序章‐プロローグ‐
プロローグ
おそらく、大昔のお話だ。時代は江戸時代の話だろう。
武士の頂点に徳川将軍は日本の統治者として君臨していたが、形式的には朝廷より将軍宣下があり、幕府が政治の大権を天皇から預かっているという大政委任論も広く受け入れられていた。幕末、朝廷が自立的な政治勢力として急浮上し、主に対外問題における幕府との不一致により幕府権力の正統性が脅かされる中で、幕府は朝廷に対し大政委任の再確認を求めるようになった。文久三(一八六三年)三月・翌元治元年四月にそれぞれ一定の留保のもとで大政委任の再確認が行われ、それまであくまで慣例にすぎないものであった大政委任論の実質化・制度化が実現したらしい。
慶応三年十月の徳川慶喜による大政奉還は、それまでの朝幕の交渉によって再確認された「大政」を朝廷に返上するものであり、江戸幕府の終焉を象徴する歴史的事件であったらしいのである。しかし、この時点で慶喜は征夷大将軍職を辞職しておらず、引き続き諸藩への軍事指揮権を有していた。慶喜は十月二十四日に将軍職辞職も朝廷に申し出るが辞職が勅許され、幕府の廃止が公式に宣言されるのは十二月九日の王政復古の大号令においてであった。
しかし、武士共にこのままでは本当に国が奴らのものになると、察した日本の隅で隠れ住んでいる修験者たちは空恐ろしいと感ずる――自分の国を取り返すべくこれを機にクーデターを計画する。
情報によると、表ざたのねらい…武士たちが仕掛ける大政奉還の目的は、内戦を避けて幕府独裁制を修正し、徳川宗家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することであった。だが、真実のねらいは…自分たちの理想郷を組み立てることだった。民からの絶対的名声を得て絶対的権力を独占するためのものであり、異国との戦争で資源物資支配を目論むことである。時代の切り替えで新時代を気づこうと企みある、闇の部分を知ったものたちは激怒し、大政奉還後に想定された諸侯会同が実現しない間に、目的一致、同意見の修験道たち及び協力する民を中核とする討幕派による朝廷クーデターを起こす。
そのように革命に成功した修験道たちの国へと変貌したのは、最初だけだった。ぞくぞくと欲望に目覚めた途端に修験者たちは別々に国という里を創生し、剣と忍術と戦闘の創世を築き上げた。
日本内で醜く領土を争う、人と人が争いを好み絶望と殺戮が続く時代。日本は忍び国家となって区域に閉じこもって暮らして得るものと希望を勝ち取るため修験者は己の行く末を道を進む。
その終わらない乱世が続き、時を経て平成まで行き着き、秋篠雨(僕)が秋篠本家に生まれた。