6-7
先に動いたのは、マルゴだった。
彼女はパイロンの本を奪おうと、ぎこちなく車椅子から身を乗り出し、手を伸ばした。アスタチンに火炎魔法を叩き込むつもりだろう。
だが、アスタチンの方が早い。
「もうその手は食らわねえ」
彼は瞬時に飛び込み、マルゴに回し蹴りを叩きつけた。彼女は車椅子ごと大きく弾き飛ばされ、後ろのレイル先生を巻き込み転がされる。
ふたりが折り重なるように倒れ込んでも、パイロンは汗だくになりながら本を読み続けていた。アスタチンはそんなパイロンを羽交い締めにして抱え上げる。パイロンは必死にもがいたが、その力はあまりに弱い。それでも、指だけは本のページを掴み、爪が紙を破きそうなほど食い込んでいた。
パイロンの顔が、マルゴたちを向くよう変えられる。
「こいつの炎は熱かった」
アスタチンがパイロンの本を強引に引っこ抜き、壁に開いた穴から投げ捨て言った。
「さっきの仕返しだ」
マルゴたちを前にして、パイロンの華奢な体が大きく引きつった。
だが、何も起こらなかった。
数秒ほど時間が流れても、パイロンは身体を震わせるだけで何も言わなかった。彼は自由になった両手で喉をかきむしり、涙を流しながら、仲間のために自らの『呪い』を必死に飲み込み続けていた。
あいつもまた、戦っている。構わず吐き出せば楽だろうに。
「おいてめー!!」
その決死の抵抗に、アスタチンがキレた。彼はパイロンを激しく揺さぶりわめき立てた。
しかし、
「何か言え――」
そのしゃがれ声は突然、空気を切り裂く鋭い音に遮られた。鋭い衝撃とともに、彼の背が弓なりに反ると、傷だらけのその肩口に矢羽がぶるりと揺れる。
「……は?」
アスタチンの腕から解放されたパイロンがその場に力なくへたり込む。アスタチンは肩口に突き刺さった矢を引き抜くと、鉄格子の向こう側、扉が開いたままの入口の方へと体を向ける。
そちらから、再び弦の鳴る音がした。
ずどんっ。胸に、もう一本。
アスタチンがぐらついた。その顔は満面の笑みで、俺もつられて笑ってしまう。この期におよんで、胸の奥に甘い疼きが灯ってしまう。だけど、今なお震えながら黙っているパイロンを見て、俺はひときわ強く唇を噛んだ。
気づくと、ズザズザと、布を引きずるような音が外から近づいてくる。その音はどんどん大きくなって、ズボンの裾をクレープに咥えられ、建物の中へと引きずられてくる院長の姿が、視界に入った。
ひしゃげて広がった鉄格子の隙間を縫って、さらなる矢がアスタチンの腹に突き刺さる。
院長は弓を掲げていた。顎を引いて弓を引く彼は血まみれのボロボロで、彼もまた笑っていた。
院長は生きているのが奇跡といった有様で、弓を引く姿勢にも無理があった。それでも、それを引き絞る手元だけはこれ以上ないほど盤石で、美しさすら感じられた。指だけが、まるで別人のようだった。
アスタチンが咆哮する。
彼は獣のような前かがみで牢から外に出ようとする。大きく開いた口の奥へ吸い込まれるように、もう一本。
頭蓋を砕く鈍い音とともに、矢が墓標のように突き立った。
「あっ、あっ、あ……」
アスタチンは後頭部まで貫通したその矢を両手でつかんだ。目の焦点が外れ、がくりと膝が折れる。満足げに歪んだ笑顔だけを残したまま、ほんの一瞬の後退ののち、壁の大穴から崖下の闇へと吸い込まれた。
風だけが遅れて唸った。
クレープは口から白衣を手放した。床に転がった院長は、仰向けから上半身をわずかに起こし壁にもたれると、俺が開けた大穴の向こう、どこまでも広がる黒い海をにらみつけた。
「病院で、殺していいのは……俺だけだ」
息を切らしながらの院長の言葉は、波の音にかき消された。
俺は結局、宿敵と決着をつけることができなかった。
狂わずに済んだはずなのに、いまだ消えない甘い疼きだけが、虚しかった。




