよしみで合力をお願いいたしたいのです。」
藩では、外国船渡来のときに流派が違うなどといって防御に支障があってはならないと、前もって手筈を相談しておくよう砲術師範達に求めていた。
忍藩には、荻野流、荻野流安東派、武衛流と主に三つの砲術流派があったためだ。
その相談にあたり、荻野流の代表として孫兵衛にも加わってほしいというのだった。
安東派の岡田慎吾、武衛流の井狩彦太郎、ともに砲術に熟練している。
同門の師範であることに敬意は払うが、孫兵衛より三つか四つ若い蔵男には太刀打ちできそうもない。孫兵衛が矢面に立つわけにもいかないが、微力ながら加勢しようと決めた。
「それで、日取りは。」
「本日、これより。」
悪気もなさそうな蔵男の言葉に孫兵衛は絶句した。
砲術師範達は、家老の加藤左内のとりなしで西駒形の成正寺に集まることになっているという。
加藤家と成正寺の縁は深い。
加藤左内の先祖は加藤景義といい、関ヶ原に敗れた安国寺恵瓊が本願寺に逃れた際、使者となって本願寺准如を説得し恵瓊を退去させることに成功、本願寺伽藍を兵火から救った。
この縁で加藤家は代々、浄土真宗本願寺派を信奉しており、桑名から忍へ移った際、この地に本願寺派の寺院がないことから成正寺の建立に尽力したのだった。
成正寺へ向かう途中、孫兵衛は蔵男に聞いた。
「御家老は御同席なされるのか。」
「そう聞き及んでございます。」
驚く暇もなく、孫兵衛は頭の中で目まぐるしく知識を整理していた。
そうとも知らずに蔵男は、孫兵衛が今度は呆れた表情を見せないことに安堵した様子である。
成正寺に着くと既に、砲術師範や数人の弟子たちが集まっていた。
急いで来たのと緊張で体は熱いが、寒露の風で手足の先だけが石のように冷たい。加藤を待つ間、小僧の出した茶を持って指先を温めた。
そこへ、先に着いていたらしい蔵男の父が声をかけてきた。
「坂本鉉之助殿の娘婿というだけで心強い。
急な呼び出しで苦労をかけたが、あとは座っていてくれるだけでもよい。
お主がうなづいておるだけで、いかにももっとも、となろう。」
孫兵衛は顔をしかめた。それを見て蔵男の父が続ける。
「なに、荻野流ではこういうわけでこうする、としか言わん。
シロをクロだと言うわけではない。」
孫兵衛も渋々うなずいた。