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雨の日の記憶

雨の日の記憶3――リサのこと

作者: 小山らいか

 外は雨が降り続いていた。

 窓の外に立つずぶ濡れの女性――リサは、体が弱かった。

 好奇心旺盛で、いつでも新しいことに挑戦し、エネルギーに満ち溢れていた。その一方で、季節の変わり目や朝晩の気温の差が大きいときにはすぐに体調を崩し、熱を出した。それでも、気持ちはいつも前を向いていた。真っ赤にほてった顔で、うるんだ目をしながら、嬉しそうに夢を語っていた。

 偏食も激しかった。とにかく好き嫌いが多い。特に野菜。トマト、にんじん、ピーマン……。脂っこいものも苦手だった。気に入らなければ、いっさい食べない。服の上からはわからないが、驚くほど細い体をしていた。僕はリサの体を心配して、何とか野菜や栄養のあるものを食べさせようといつも考えていた。

「これ、おいしくない」

 僕が作った料理をひと口食べて、そっぽを向く。「いいからちゃんと食べて」すると、恨めしそうに僕を見た。それでも、味を工夫していくと少しずつ食べられるようになった。リサと出会ってから、僕の料理の腕はずいぶん上がった。

 飲み会も好きで、いつでも喜んで参加した。でも、リサは酒が飲めなかった。アルコールを受け付けない体質らしい。それでも、誰よりもはしゃぎ、楽しそうに歌を歌った。

 夢を叶えるためにひとりで海外へ行くと聞いたときは、絶対に無理だと思った。ただただ不安だった。すぐに体を壊してしまうのではないか。行くなら別れる――そう言い放った。でも、止められないこともわかっていた。

 リサは、前しか見ていない。

 リサを失ってから、何もする気が起きなかった。毎日が、ただぼんやりと過ぎていった。体の中が空っぽだった。心配したバンド仲間たちは「しばらく休んだほうがいい」と口々に言った。キッチンに立つことすらできない。虚しさからいつしか酒に頼るようになり、毎晩、浴びるほど飲んだ。気づくと朝を迎えていた。二日酔いのひどい頭で、ぼんやり外を眺めていた。窓に差し込む光さえ、恨めしく思えた。


「もう、音楽はやらないんですか」

 ある日、ふらっと立ち寄った小さなライブハウスで、ひとりの女性が話しかけてきた。「あなたの音楽が好きなんです」アーティストのマネジメント会社を経営しているという。物静かな佇まいの彼女は、とても経営者には見えなかった。遠慮がちに話す様子は、なぜか僕の心に少しだけ光を届けた。


「……こんなことして、また熱出したらどうするの」

 僕は彼女が用意してくれた新しいビニール傘をリサに差しかけ、白い大きなタオルを手渡した。リサは黙ってタオルを受け取ると、頭からかぶった。

「体は大丈夫? ちゃんとご飯食べてる? ……今日、泊まるところはあるの?」

 言葉が、勝手に溢れていく。ただ、傘を渡して、そのまま帰ってもらうつもりだった。僕には彼女がいる。リサとは、もう何の関係もない。でも、体の奥底から湧いてくる感情を、抑えることができなかった。

「……リサ」

「大丈夫だよ」

 昔と変わらない、張りのある大きな声。リサはまっすぐな目で僕を見た。

「私なら、大丈夫。心配しないで。ここへ来たのは、ユウのことが心配だったから」

「僕の……?」

「うん。ちゃんと自分の好きなこと、続けなきゃだめだよ。後悔しないように。応援してるから」

 リサはそう言うと、僕の手からビニール傘を受け取り、背を向けて歩き出した。後ろは振り返らない。いつもそうだった。リサは前だけを見ている。

 雨が降り続いている。

 後ろ姿が、次第に小さくなっていく。リサは同じテンポで歩き続ける。雨に霞んで、もうすぐ見えなくなる。

 ――リサ。

 ふいに、小さな背中が、地面に崩れ落ちた。僕は傘を捨てて、走った。

 

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― 新着の感想 ―
読ませますね。 今後の展開が楽しみでもあり、身につまされるところもあって、ちょっと苦しい気持ちにもなってしまう。
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