没話 禁断の南区画
侵攻前――南区画は学校や図書館など民間人も立ち入れる施設もあったのだが、これから先の動きを見据えて準備をするとなると一般人が気軽に来るのは都合が悪い。
なので博物館等は西地区へと回し、リーザリオ帝国やバルティア皇国などを始めとした各国の軍政を取り決める一大行政機関へと整理した。
ここをやられるとジグサリアス王国の地方行政に重大な支障をきたしてしまうため、金獅子騎士団本部を配置しており、この区画を歩く者は常に身分証明書を提示しておかないと、10歩歩くごとに呼び止められるほど厳重だった。
と、そこまでが一般人も知っている知識。
俺の様に上の方に位置する人間から見るとこの南区画は別の顔を見せる。
この南区画の中心付近にある施設群。
厳重な警備に守られたそこで行われている実験は決して表に出してはならないような禁忌ばかりだった。
「GRYAAOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
薄暗い地下施設の一室から人のものとは思えない魂を凍らせる絶叫が響き渡る。
「OOOOOOOOAAAAAAAIIIIIIUUUUUUUOOO!!」
その断末魔に近い叫びの他にも、換気しているとはいえ鼻につく異臭が俺の目の前に置かれてある牛の型を模した銅像の口から洩れていた。
ファラリスの雄牛――古代ギリシアで発案されたとされる世界最悪の拷問器具の1つとして認識されている。
真鍮でできた牛の銅像の中は空洞でそこに人を入れ、外側から火を焚くことによって迸る苦痛の叫びが信管を通って外へ響かせる仕様となったこの器具。
その想像を絶する威力に俺は最初、囚人の放つ身の毛がよだつ叫びに鳥肌が立つのを抑えることができなかった。
シクラリスはわずか数分で気絶し、ヴィヴィアンさえも夜中ずっと抱き締めてあげなければならないほどの恐怖を与えたこの代物なのだが。
「ああ、なんて素敵な響きなの」
ベアトリクスだけは当初からうっとりと眼を細めながら耳を澄ましており、執行される際には必ず同席していた。
「本当にこれを王宮へ持ち込みたいわね」
ベアトリクスの言葉に俺はため息を吐きながら。
「そんなことをするとヴィヴィアンとシクラリスが国へ帰るから止めてくれ」
実際あの後、2人ともしばらく牛を見るどころか牛肉さえも口に出来なかったことから相当なトラウマを与えてしまったのだろう。
今は大分ましになったが、もしこの叫びを聞かせようものならヒステリーになっても仕方ないかもしれない。
ベアトリクスもその懸念を理解しているのかフフフと微笑みながら。
「ええ分かっているわよ。名残惜しいけどあの2人を失いたくないもの」
その言葉の後にベアトリクスは深く椅子に腰かけて大きく息を吐く。
「この音楽を聴きながらのワインとチーズは至高の極みだわ。エルファ、もう少し火力を上げてくれないかしら」
この世の至福といわんばかりの笑みを浮かべる元シマール国の王女――ベアトリクス。銀色の髪と陶器のような肌の色を持つ彼女なのだが、性格はご覧の通り最悪そのもの。
夜空に浮かぶ月や湖畔をバックにするのが最も彼女の美しさを際立たせると思うからこそ、薄暗い地下牢で拷問器具を背景とする光景にギャップを覚える。
「エルファ、一気に上げちゃだめよ。1本1本ゆっくりと入れて徐々に火力を上げるのよ」
「かしこまりました」
ベアトリクスの要望に一礼したエルファは傍に置いてある薪のいくつかを全く表情を変えずに火の中へとくべる。
火力が上がったことに中の囚人は勘付いたのか、悲鳴が1オクターブほど上がったような気がした。
「ああ、これぞこの世の至福よ。叶うのならば王宮でもこの音楽を聞いていたい」
絶叫と異臭によって俺でさえ顔をしかめる中、陶然とした表情の元王女ベアトリクス、そしてその脇で佇む何の感情も移していない瞳を湛えるエルファ。
今更ながら俺はよくこの2人を扱えていると思う。
両名とも能力は一級品なものの、癖が強すぎて操るのに相当な度量を要する。
囚人とはいえあまり人命を弄んで欲しくないのだが、大事へ至らずに済んでくれるのならこの程度のことは目を瞑ろう。
「ベアトリクス、当初の目的を忘れるなよ」
喉を湿らすためにテーブルの上においてあるワインを口に含みながら俺は忠告する。
「この器具の目的は貴族に対する威圧が目的だ。お前の愉しみのためじゃない」
俺の言葉にベアトリクスはニッコリと笑いながら。
「心配しないで我が君。私はただ最も効率的に苦痛を与える条件を模索しているだけよ」
そう答えるのだが、血のように赤いワインにファラリスの雄牛を映しながら呟いても説得力が全然ないのだけどな。
「ああ、これを貴族達の前で実演する日が楽しみでしかたないわ」
ベアトリクスの言葉通り、このファラリスの雄牛を使用する相手は民でなく貴族。
驚くべきことにこの大陸の常識では貴族よりも民に対する罰の方が大きく、領地追放はあっても死刑など定められていなかった。
まあ、エレナ伯爵曰く、領地や名誉を失うことは死よりも大きいとのことだが、貴族も人間であり、下手に生かしておけば何をするのか分かったもんじゃない。
それに加えて貴族達は民と違って様々な特権を持っているのだから、その分罪を犯した場合は相応の苦しみがあってしかるべきだろう。
だから俺は考えた。
地方の貴族達に対する見せしめも兼ね、罪を犯すとどうなるのかを身をもって分からせることにした。
そして考えだされたのがこのファラリスの雄牛。
これを貴族達の目の前で実演して見せれば彼らも多少は聞きわけが良くなるだろうな。
「ん~、もう少し音程を高くできないかしら」
徐々に沈黙していくファラリスの雄牛を確認しながらベアトリクスの言葉に脇へ控えていたエルファは一礼して。
「かしこまりました。中の信管をさらに細くし、首の傾斜角も上げましょう」
このファラリスの雄牛の作成者であるエルファは改良するべき点を暗誦する。
「それでは、この後始末のために私はこれで失礼します」
そしてファラリスの雄牛を運んで行くエルファの後には俺とベアトリクスが残された。
本来従者が先へ退出することは礼儀違反なのだが、この後のことを考えると仕方ないだろう。
何故なら。
「ねえ、我が君ぃ」
いつの間にかベアトリクスが立ち上がって俺に接近し、その華奢な体をしだれさせてくる。
「私ねぇ、とっても素敵な気分なの」
耳元で囁きながら甘い声を発するベアトリクスに俺はまたかとばかりに苦笑した。
一種の性と言うべきなのか、ベアトリクスは今のように人がもがき苦しむ様を見ると性的に興奮する。
残虐性が増すほどその興奮度合いが高く、ファラリスの雄牛レベルになると移動する時間すら惜しいという有様。
よくもまあこんな場所で興奮できるものだといつもながら考える。
静寂こそあるものの、未だ臭いが鼻につくので俺としては落ち着かないのだがベアトリクスは違うらしい。
エルファもベアトリクスの要望があれば混ざってくるのだが、本当にあの2人の神経はどうなっているのか。
「さっさと終わらせるぞ。この後予定が詰まっているからな」
まあ、そのような詮索は後回しにしておき、ここで今一度ガス抜きをしておいて夜に本格的に相手をしよう。
「はあい」
ベアトリクスも俺の心情を理解しているのか、1つ返事を返して納得した。