西区画の散策
「気分転換として街に出て見るか」
ある日、良い妙案が出ないので気分転換とばかりに街に繰り出そうと計画した。
魔物大侵攻が起こってからずっと王宮に籠ってばかりだったので視察がてら良い機会かもしれない。
「ご覧のとおり、街並みは盛況でございます」
案内人としてヒュエテルを付けて視察する俺。
灰色のウェーブ状の髪を腰まで伸ばし、常に柔らかい微笑みを浮かべているヒュエテルさんは俺の仲間の中で最年長の人物で、さらに孤児達の面倒をずっと看てきたせいか人の機微に聡い。
なので俺達の中では困った時の良き相談相手となるお母さんという位置付けだった。
「私はまだ20代なのに」
ちなみに本人はその位置付けに不満げな様子である。
仮にも王とその重鎮が護衛も付けずに散策など危険極まりないが問題無い。
何故なら、今この場では見えないが、陰では黒梟騎士団が怪しい人物がいないか目を光らせているので俺達は安心して散策することが出来た。
「ふむ、これは凄いな」
俺が感嘆の吐息を洩らすのはこの整頓された住居専用の西区画。
浮浪者はおろかゴミ1つすら落ちていなかった。
「定期的に役人が掃除を行いますのでこの辺りの通りは清潔そのものです」
公園には子供だけで遊んでいる光景が多々見えることから治安の高さが伺えた。
「何というか、国民は現在の状況を知っているのか疑いたくなるな」
見る限り魔物大侵攻前と光景がほとんど変わっていない。
この外では相変わらず騎士団が死闘を繰り広げ、他国においては存亡の危機に晒されているのだが子供が屈託なく笑う様子を見るとついそんなことを考えてしまう。
「あー、おーさまだ」
遊んでいた1人の子どもが俺に気付いたのかそんな声音を上げる。
「ホントだホントだー」
「すごいなー、はじめておーさまとさわったよ」
あっという間に俺は公園中で遊んでいた子供達によって取り囲まれ、握手をされたり服を引っ張られたりする。
「おいおい……」
子供達の無邪気な様子に俺は苦笑していると彼らの親達が血相を変えて近寄り子供達を引き離した。
「こら! ケビン止めなさい!」
「マールもよ! 王様から離れなさい!」
無理矢理引き剥がされた子供達は不満げに頬を膨らませていたが、隣に控えていたヒュエテルが子供達にお駄賃を上げると彼らは花が咲くような笑顔を浮かべて走り去っていった。
「申し訳ありません、うちの子が……」
保護者の代表が土下座せんばかりに深く腰を折るので、俺は何でもないとばかりに手を振った。
「そうだ、何か困っていることはないかな?」
ちょうど良い機会だ。
何か要望があれば聞いておこうと考えたのでそう尋ねると保護者の代表はとんでもないとばかりに首を振る。
「いいえ、私達はこれ以上何かを求めるつもりはありません」
「そうなのか?」
不満はあるだろう。
何せ上げられる嘆願書の数は減っておらず、むしろ増えているぐらいなのだから。
「このご時世において普段通りの生活が出来るほど贅沢なことはありませんよ」
保護者は続ける。
「魔物が大量に発生したとかで私達もどこかに逃げようと考えていたのですが、実際に変わったところといえば街の外に出られなくなったぐらいでした」
一時期魔物大侵攻によってパニックに陥った国民による買い占めが横行したのだが、それを予期していた俺がすぐさま品物を無償開放したことによってすぐに収まった経緯がある。
「主人も王様のことを讃えていましたよ。『自分が徴兵されず、こうして仕事に従事できるのは王の采配のおかげだ』と」
「そうか」
俺としては素直に喜べないのだが、それを表情に出したところで意味はないだろう。
このジグサリアス王国の国民が普段と変わらない生活の下敷きには他国民の血と涙がある。
王国の外ではおそらく怨嗟の声が渦巻いているのだろうが、それを知らせるのは単なる欺瞞なのだろうな。
「あの、王様? どうなされました?」
俺の心境が顔に出ていたのだろう。
保護者が不安げな眼差しを向けて来たので、俺はすぐさま取り繕うと笑顔を作るのだが何故か保護者は頬を赤らめてもじもじし出した。
「あの、申し訳ありませんが私はすでに愛する人がおり、さらに子供もいるんです」
「は?」
突然出てきた言葉に俺は呆気に取られたのだが続く言葉で理解する。
「けど、主人も王が相手なら納得してくれるかもしれません」
「ちょっと待て!?」
どうやら俺が暗い顔をしていたのを変な意味で受け取ったらしい。
なので俺は誤解だと声を張り上げようとすると隣に控えていたヒュエテルが。
「王を狼狽させないでほしいのですが」
と、澄まし顔で勘違いを起こした保護者を窘めるとその保護者は分かっているとばかりに。
「もちろん冗談ですよ。愛人の横で誘惑するほど私は豪胆ではありません」
コロコロと笑顔を浮かべる保護者。
その様子に俺は苦笑しただけで終わったのだが、ヒュエテルはそうでも無かったようだ。
「な、な、な……」
顔を真っ赤にしてどもるヒュエテル。
「それでは王様そしてヒュエテル様、私は失礼します」
フフフという笑いを残した保護者は子供達の元へと戻っていった。
「……本当に遠慮がありませんね」
気を落ち着けたヒュエテルはそんな感想を絞り出す。
「もしこれが他国なら首を刎ねられても文句は言えませんよ」
まあ、この時代では王や貴族というのは天上人の様な存在なので普通なら這いつくばるのが当然だと言えるのだが。
「これが俺の望んだ結果なのだから別に構わんだろう」
政策の1つに市民が政治に関わるよう月に1度場を設けてあった。
そこでは政策について是か否かを市民が決める場であり、そこには俺を含めたその政策の立案者が彼らに対して納得させることを求められる。
事実、俺も幾つかの提案を挙げたのだがその場で却下されている。
それゆえかジグサリアス王国においては階級の差というものが少ないので、王である俺に対しても気安く声をかけてくる市民が後を絶たなかった。
「ゆくゆくは彼らに国の運営を任せるつもりだからな」
俺が描いているは議会制民主主義。
王政が主流なこのユーカリア大陸でそんな構想など先取りしすぎているように思えるが不可能でない。
要は市民をそのレベルに引き上げれば自然とその形へと落ち着くだろう。
「しかし、エレナ様や王女方が納得するでしょうか」
ヒュエテルが懸念しているのは元支配階級にいた者達の反乱。
「市民が政治に関わることさえ難色を示していた彼女達が権力を市民に明け渡すことなど絶対に認めないなと思いますが」
「まあ、安心しろ」
ヒュエテルの不安に対して俺は手を振る。
「彼女達も市民と論議を重ねるにつれて徐々に理解を示し始めている」
特にヴィヴィアンは当初市民に反論されることすら我慢ならなかったようだが、数を重ねていくと市民達を認めたのか今ではウンウンと頷く光景も見え始めていた。
「俺の予想では絶対王政から議会民主制に移行する提案を出すのは彼女達だと踏んでいる」
上辺はともかく、心の底では彼女達も国を豊かにさせたいと願っている。
議会民主制だと国が永らくに渡って安定するのでそちらを選択しようとするだろう。
「だから何も心配することはない」
俺はそう言い切って別の区画へと足を進めようとしたのだが。
「ユウキ王はとても素晴らしい構想を描いていますね」
ヒュエテルの言葉に宿る微かな悪意が俺の足を止める。
「その光り輝く理想の足元には一体どれだけの数の他国民の血と涙があるのでしょう」
「……何が言いたい?」
俺が振り向いた先にいるヒュエテルは表情こそ穏やかだったが、内側から溢れる怒りを隠そうともしなかった。
「ユウキ王、耳に痛い忠言をこれから述べますがどうぞ最後までお聞きください」
ヒュエテルはそう前置きして語り始める。
「私は王が発した『何か困っていることはないか』という言葉に怒りを覚えています」
「何故?」
俺の問いにヒュエテルは大きく手を広げて辺りを見回す。
「この景色を見て下さい」
ヒュエテルが指し示すのは辺り一面。
そこには高水準の治安と景観が約束された光景が広がっている。
「この街並みに掛けるお金を少しでも他国に回せばどれだけの命が救えたのでしょうか」
「少なくとも万は下らないだろうな」
その通りだとばかりに俺は肯定する。
この光景だけですら贅沢の極みにも関わらず、さらに求めようとする。
その意味だと確かにあの言葉は傲慢以外の何物でもないだろう。
「確かに耳の痛い言葉だな」
「申し訳ありません」
俺の自嘲じみた呟きにヒュエテルは頭を下げる。
「ユウキ王はあくまでこのジグサリアス王国の国王。ゆえに他国民の安全など考えるべきではないのですが、それでも述べさせて頂きました。何故なら私はユウキ王が自国民の安全だけを考える狭量な王になどなってほしくないからです」
世の中を敵か味方かでしか測れなくなった支配者など害悪そのものでしかない。
そんな支配者はいずれ自分が守るべき者に対しても刃を向けてしまうからだ。
「ありがとう、おかげで少し視野が広がった」
神聖騎士団を相手にしなければならないと決めた頃から俺は気付かぬ間に視野を狭くしていたようだ。
何も神聖騎士団をピンポイントで弱体化させる必要はない。
中立を保っている国や団体を巻き込めば意外と簡単に事が進む可能性がある。
「いえいえ、ユウキ王のお役に立てて何よりです」
ヒュエテルが先程まで浮かべていた怒りはどこへやら。
今ではすっかり元の慈母の様な微笑みを浮かべていた。






