ボス敵
このダンジョンの構造は極めて単純で通路と大部屋そして上下の階層を繋ぐ階段があるだけだ。
これといった仕掛けもなくひたすらに魔物を倒して、ダンジョン内に置かれた宝箱を開けて中身をいただくだけ、困難なことなど一つもなく攻略は容易いダンジョンである。
――と思わせるのがダンジョンマスターの狙いなのだろう。そして、その狙いに嵌まった少女が俺の前を歩いている。
「大変かと思ったけど余裕ですね。この調子なら、もしかしたら最深部まで行けるんじゃないでしょうか?」
「行けるだろうね。ところで、最深部まで行ったって人の話は聞いたことがあるのかい?」
俺の質問にミリーは若干考え込むような仕草をした後、首を横に振る。
「こんなに簡単なダンジョンなのにおかしな話だとは思わないかい?」
「でも、それは途中で疲れたのと、安全策を取って引き返したからだと思いますけど。帰ってきた人はみんなそう言ってますし」
帰ってきた人はみんな言っているんだろうけど、そもそもの所みんな帰って来たんだろうか。
帰ってこれなかった人は言葉を残せないと思うんだがねぇ。ちょっと舞い上がって警戒心が薄れているんだろうな。
少し考えればわかるだろうと思うけども、ミリーにとっては栄光を掴むためのチャンスだっただろうから、臆してチャンスを棒に振りたくはなかったんだろうってことにしておこう。
若いうちは誰だって失敗する。これくらいは大目に見てあげようじゃないか。
俺はミリーを止めることなく、前を歩くミリーについていく。
そうして下の階層へと進むための階段を下り、俺たちは次の階層へと進む。
決まりきった構造の階段と下り切り、俺は意気揚々と進むミリーの後ろを歩いて、新たな階層の最初の部屋に足を踏み入れる。
そして、俺はついに予想していた場面に遭遇することになる。
「なにアレ……」
先に部屋へと足を踏み入れていた、ミリーが息を吞みながら呟いた。
視線の先には漆黒の巨大な体躯に、その体躯に比例した巨大な翼を持った双角の悪魔の姿があった。
「あれって、もしかしてアークデーモンじゃ……」
この世界の高位悪魔がどれくらいの強さなのか俺は知らないが、見た所ミリーが勝てる
相手でないのは確かだった。
「無理、絶対無理よ。あんな化け物絶対に無理」
ミリーは震えを隠さずに小声で言うと、慌てて振り返って部屋の外に出ようとする。だが――
「ウソッ、どうして出られないの!? なんで! どうして!」
部屋の入り口には見えない壁が、俺が部屋に入ると同時に張られていた。
俺は破れるがミリーには無理だろう。俺は壁を破る気は無いので、つまりミリーはアークデーモンのいる部屋に閉じ込められたことになる。
「こんなのいるなんて聞いてないよ。だって、上の階の魔物はあんなに弱かったのに、どうして急に……」
レベル1の敵しか出ないエリアから次のエリアに移ったらいきなりレベル100って感じだからな。ゲームでやったらクレームも来るだろうが、残念ながらゲームではないのでクレームを気にする必要もないから、こういうことも平気で出来る。
このダンジョンのダンジョンマスターはこうして調子に乗って深くまで潜ってきた冒険者を始末して、宝箱の中身を回収しているんだろう。
おそらくだが、このダンジョンは侵入者が増えるほどダンジョンマスターに見返りがあるというシステムを設定されている。なので、全滅させるよりも侵入者が増えるよう計らっている。
冒険者を全滅させないのはダンジョンの噂を広めるためで、ダンジョンの噂が広まれば欲の皮の張った馬鹿共がやってくる。ただし、必要以上に宝を持っていかれれば赤字になるので、ある程度深くまで潜った奴は始末して適度に宝を回収する。そのために配置されたのが、このアークデーモンなんだろう。
「愚かな人間どもよ。強欲の罪を償うがいい」
アークデーモンはこちらに気付いたのか、巨大な翼を広げながらこちらに近づいてくる。
さて、どうしたものか。俺が戦えば一瞬だが、そのためにここまで来たわけでもないんでな。
ミリーはというと完全に怯えて一歩も動けないでいる。ならば、こうするべきか――
「死ぬがよい、矮小なる者」
アークデーモンは俺たちの前に立つと腕を振り上げ、ミリーに向かって振り下ろした。
良いタイミングで良い動きをしてくれるものだと、感心しつつ俺はミリーを突き飛ばす。
「危ないっ!」
わざとらしくないように演技を入れつつ、突き飛ばしたことでミリーはアークデーモンの腕から逃れた。
そして、その代わりに俺が振り下ろされる腕の先にいる。要するにミリーを庇った形になったわけだ。
「愚かな奴め」
アークデーモンの声が僅かに耳に入るが、それも一瞬のことで俺は弾き飛ばされてダンジョンの壁に激突する。
「カズキさんっ!」
ミリーの声が悲鳴が聞こえてくる。
全くダメージは無いのですぐにでも起き上がれるのだが死んだふりを決め込む。
さて、この状況でミリーがどう動くか見物だが――
「次は貴様の番だ娘よ。すぐに後を追わせてやろう」
アークデーモンはミリーに向き直る。その態度は自身の勝利を全く疑っていないものだ。
それに対してミリーはというと腰の小剣を引き抜き、緊張からか荒い呼吸をしながら、アークデーモンを見据えていた。
「ふざけるな。私は絶対にやられない! 私のことを庇ってくれたカズキさんの為にも絶対にお前なんかに負けない!」
ミリーは叫び声をあげながらアークデーモンに斬りかかる。
気力は充分で気迫も充分だが、だからといってそれだけ戦力が埋まるような力の差ではない。ミリーの全力の踏み込みから放った渾身の一撃をアークデーモンは腕で容易く受け止めていた。
「諦めろ、娘よ」
「嫌だ、私は諦めない! 私はっ、私はこんなところで死んだりしない! 絶対に生きて帰って、そして――」
言い終わる前にミリーはアークデーモンの腕に弾き飛ばされる。
数メートルほど吹き飛ばされて、二度ほど地面をバウンドしながらミリーは受け身を取り、体勢を整え直すが、その瞬間を見過ごす相手ではなく、アークデーモンは既に距離を詰めていた。
体を起こすのに精一杯で防御の態勢を整えることも出来ないミリーにアークデーモンの拳が振り下ろされた。防御すらできずに直撃を受けたミリーの体がゴムボールの様に石畳の床を跳ねる。
可哀想だが基本的なスペックが違いすぎるな。あれはどう足掻いても無理だ。だが、それでもミリーは――
「死な……ない、絶対に生きて……帰って、それで……それで、カズキさんも守らな……いと」
体中の骨が砕けているのにも関わらずミリーは必死に立ち上がろうとしている。
「……私が……巻き込んだんだから……カズキさんだけでも……カズキさんだけでも――っ!」
どうやら自分が生きて帰る望みは捨てたようだ。
その代わりに俺を生かして返そうと必死になっている。
多少なりとも責任感が芽生えたのか、それとも既に持っていたが忘れていたのを思い出したのか定かではないが、今のミリーは自分の為ではなく俺のために戦おうとしているようだった。
「無駄なことを」
ミリーの手には小剣は無い。先ほど殴り飛ばされた際に手放してしまったようだ。
だが、それでもミリーは拳を握り、血まみれの体を引きずってアークデーモンに殴りかかる。
もはや自ら手を下す必要もないと感じたのか、アークデーモンは呆れた眼差しでミリーを見ているだけだ。
そして、俺もその姿を死んだふりをしながら眺めているだけ。
少女が誰かを守るために己の命も顧みず強敵に立ち向かう。
これで少女がもう少し強ければ申し分ない展開だが、そこまで求めるのは酷でもある。
それに、これはこれで心にクるものがあるので充分だろう。最高とは言い難いが中々に良い画が見れたので俺は満足だ。
俺の前で段々とミリーの体から力が抜けてくるのが分かる。
そして、ついには動きが止まり、崩れ落ちて倒れ伏す。
「ふん、ようやく死んだか」
アークデーモンは横たわる死体となったミリーに一瞥をくれると、死んだふりをしている俺の方に視線を移す。だが、俺の死んだふりに気付く様子はなく――
「他愛もない奴らよ」
「――おいおい、俺を含めるなよ」
勝ち誇るような言葉が聞こえると同時に俺はゆっくりと立ち上がる。
死んでいたと思っていた俺が生きていたことにわずかながら驚愕の表情を浮かべるアークデーモン。
「ほう、死んだふりとはな。娘が戦っているのに貴様は臆していたということか?」
「まぁ、その通りだ」
「腰抜けが、今更起きてどうす――」
『天喰星ラーフ』
漆黒の球体がアークデーモンの右腕を呑み込み消滅させる。
突然、右腕を失ったことで体のバランスを失ったアークデーモンは体勢を崩して地面に転がる。
「俺はお前が俺に対して口を利くことを許可した覚えはないんだが」
俺は地面に転がるアークデーモンを見据える。
「――まあいい。今の俺は良い物を見れて多少気分が良いんでな。少しくらいの無礼は許してやろう」
アークデーモンは俺に警戒しながら倒れた姿勢のまま失った右腕を回復させようと魔力を集めている。
まぁ、それくらいのことは許してやっても良いだろう。その代わり俺の話を聞いてもらうが。
「自己犠牲の精神は素晴らしいよな。最高とは言い難いし、ありふれてもいるが、それでも中々に良い見世物だった。ああいうのを見ると人間というのは素晴らしいなって思えてくる。そして、そういう素晴らしい人間には価値があるから守ってやりたくなる。まぁ駄目でも今後立派な人間になるかもしれないから助けるし、完全に駄目な奴でもそれはそれで可愛いから助けてやるが」
あと数分で治りそうだが、さてどうしたものか。
まぁ、もう少し話をしてやってもいいか。良い物を見ると気分が高揚して饒舌になってしまうが、まぁ良いだろう。
「さっきのミリーの頑張りは中々に俺の心を打った。自分が死ぬかもしれないのに最後は俺のために頑張った姿勢は素晴らしいから俺は好きだね。ミリー個人は好きになれていないが、あの行動は気に入ったので俺はミリーを贔屓してやっても良いような気分になっている」
「すでにあの娘は死んでいるだろうが」
ああ、それに関しては大丈夫だ。もう生き返らせてあるしな。
俺はアークデーモンの言葉を無視して続ける。回復まで数十秒といった所だろう。
「俺としては贔屓する以上はそれなりに良い思いをさせてやりたいわけだ。ああいう人間性を持っている奴は幸せになる権利があると思うからな。なので――」
俺の言葉の途中、傷が癒えたアークデーモンが飛び起き、俺から距離を取る。
「お前は消すが構わないよな?」
「やってみろ、小僧!」
じゃあ、お言葉に甘えて塵も残さずに消し去ってやるとするか。
こいつには悪いが俺は魔物には甘くない性質なんで覚悟してもらうとしよう。