3-1
「で、殺さなかったのは偉いじゃない」
次の日の朝食後、診察室で先生が言った。
「あいつ一体なんなんですか?」
俺は尋ねた。
「アレ、絶対ダメな薬ですよね。なんでアレが許されているんですか?」
「それは私からは言えないわ。タンタルくんから直接聞いて」
「そんなこと言われても……」
俺は口をつぐんだ。
昨日はホールの床で寝た。硬い石床はふかふかのベッドよりもずっと眠りやすかった。あの少年も、一目散に部屋を飛び出した俺を追いかけてはこなかった。朝飯にもいなかったし、たぶん一日中あそこに引きこもっているんだろう。
部屋に戻りたくねぇなぁ。
そう思っていると、レイル先生が言った。
「とにかく。拘束が外れてから一日、誰も傷つけることなく過ごせたね」
黒い前髪を揺らして彼女が笑うと、メガネの奥で黄金色の瞳が細まった。俺の血がついた白衣は洗われ白さを取り戻し、窓から差し込む光が椅子の上で足を組む褐色の脛に反射していて、俺は横目がちに言った。
「……ギリギリでしたけどね」
視線を向けた先、壁際の棚には赤、青、緑と、色とりどりの薬瓶が並んでいる。俺はピンク色の瓶を叩き割ったことを思い出し、ちょっと嫌な気分になる。有事が起きたときの備えだろうか、部屋の隅に刺股や弓矢が立てかけられているのも、居心地が悪い。
先生が言った。
「でも、できたじゃない。えらい。褒めてあげる」
直後、俺の頭になにかが触れた。
「よしよし」
髪の流れに沿うように、先生の手が俺の頭を優しく撫でていた。
「のわっ!」
俺は椅子から飛び上がった。
「な、なにするんすか!?」
「なにって……」
中腰の姿勢で先生が答える。
「よしよし、だけど?」
「そ、そういうんじゃなくて」
「じゃあタンタルくんの自己肯定感を高める治療」
そう言って、先生は席に戻る。
「治療?」
再び座るように促され、俺もしぶしぶ腰を下ろす。
「そう。これもれっきとした治療だよ。『二度と戦わない』ために、戦わなかったらちゃんと評価してあげなくちゃ。小さな積み重ねがタンタルくんの自信に、次の『戦わない』に繋がるんだから」
先生はもう一度立ち上がると、再度俺の頭に手を乗せた。
「だから、よしよし」
「うえっ。ちょ……」
先生は今度はガシガシ、クレープの頭を撫でるみたいに俺の頭を撫でてくる。その手は温かく、指が細く柔らかで、なんだかとても落ち着かない。
「やっぱちょ、ちょっと、やめてくださいって!」
俺はいよいよ耐えきれず、先生の手を押しのけた。
「な、なんか他の治療法はないんですか?」
「他の治療?」
「そうっすよ。よしよし以外で」
「うーん……」
先生は顎に手を当て考え込んだ。
「……どうしようかなぁ」
「別に痛くてもいいですから」
「って言われてもなぁ……えーっと、なにがあるかなぁ」
先生が足を組み替える。その動きに合わせ首元で聴診器が揺れる。俺の頭にはまだワシャワシャされた感覚が残っていて、頬の火照りが早く治まればいいのにと思う。
「わかりました」
しばらくして、彼女は言った。
「そこまで言うなら、タンタルくんは島の力仕事をやってもいいです」
「え?」
「午前の集団療法が終わったら、廊下の穴を塞いでもらおうかな」
「いや、でも……」
やってもいい、という先生の言い方が気になった。
「お腹の傷なら大丈夫。今日一日様子を見て、問題なさそうなら明日抜糸ね」
「だからそうじゃなくて」
「もしかしてやりたくないの?」
「べ、別にやりたくないわけじゃないですけど……」
先生の妙な口ぶりに、俺は戸惑う。
この島に医者は二人だけで、看護師や調理師はいない。清掃員や事務員、耕作人や炭焼きもいない。
レイル先生と院長だけで、すべての仕事を行うのは不可能だ。だから、患者に助けてもらわないといけないのだろう。事実、昨日マルゴやパイロンが食事の後片付けをしていたのを俺は見ている。
それが強制というのならわかる。やってください、というのもわかる。なのにあえて、やってもいい、とはどういう意味なのか?
そんなふうに首を傾げる俺に、先生がさらりと言った。
「やりたくないなら、やらなくていいよ」
黒縁メガネがキラリと光った。
「ここではすべてが患者の自主性に任せられている。実際ジクロロメタン卿は診察や集団療法にも参加してないわけだし」
「はぁ」
「まぁ、すぐにやりたくなるよ。穴を塞いだら、薪割りもしていいからね」




