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「そのまま押し倒して、首を絞めるほうに五万ダッ」
「だから賭けないって」
マルゴがまとわりつくガーモを手で追い払うと、ガーモはバサバサと部屋の隅の棚の上に飛び乗った。
「ダッダッ。じゃあ殴り倒すほうに十万ダッ」
甲高いその声を無視して、マルゴは俺に言った。
「ごめんね、うるさくて」
「こっちこそごめん」
俺は今一度頭を下げた。
「もう二度と斧は使わないから」
俺たちはマルゴの部屋にいた。
あのあと、念のためにレイル先生に診てもらったが、やはりマルゴはどこも怪我をしてはいなかった。俺は「まだ仕事があるから」というマルゴを引き止め休ませようと、車椅子を押して彼女の部屋へと移動したのだった。
向かい合うベッドに腰掛けたが、薄暗い部屋には湿っぽく物寂しい空気が漂っていた。二つのベッドが並んだその作りは俺の部屋と同じだが、ここには物がほとんど何もない。俺が風車を壊し、彼女の私物を瓦礫の下敷きにしてしまったからだ。
その沈黙に耐えきれず、俺は続ける。
「これからは飯を食うときナイフやフォークを使わない。掃除のときホウキだって使わない。全部素手でやる」
もう二度とあんな事故は起こしたくない、だから俺は繰り返し頭を下げる。
「荷物だって瓦礫から全部掘り出して持ってくるから。マジでごめん!」
「だから謝らなくていいって」
マルゴはそう言って、俺の顔を上げさせる。
「むしろ、ありがとうだから」
「え?」
紫色の片目。まっすぐに俺を見つめるその瞳がトリカブトでなく、アメジストのように輝いて見えた。
「キミがガーモを殺してくれて、正直、嬉しかったんだ」
「ダッ!?」
マルゴの物騒な告白にガーモが素っ頓狂な声を上げるが、彼女はそれを無視して言葉を続けた。
「あいつのせいで、ボクはすべてを失った。……目も、脚も、あいつとの魔術賭博で奪われたんだ」
「えっ!?」
思わず、間の抜けた声が喉からこぼれた。
マルゴの両肩が震えていた。俺は何か言わなければと思った。が、言葉は見つからず、ただ胸の奥がずんと重くなった。
数秒の沈黙の後、窓の外で雲が切れ、強い光が差し込んだ。カーテンが揺れ、マルゴの髪の隙間から、隠されていた左眼窩が露わになった。
隠されていた彼女の左眼窩には、本物の宝石が、生々しく埋め込まれていた。
「ガーモは殺しても殺しても、ずっとボクにまとわりついてくるんだ」
「失敬ダッ! 吾輩は吾輩を望む人間にしか取り憑かないダッ!」
「嘘つけっ! ボクはもう、賭けたくなんてないっ!!」
宝石が再び髪に隠されると、マルゴは俺のほうを向き直った。
「それに……、キミになら……」
マルゴはそこで言葉を切り、視線を伏せた。ほんの一瞬、迷うように唇を噛む。その頬にわずかな赤みがさしていて、俺は一瞬、呼吸を忘れた。
「押し倒すほうに――」
「ガーモ、黙って」
マルゴはもう一度、小さく息を吐いた。
「でもさ。キミがそばにいると、ちょっと安心するんだ。押し倒すかはともかく、もっと話さない? ボクと友達になってよ」
「友……だち?」
「うん。今すぐじゃなくていいから」
俺はわけがわからなくて、答えに詰まる。
ガーモがくちばしを開きかける。
「無視して!!」
またしても喚かんとするガーモを遮り、マルゴが声を張り上げた。
「ガーモは暇に寄生する邪神なの。ボクが独りでいるとき、夜中ふと目が覚めたとき。そういう隙間を狙って囁いてくるんだ」
「……わかる。俺の拳が疼くときと、たぶん同じだ」
「でしょ。暇、なにより孤独が一番ダメなんだ。だから、キミが来てくれて良かった」
ガーモがまたも何か言おうとするが、被せるように彼女は続ける。
「前はもっと患者がいたんだけど、先月みんな退院しちゃって、話せる人がいなくて寂しかったんだ。クレープは犬だし、パイロンくんはいい人だけど、あんな感じでしょう? ジクロロメタン卿は部屋から出てこないし……」
「たしかにそれはきついかも」
「そう。だからもっと話そうよ。あ、そうだ。ボクが文字を教えてあげる」
「え?」
マルゴの意外な発言に俺は驚いた。
「そんな、いいよ。俺バカだし」
「そんなことないよ!」
マルゴはベッドをきしませ、ぐっと体を乗り出してくる。
「キミはバカじゃない。難しい言葉だって知ってるし、習う機会がなかっただけで、文字くらい余裕だよ」
そうなんだろうか、と俺は思った。
俺は難しい言葉なんて知ってるか?
マルゴが片目でじっと俺を見ている。そのアメジストじゃない瞳が、うるうるときらめいている。でもたしかに言われてみると、「アメジスト」ってどこで覚えたんだろう?
わからない。わからないけど、それは悪くないアイデアのように思われた。
そのとき、どこからか冷たい風が吹き込み、カーテンが揺れた。ガーモが不機嫌そうに羽を鳴らした。
紫色の髪も揺れて、窓から差し込んだ光が本物の宝石を輝かせた。
「なら、こうしよう」
と、俺は言った。
「文字を教わるかわりに、俺がマルゴの分まで仕事する。それでどう?」




