平穏な日々
ビェリーク砦から帰ってきた第一次遠征隊は暫く休暇に入ることになった。実戦経験の少ない彼等にとって、今回の遠征は肉体的にも精神的にも疲労感が強かった。第二次隊で来たガウス夫妻、特に夫人の方は癒術師として砦の兵士達の治療に忙しくフロレンツに待機していたハヴェルン王太子らよりも後にハヴェルンに帰ることになっていた。アルベリヒはアナスタシア公爵令嬢とその婚約者と共にヴィルヘルミナ王太子妃により早々にハヴェルンへと帰された。ウルリヒの首都フロレンツでは砦での勝利を祝い毎日がお祭り騒ぎのように賑やかになった。長い間、毎冬いつ首都まで攻撃が来るか怯えて暮らす日々が終わったのだ。砦を護る兵士達には国王から労いと賛辞が送られ、やはり功績者のヴィグリー少尉はあの一点の曇りもない純白の外套を再度手にすることが決まった。今度ばかりは昇進も断れないだろうと、砦以外の軍関係者は酒の席で彼を肴に飲んでいた。国中の誰もが砦の兵士達を誇りに思い、国王に報告のため降りてくる時は凱旋パレードをと皆が湧いていた。誰もが彼等英雄を一目見ようとその日を待ち焦がれていたのだ。
「よう、将軍殿。これからどうしますかね。」
片手を上げ気安く上官に声を掛けるのはもちろん今回の英雄の一人、ヤン・ヴィグリー少尉だった。
「貴様、仮にも上官に対してその態度。軍法会議で余程昇進を遅らせたいか?」
「ははっ、昇進ねぇ〜。お、そういや全員にあの外套を贈るよう頼んでくれたってな。」
「ああ、あれは砦兵士の誇りの象徴みたいなものだろう。今頃縫い子が忙しいだろうな。」
「な?俺がまた貰えるって言った通りだろ?さて、こっからどうすんだお前は。」
両手を頭の後ろで組みチラリと少し背の低い上官をみる。黄昏時の空からは天使の梯子が幾つか降りているのが見える。軽い風になびく髪を押さえながら眩しそうにその梯子と表現される光の柱を見つめる空色の瞳はいつもより和らいで見えた。そして、ふいに少尉の顔を見上げる。
「ありがとう。ヤン・・・生きていてくれて。」
「言っただろ、死にゃしねぇって。お前を置いてったら兄貴に何言われるか・・・って、オイオイ!」
急に抱きついてきたイェンナに驚き、手のやり場に困ったが結局抱きとめ髪に顔を埋めた。冬将軍と名高い歴戦の将軍が今はただの娘のように少尉の肩辺りに顔を付け静かに泣いている。その頭を背中を優しく撫であやすように軽く叩きながら二人は暫くそのままでいた。もちろん、周りの兵士も目にしているが誰も何も言わない、冷やかすわけでもなくただ砦の兵士達は過酷な運命と闘い続けた二人をそっと、ある者は帽子を脱ぎある者はもらい泣きし穏やかな黄昏時を共に過ごした。
「よく頑張ったな、イェンナ。」
少尉はポツリとそれだけ呟き、彼女の涙が止まるまで優しく抱きしめた。