3-2
先生が言っていたことの意味は本当にすぐにわかった。
午前の集団療法は一時間もかからず終わる。その後、昼食までは自由時間と言われるが、俺には時間の潰し方がわからなかった。敵がいれば戦えばいい、いなければ剣の手入れなりしていればいい。だけどここは戦場じゃない。しかも剣を奪われ戦いを封じられた今、できることは何もない。要するに暇だった。
暇になると体がうずいてそわそわしてくる。戦ってすっきりしたくなってくる。
そんな気持ちを紛らわせるように、俺は壊れた廊下の穴を塞いだ。散らばる瓦礫を脇にどけ、外から板を立て掛け固定する。拘束に伴うふらつきや関節のこわばりは一晩経つと相当回復したとはいえ、この作業はなまった体には結構きつく、雲ひとつない日差しの強さも相まって、俺はたちまち汗だくになった。
でもそうやって集中していると、体のそわそわを忘れていた。
穴を塞ぎきり、一息ついたところで、代替行動――昨日マルゴから聞いた言葉を思い出し、なるほどなと俺は思った。穴を塞ぎながら戦うことはできない。金槌と釘を持ってる限り、剣をつかむことはできないのだ。
他の患者たちも、それぞれがそれぞれの仕事をしていた。マルゴも車椅子をぎこちなく動かし、拭き掃除をしていたし、パイロンも本片手に畑から野菜を摘み取っていた。クレープまでもが洗濯物を干すレイル先生を手伝っていた。
院長は今日も見かけなかった。レイル先生によれば、舟で街まで買い出しに行っているらしい。ジクロロメタンも見かけなかった。こいつは部屋で寝てるのか、それとも薬でも飲んでいるのか、どっちにしろいい身分だなと俺は思った。
働いているみんなで軽い昼飯を食ったあと、俺は薪を割ることにした。
倉庫から丸太と斧を持ち出し、日差しと潮風を避けられる建物の裏で割り始める。
斧は相当年季が入っていたが、きちんと手入れがされていた。
台の上に丸太を置いて、両手で柄を握り、足を開いてその重みに任せ叩きつけると、ドスン、とたしかな手応えが背骨に沿って突き抜ける。腹の傷に少し響いたが、
これはいい。
と、その滑らかな切断面を見て俺は思った。
再び丸太をセットして、斧を構え中心めがけ勢いよく振り下ろす。振り下ろしと同時に腰を落とし、力が無駄にならないよう意識する。
スパン、と丸太が両断されるたび、柄に伝わる振動に手の表面がビリッとしびれる。久々の全身運動に、痩せてしまった筋肉が喜んでいるのがよくわかった。
それは剣を振るう感覚によく似ていた。
ドスン、スパン、ドスン、スパン、とリズムに乗って、俺は薪を割り続けた。
そうやってひたすらに割り続けていくと、手と斧とが少しずつ一体化していくような感じがあった。体の動きに斧が完全に連動し、俺自体が斧になっていくかのようだった。斧はまた俺になって、世界は斧と丸太だけになって、余計なものがすべて削ぎ落とされていくのだった。
どのくらいそうやって斧を振るっていただろう。
ふと目を上げると、建物の角から黒い陰が迫ってくるのが見えた。
こちらから十歩ほどのところで、一気に露わになるその特徴的なシルエットは車椅子に日傘――マルゴだ。が、それを認識する前に、俺の手は、彼女の背後に感じた「違和感」に反応するように斧を投げつけていた。
「へ?」
シュルシュルと空気を切り裂き、斧が横回転しながら高速で飛んでいく。それは三日月型の軌道を描いて建物の陰に消え、影の主に直撃した。
「きゃあっ!!」
物騒な音がして大きく影が乱れ、死角から甲高い悲鳴が上がる。
「……!」
背筋がゾッと冷たくなった。
俺の頭は真っ白になって、急いで飛び出すと、建物の角を回り込んだ。
きゅるきゅるきゅる、と車輪が空転する音が虚しく響いていた。車椅子が逆さまにひっくり返り、マルゴがうつ伏せに放り出されていた。
「大丈夫かっ!」
俺はマルゴに駆け寄り、その細い体を抱きかかえた。どこだ、どこに当たった? 俺は彼女が血を流していないか確認しようとして、手が止まった。
泥に汚れたピンクのスカートの裾から、不自然なほど軽い感触が伝わってきたからだった。そこに本来あるはずの膨らみが、太ももあたりから下が、丸ごと失われていた。しかしドレスに血が滲む様子はない。布越しにも断面はつるりとしていて、これは今俺が斬ったのではない。彼女は、最初から両脚を失っていたのだ。
そして驚くべきことに、彼女の体には、かすり傷一つなかった。ほとんど反射的に投げつけた斧の軌道は、車椅子の手すりをわずかに削り、彼女の耳元を数ミリの差で掠めて、そのすぐ側にいたものだけを、完膚なきまでに屠っていた。
「……あ」
俺の視界の端で、何かが動いた。
斧が地面に突き刺さり、その真横に、カモの首が転がっていた。緑色の首の断面からはどす黒い血が溢れ出し、少し離れた場所に転がる胴体は、水かきのついた足を妙な方向に向けてピクピクと痙攣していた。
「ごめん、本当にごめん!」
俺は、あまりにも軽いマルゴの体を車椅子へと戻し、震える声で謝った。だが彼女からの返事はなかった。彼女はじっとカモの死体を見つめたまま、茫然自失といった表情で固まっていた。
車輪の空転が止まり、ピンクの日傘が畑からの風にくるくると転がっていく。
首輪の裏が焼けるように熱くなって、俺は重苦しい気持ちになった。ほんの一瞬、マルゴでなくてよかったと考えてしまった自分を殺したいほど腹が立った。
「本当にすまない!」
今一度深く頭を下げて、マジで俺は治らないんだ、そう思った。
なにが「俺は斧で、斧は俺だ」だ。そんなこと考えているからこんなことになるのだ。お前はやっぱりただの殺人鬼だ。殺戮兵器だ。騎士道精神を踏み外し、自分のことすら自分でコントロールできない狂人だ。そんな言葉で頭のなかがいっぱいになった、その時だった。
「神に何をするダッ!」
「えっ?」
バサッ、という大きな羽ばたきとともに、足元から聞こえた見知らぬ声に、俺は凍りついた。
そこには、ありえないものがあった。
血まみれで転がっていたはずの首が消え、羽を広げて威嚇する胴体の先に、さっき切り飛ばしたはずの緑色の首がそっくりそのまま生え戻っていたのだ。
「な……生き、返って……?」
切断面の骨まで見えたはずだ。そう混乱する俺の前で、再生したばかりのくちばしが不遜に動く。
「よくも吾輩を殺してくれたダッ!」
「な、なんで生きてるっ!? てか、しゃ、喋ってる?」
「そりゃあ神ダ、からダッ」
「神、て……、カモじゃん?」
「カモの神様ダッ!」
「……は?」
生き返っただけじゃなく、喋った。情報の濁流に脳が追いつかず、俺はあんぐりと口をあけ、その場に立ちつくす。
そこで、
ぷっ、とマルゴが吹き出した。顔を上げると、砂埃に汚れた薄紫の髪がふるふると震え、
「あははははっ」
と、ついにマルゴは声を上げて笑い始めた。
「え、なにっ? えっ?」
「はははっ。あー、ははっ、面白い。まさかガーモを殺すなんて……」
髪の隙間から見える頬に赤みがさしていて、なおさら俺は困惑する。マルゴはそのまま体を揺らして笑い続け、そして言った。
「はははっ。あのね。ガーモはギャンブルの神様なの」
「はい?」
わけがわからなかった。何も言えぬ俺のかわりに、そのカモが流暢に言葉を続けた。
「そう。吾輩はカモに取り憑くカモの神様、マガモのガーモ様ダッ。なぁマルゴ、また賭けようダッ? 吾輩はこいつが一生退院できないほうに十万ダッ」




