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2-2

 またしてもありえないところから管を引き抜かれる辱めを受けたあと、俺は女医とともに部屋を出た。


 部屋の外には内廊下があった。廊下の壁に並ぶ開けっ放しの窓のすぐ向こうは砂浜で、注ぎ込む潮風が女医の黒髪をはためかせた。


「ここは戦闘狂に限らず、あらゆる依存症を治療する病院なの」

 後ろをついてくるよう、俺に促しながら、彼女は言葉を続ける。

集団療法(ミーティング)っていうのは、その体験談や本音を共有する場のことね」


「はぁ」


 と、俺は答えた。


 そんなことより水浴びをさせて欲しいと思いながら、俺は女医の背中について行った。


 長い廊下だった。


 ペタペタとスリッパを響かせる俺の歩みはあきらかに本調子ではなかった。前回以上に拘束の影響が大きく、ずっと同じ姿勢でいたせいだろう、歩くたび節々がきしみ、腹の手術跡を疼かせた。


 そうして歩いていくと、俺たちは開けた場所に出た。

 

 天井が高い、ホールのようなところだった。


 その中央には椅子が円形に並べられ、患者と思わしき奴らが数人顔を突き合わせ座っていた。ちょうど空席が二個並んで余っていて、俺は女医に促されるがまま、その一つに着席した。


「……はぁ」


 思わずため息がこぼれた。腰掛けると一気に脱力して、なんでこんなことになったんだろうと、頭を抱える。


 その瞬間、


「あのーレイル先生、いいですか?」


 俺の真向かいで車椅子に座る女が声をあげた。視線を上げると、その紫髪の女は俺を指さしながら体を女医へと向け、冷たく澄んだ声で言葉を続ける。


「なんでそいつを強制退院させないんですか?」


「それは院長が――」


 俺の右隣に座った女医――レイルというらしい――が答えようとするが、車椅子の女がかぶせてくる。


「院長がなんなんですか? ボクは瓦礫で死にかけたんですよ。男部屋側に移るのも嫌なんですけど!」


「それは……」


 女医が口ごもって、俺を見た。なので俺は自分のことをボクと称するその車椅子女に顔を向けた。


 妙な女だった。


 まず最初に、鳥を抱えているのが気になった。カモだろう、それは緑の頭に黄色のくちばしで、大人しく女の腹のあたりに座っている。女はフリルやリボンがたくさんついたピンク色の服を着ている。服は着古されているが高級そうで、貴族の娘なのかもしれない。肌が生白く、年はたぶん俺と同じくらい。十六、七といったところか。


 そいつと目があった。片目だけ。


 もう片方の目はレースの髪飾りから垂れる薄紫の髪に隠されていたが、向き合ったその目はどうしようもなく細められていた。くっきりとした二重まぶたに覆われた紫の瞳はやけに毒々しく、まるでトリカブトの花みたいだ。


 まぁともかく、彼女は見るからに怒っていて、とにかく謝るしかないだろう。


 俺は立ち上がり、頭を下げた。


「悪かった。あれは禁断症状ってやつで……」


「だから何? そんな怖い人と一緒に生活なんてできないんだけど?」


「本当にすまない」


「先生、ボクもう無理……」

 そう言うと、女はいきなり顔を覆って泣き始めた。

「こんな奴さっさと追い出して、そうじゃなきゃ、ボクまた、またおかしくなっちゃう……」


 そんな風にうつむき、声をしゃくりあげて泣かれると、どうしたらいいのかわからず、俺は女医に目をやった。だが女医は気づかないのか、それとも気づかないふりをしているのか、反応してくれないので、俺は視線をずらす。


 おい、お前もなんか言えよ。


 俺の左隣には、さっきからずっと無言で本を読み続けている若い男が座っている。肌も髪も服も白く、今にも消えてしまいそうな男だった。


「…………」


 いくら俺が目で圧をかけても、そいつは何も答えなかった。本から目を上げる気配すらなかった。なので、俺はその隣を見た。


 そこにいるのはただの犬だった。クリーム色の短い毛、垂れた耳と目、茶色い鼻。首輪はつけていない。舌をだらりと垂らした顔がアホそうに見えるが、そいつは椅子の上にちょこんと乗っていた。車椅子の女や本の男が依存症というのはわからなくもない。が、この犬もなんらかの依存症なのか?


「…………」


 こいつも何も言わない。言ってくれるわけがない。


 それがこの場にいる全てで、車椅子の女は長い紫の髪を垂らし、肩を震わせ泣き続けている。息遣いに合わせ車椅子がきしむ。その荒い呼吸音を聞いていると、なんだか俺の息まで荒くなってくる。抱かれたカモまでもが悲しげな顔をしていて、張り詰めた時間が流れていく。


 どうすりゃいいんだ。


 いい加減いたたまれなくなって、俺は言った。


「本当に悪かった。もう絶対戦わないから許してくれ」


 車椅子の女が顔を上げる。その恨めしげな表情にまごつきながら、俺は続ける。


「それに、このまま退院したら死刑になっちまう」


「……そんなことボクには関係ない」


「そう言われても……」


「死ねばいいじゃん! どうせ罪もない人をたくさん殺してきたんでしょ?」


「そ、そんなことはない。剣士としてのプライドが……」


「は? 剣士って、ただの人殺しでしょ?」


「うるせー黙れっ!!」


 さすがに我慢できず、俺は椅子を蹴飛ばし女に飛びかかった。会ったばかりの女にそこまで言われる覚えはなかった。けれど、まさに女の肩に掴みがからんかというところで、俺の首に激痛が走った。


「がっ……、はっ……」


 万力で締め上げられるような圧に思わず膝をつく。首輪だ。あの魔法の首輪が異様な熱を帯び、俺の首を締め付けていた。


「あっ……、がっ……」


 それは喉を、骨を、容赦なく押し潰す。指を食い込ませ、引き剥がそうとするが、首輪は皮膚に深くめり込み、ずらすことすらままならない。


「本当に戦闘狂? 殺人鬼の間違いじゃないの?」


 頭上から、吐き捨てるように女が言った。違う、と反論しようにも、うめき声すら喉を通らず、俺は女を睨みつける。


「なにが剣士のプライドだよ」


 激痛の隙間から差し込むその冷徹な声は、なおさら俺を激昂させる。改めて飛びかからんと再び身を乗り出したところで、首輪の圧が一段上がる。骨が軋む音が頭の裏側で反響し、俺は冷たい床に投げ出される。


「こんなの、ただの狂犬じゃん」


 そうかもしれない、とふいに思った。


 明滅する視界の中央で、車椅子から俺を見下すその女。垂れた薄紫の髪の隙間から覗く諦観と軽蔑を含んだその瞳は、戦場で略奪を受けていた女や幼子らのそれによく似ていた。


 俺は決して、こんな弱者には手を出さなかった。


 そんな暇があるなら一人でも多くの敵を討ってきた。前線で剣を交えてきた、はず、だった。だけど……


 そんな思考すら、閾値を超えた痛みにかき消される。


 脳が茹だるかのように熱い。だけど手指の先は氷のように冷え込み、しびれが、震えが止まらなかった。喉を掻きむしるたび、爪に首の皮膚が食い込み、首輪の表面を血で濡らした。


「…………ッッ!!」


 ここに来て、腹の手術痕までもが意思を持ったかのように激しく疼き始める。焼きごてのような首輪の熱に皮膚を焦がされ、吐き出すことのできない絶叫を胸の中で昂らせ、俺はのたうち回る。


 ――「死」。


 その単語で頭の中が埋め尽くされた瞬間、俺の頬に何か柔らかな感触が触れた。


「ふふっ」


 次いで、頭上から聞こえた薄笑いに、俺は目を見開いた。


 頬に触れていたのは、女医の白衣の裾だった。ゆっくり視線を上げると、涙でぼやけた世界の中央に、黒縁のメガネが浮かんでいた。その奥には、金色の瞳がキラリと輝いていて、


「……た、……す、……け、……っ」


 まともに発声できていたかも定かでないが、俺は渾身の力でそう言うと、白衣にすがりついた。


 次の瞬間、


 首輪の締め付けが解除された。


「……あっ、……がっ、……がはっ」


 首輪の裏側に指が通った瞬間、全身からふっと力が抜けた。


 これまで以上に心臓が早鐘をうち、血の巡りとともに全身に染み入るかのように熱が戻っていく。意識が、視界が急速にクリアになっていく。


 なんとかなったのか?


 再び多少動くようになった首輪に、そう思った。締め付けられた痛みや腹の疼きは、まだ相変わらずだったが、それも少し和らいだ気がした。


 そうやって首輪に手をかけ、床の上に転がりながら、忙しい呼吸を繰り返す俺に、女医は言った。


「そう言うのを待ってました」


「……は?」


 よくわからぬその発言に女医を見ると、メガネは涙でうっすらと曇っていた。彼女はその小さな肩を震わせ、首元にかかった聴診器がぶらぶらと揺れていた。


 その隣から、車椅子の女も声をかけてくる。


「よく言えたね」


「……え?」


 そのトゲの抜けた声色に、俺が目を向けると、彼女もまた涙を拭っていた。


「最初からここまでって、なかなかないよ」


 そして車椅子の女は、ぱち、ぱち、とおもむろに拍手し始めた。


「感動した」


 その音を合図にしたかのように、別の拍手が重なって、見ると、女医もまた拍手していた。


 今度は「ワン」と短い吠え声。犬までもが前足で器用に拍手し始めた。本の奴だけは変わらず本を読み続けていたが、その口元がどことなく笑ってるように見えた。


 なにがなんだかわからなかった。


 さっきまで俺を殺人鬼と罵っていた女が、慈愛に満ちた目で拍手を送っている。白衣の裾を血で汚した女医もまた、温かい微笑みを湛えている。


 拍手は鳴り止まない。ホールの高い天井で反響するそれは、俺を飲み込んでいく。

 

 惨めな俺を嘲笑うのであればまだわかる、だが恥を晒した俺をなぜ称えるんだ?


 異様としか言いようのない光景に俺は困惑し、床に横たわったまま起き上がることすらできなかった。ただバクつく心臓を抱え、息を切らすことしかできなかった。


 しばらく続いた、その耳障りなほど清らかな拍手がようやく止むと、女医が事も無げに言った。


「それでは、集団療法(ミーティング)を始めましょう」

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