3、2話
「沼」
「はい?」
漣が帰省の準備をしているころだった。ヒーロー事務所(仮)で軽快にキーボードを叩く沼川は声を掛けられ、その手を休める。そこには、夏であるにもかかわらずダウンジャケットを着た、季節感を完全に無視した格好をしている男がいた。
「何でしょうか、氷川さん」
「閲覧は終わったか?」
「ええ、反応は上々ですよ」
沼川は椅子ごとずれると操作していたノートパソコンの画面を氷川に見せる。そこには先日のヒーローショーの映像が映し出されていた。
「……で、これは如何すればいいんだ?」
「ああ、そう言えば氷川さんはパソコンが苦手でしたね」
氷川の疑問の言葉に対し、沼川は画面を下にスクロールさせていく。そこには動画に対するコメントが書かれていた。
面白い! アクションが派手で良い
大根役者なデスブラックが実は運動神経が良いとかあり得ない(笑)
トイレとか(笑)雰囲気ぶち壊しじゃん(笑)
デスブラック良い動き。負けないでほしい
「……ほう? やはり一番人気はデスブラックか」
「正確に言うと甲崎漣、と言うことになるのですかね」
沼川は再び画面をスクロールさせる。画面上ではデスブラックに扮する漣がトイレに行きたいと絶叫しながらシニガミブレードを振るう場面であった。映像のみで音は出ないが、それでも内容を既に知っている2人はクスリと笑う。
「面白い奴だ」
「ええ、天河さんは本当に良い人材を発掘してくださったものです」
「そうだな……そろそろ会議だ。沼、いくぞ」
「はい」
沼川はノートパソコンを閉じる。氷川は沼川を待つことはせずにヒーロー事務所(仮)の事務所奥へと行き、沼川もパソコンを携えて氷川の後を付いていった。
「はぁ。やっと着いたか」
電車を乗り継いで駅から降りた漣は手に持っていたバッグを担ぎ直す。漣にとっては3ヶ月ぶりの地元と言うことになるが、駅前を見る限りは多少のレンタルビデオ店や居酒屋を除けば、殆どの店がシャッターを下ろしているシャッター街と言える。
「……相変わらず廃れているねぇ。ある意味、家を出てホント正解だったかもしれん」
漣が現在住んでいるアパートは歩いて5分の場所にコンビニがあり、更に少し進めばレンタルショップや百貨店もあるので1人暮らしをするには適していると言える。一方の地元はと言えばコンビニは一番近い場所で徒歩20分の場所で漣が現在居る駅前を除けば娯楽施設はカラオケが2件、ゲームセンターとボーリング場が1件ずつしかない。今回ヒーローショーを始めるにあたっては、漣が散財しすぎたことがそもそもの原因と言えるが、その散財の原因は1人暮らしを始めたことによる高揚感の他にも遊び場自体が増えたことにもよるものだということを、この時の漣が気付くことは無かった。
「さてと。とりあえず荷物も邪魔くさいし、さっさと家帰りたいな」
駅前からはバスを使い、家の近くの停留所で下りてから15分ほど歩いて帰宅する予定を既に組んでいる。帰省したことに特に感慨も浮かばず早く帰って休みたいところだったのでバスの時刻を確認しよう。そう思って停留所に向かった時だった。
「ん?」
ふと、ジーンズのポケットに入れていた携帯電話が震えていることに気がついた。取り出して見ると着信が来ており、電話に出ようとしたがその瞬間に着信が切れる。
「あ」
漣はそこで携帯電話を見てみる。すると、着信履歴が3件来ていた。その内、先ほどの着信と最初の着信は父親からのものである。だが、問題は2件目の着信であった。
「……何で、アイツが俺に?」
画面上には漣が登録した者の名前が記されている。例えば、雄作であれば雄作と表記するし父親であれば父、等となる。それを踏まえて、漣の携帯電話の画面にはこのように記されていた。
「アホ1号」と。
「……はあ。何でアイツが俺に電話なんざ掛けてくるんだよ……」
いっその事気づかなかったことにしたい漣であったが、このまま帰宅し電話の主に会うことだけは避けたかった。そんなことになれば余計に面倒になることが目に見えていたからだ。仕方がない、そう言うと漣は履歴から電話を掛ける。2コール目で相手は出た。
「出るのが遅いわよ、漣」
「うるせえ、藍」
売り言葉に買い言葉、と言ったところであろうか。口を開けば喧嘩をする典型的な兄妹関係がそこにあった。漣は小さくため息をついてから会話を続ける。
「で、何だよ?」
「今どこ」
「駅」
「あっそ。悪いけど、今日友達来るから帰ってくるの夕方にしてくんない?」
「は?」
「じゃ」
すると、一方的に電話が切れた。苦い顔をしながら携帯電話を閉じた漣は今度こそ盛大に溜め息をつく。甲崎藍。
「アイツが居るから帰って来たくは無かったんだよなぁ……」
漣が1人暮らしを始めた理由。名目上は社会勉強のためであるが本当の理由はここにある。妹、藍の事だ。世間一般における例外に洩れることなく、漣と藍。2人の仲は冷戦状態と言って良い。面倒くさがり屋で楽天的、凡庸な兄の漣とは違い、妹の藍は努力家にして完璧主義者のエリート気質な藍。真逆と言ってもいい2人は、文字通り反発し合った。口を開けば喧嘩をするなんてことは日常茶飯事で、夜中に寝ている時にメールの予約送信で迷惑メールを送られて起こされたこともあれば、漣の買ってきたプリンにタバスコを入れられたこともある。
「あの時は大変だったな……」
その時のことを思い出そうとした漣であったが、すぐにやめた。甘いモノを食べたにもかかわらずその後に水をがぶ飲みすることになり、仕返しをしようとした結果逆にしっぺ返しを食らい、砂糖のたっぷり入ったラーメンを食べさせられたのだから。
「さてと。これからどうするかな……」
漣としてはこのまま先ほどの電話を無視して家に帰宅し藍を困らせることもやぶさかではない。しかし、藍はともかくとしてその友人たちにまで重い空気を共有させるというのは漣にとっては避けたいところであった。本当に妹のことが嫌いであるならば妹を困らせ、そしてその友人も困らせるのであろうが漣はそうはしない。それは、表面上は妹に嫌悪感すら抱きつつあるも、本心では妹の事を思っていたのだ。尤も、この事を知るにはまだ漣は若すぎたが。
「……とりあえず、荷物預けるか」




