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5-2

 その日の夜、自室でジクロロメタンが入れてくれた茶を飲んだ俺は、思わず声を上げた。


「これ、美味いな!」


 黄金色に輝くそれを口に含むと、バラの花の甘い香りが鼻腔にふわりと広がった。味もまろやかで軽やかで、気品に満ちていた。


「我が領地で一番の茶葉だからな。当然だ」


 その言葉に、肩の重みがすっと和らいだ。俺は名残惜しさを感じつつ、残りを飲み干すと、鼻から息を吐く。胃の底からじんわりとした温かさが全身に広がっていく。


 こんなふうに、昨夜対峙した相手と茶を飲むことができる。その事実に、こわばっていた筋肉が、バターが溶けるように緩んでいった。


 ランプの柔らかな光が、ジクロロメタンの影を、背後に積まれた本の山に揺らしていた。昼間、レイル先生に髪を結われ、マルゴのお下がりの白い服と小さな花の髪飾りを身につけた彼女は、昨夜の敵対を忘れさせるほど、どこか柔らかく、整って見えた。


 そんな俺の視線に気づいたのか、ジクロロメタンが背中に両手を伸ばした。


「っておい、脱ぐのかよ」


「あぁ、ドレス(これ)は動きづらくてかなわん。着替える」


「そうじゃなくて、人前でやるな!」


 思わず壁の方を向いた直後、布ずれの音と、何かに足を引っかけたような気配がした。


 ごと、と鈍い音。続いて、どさどさと本が崩れる音。


「おい、何やってるんだ」


「……だから、嫌なんだ」


 どうやら後ずさった拍子に本に足を取られたらしい。


 振り返ると、彼女は袖を片腕だけ通したまま、本の山に足を引っかけて立ち尽くしていた。床一面に、これでもかと本が散らばっている。


 俺はため息をつき、床にしゃがみ込んだ。


 ふたり黙って、本を片付ける。薬を手放した分、棚には隙間ができたはずだが、そこだけで片付けきれる量ではなく、結局本を再び重ねて縦に積んでいく。


 本はどれも水魔法関連のものばかりだった。これらは、元の持ち主が持ち帰るよう先生に言われ、パイロン前の廊下にはみ出ていたものをさっき俺たちで運び込んだものだった。


 ジクロロメタンがそんな一冊を手に取り、ぽつりと言った。


「女になっても、過去からは逃げられないらしい」


 その言葉に、ドキリとした。 


 逃げたつもりで、逃げられていない。剣から目を逸らし、衝動から距離を取った気になっていただけだ。俺も同じだと、否応なく理解させられる。


「……なんていうか、ごめん」


「謝るな」


 その後も黙々と片付けを続けた。沈黙を、窓の外から聞こえる虫の声がやさしく埋めた。


 最後の本を積み上げ終えると、ジクロロメタンがベッドの下から何かを取り出し、俺に差し出した。


「謝るなら、これに謝れ」


 その手元を見て、思わず呼吸が止まった。


 俺の剣――赤い鞘に金細工が施されたロングソード。二度、院長に投げられ、昨日重症病棟で探したあの剣だった。


「なんで……これを?」


「さっき犬が部屋まで持ってきたぞ。お前のだろ?」


「あぁ。……そうだ」


 鞘の金細工は黒土に汚れ、昨日見つからなかった理由がわかった。たぶんクレープが土の中に埋めて隠していたのだろう。今朝の集団療法(ミーティング)のあと、あいつは俺をじっと見ていた。これはあいつなりの謝罪なんじゃないか、そう思うと、少し込み上げてくるものがあった。


 改めて剣を前にすると、体がすくむ。


 だが、昨夜、衝動を抑えた事実を思い出す。ジクロロメタンを殺さず、朝を迎えられた自分がいる。以前なら、きっと逃げ出していただろう。


 ――今は違う。


 そう思う。


 だが指先は、まだ少しだけ震えている。


 それでも、と俺は唾を飲み込み、両手で剣を受け取った。


 革で巻かれた柄を握った瞬間、指が勝手に形を覚えていた。力の入れどころ、重心の落とし方、踏み込みの角度。


 汗ばむ手のひらの裏に感じる、その無意識の正確さに、背筋が凍った。


「あぁ……」


 喉がかすれ、声にならない音が漏れる。


 それでも俺は視線を落としたまま、絞り出す。


「俺は、親を殺した……」

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