3話
「んっ、んんー……ああっ。……眠い」
壮絶な戦いを演じたヒーローショーのバイトから4日後。水曜日の朝7時31分11秒にアパートの一室で漣は背伸びをしていた。普段アルバイトが無い限り9時までは最低でも寝ている彼がこんな時間に起きているのには理由があった。
「課題終わったー……疲れた」
ヒーローショー初バイト記念パーティーが終了し、帰宅したその翌日。眠い目を擦らせながら早朝のコンビニのバイトを終えた彼は、部屋の隅に置いてあるバッグを手にする。それは、夏休みに突入した日を境に触れられていない物である。恐る恐るその中身を取り出すと、やはり案の定と言うべきか、プリントの入ったファイルがあった。
「……はあ、やっぱりか」
溜まったままの宿題を都合の良い妖精が片づけていてくれることはなかった。漣は溜め息1つ吐くとプリントに書かれている内容を見つつ、パソコンを立ち上げる。それから今日に至るまで、図書館と部屋を行ったり来たりといった生活を続け、コンビニのバイトとトイレ、最低限の食事と少しの睡眠を除けばほぼレポート漬けの3日間を送った。雄作にも言われたが、確かに最初からしっかりやれば1週間で終わる内容だと漣も思った。すると、途端に力が抜けたのか。漣はそのまま仰向けになる。
「早めにやっときゃ良かったかな……まあ、良いや。これで、残り約2週間半は……バイトに専念できる……」
これが年数を進めば就職活動や卒業論文に明け暮れるのであるが、生憎1年生の漣には無縁なことである。と言っても、テストはあるので完全に手放しで喜べるものではないが、少なくとも課題に追われることは無くなったわけである。
「テスト勉強は1週間前からでいいや、暗記する所は分かっているし……寝るかな」
ここ3日間はあまり寝ないで過ごした漣の瞼は重い。いっそこのまま一眠りしようかと思った時だった。傍らに置いてあった携帯電話がブブブッと音を鳴らす。
「んあっ……?」
漣は眠そうに1つ欠伸をしてから携帯電話の画面を見る。だが、画面に映し出されていた番号に、漣は露骨なまでに嫌な顔をした。
「何で今、このタイミングで掛けてくるかな……」
いっそ居留守を使おうかと思って少しの間放置して不貞寝をしてみる。だが、電話は一向に切れる様子が無かった。殆ど徹夜同然の頭に、携帯電話のバイブ音は嫌に響いた。堪らなくなった漣は渋々と携帯電話を手にすると通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
「遅いぞ漣」
「あー……ごめん。気付かなかったんだよ……父さん」
そう。漣が露骨なまでに電話に出なかった理由。それこそが、この電話の主である父親である。
甲崎家は父親と母親、息子で長男の漣と、その妹で長女の藍の家族である。父親の甲崎仁は役所に勤めており、どちらかと言うと堅い人間であった。立派な人間になれ、夢を持て、未来に希望を持て、誠実でいろ、何事にも関心を持て。このような言葉を常日頃から口癖のように言っていた。それ等は正しい言葉であり、漣も父親の言うことは正しいと思っている。しかし、漣はどちらかと言えば楽天的で面倒くさがり屋な性格であり、その性格は父親の考えには交わることは無かった。
そんな理由があったからこそ、漣は父親からの電話を受けたくは無かったのである。
「で、何? 一体」
「相変わらずのようだな、漣。……まあ、良い。元気でやっているか」
「まあ、そこそこは。授業もバイトもやっているよ」
実際のところはヒーローショーのバイトでかなり潤っています、と言いたい所であったが、言えば確実に怪しまれるので敢えてこのことは伏せる。
「そうか。……ところで、漣。御前、家に帰って来ないのか?」
「は? 家に? ……いや、特に考えていなかったけど」
「特に用事が無ければ一度帰ってこないか? 藍も母さんも心配していたぞ」
「……藍と母さんが?」
そこで漣は家を出る直前のことを思い出す。じゃあ、行ってくるわ。そう言って家を出た漣に対し、母親は夕飯までには帰ってきなさいよ。と言われ、妹の藍は、物置代わりに部屋借りるから。と言っていた。更に、よくよく考えて見れば毎日散歩に連れて行った犬のボルトが悲しそうな目で見ていたことを漣は思いだす。犬にしか心配されない長男と言うのは果たして大丈夫なのかと、少しだけ自分の身を案じた
「いや、絶対に無いな」
「そんなことはない。御前が居なくなって母さん、非常に悲しんでいたぞ」
「面倒な買い物とか結構俺がやっていたからな」
「藍は、漣が居なくなってさびしいと言っていたぞ」
「ぜっっ、たいねぇな。アイツがそんなこと言うとは思えん」
「……」
そこで甲崎仁の言葉が詰まる。と、そこまで反論をして漣は自分の家での立ち位置というものに気がついた。兄というよりはまるでこき使われる弟のようであると。
「はあ。やれやれ」
そこで漣は予定を思い出す。ヒーローショーのバイトまでは残り2日。コンビニのバイトはシフトの関係上、土曜日の夕方までは無いため時間に余裕はある。
「わかったよ。午後辺りに帰る」
「お、おお。そうか、わかった。昼飯は母さんに言っておくから喰ってこなくていいからな!」
そう言うと、電話は切れてしまう。通話画面を見て見ると15分も話していた。
「準備するか……」
そう言うと、漣は小さなバッグに着替えや携帯電話の充電器など最低限の荷物だけを詰め、家を出た。




