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完結『若さを求めるのは罪ですか?──鏡の魔女と契約した侯爵令嬢、半日だけのロマンスと王子との婚約、そして訪れる断罪』  作者: カトラス


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第十一話『偽りの仮面と純真の瞳──舞踏会に戻る二重奏』

 レオンと手を取り合いながら、大広間へと歩みを戻した。磨き込まれた大理石の床に、二人の足音が静かに重なる。高々と吊るされたシャンデリアが眩い光を放ち、その光がドレスの裾や王子の軍服の金糸を煌めかせた。


 扉が開かれると同時に、視線が一斉にこちらへと注がれる。ざわめきは音楽と混じり合い、まるで波のように押し寄せてくる。男たちは息を呑み、女たちは扇の奥で小さな囁きを交わす。その中心に立たされた私は、逃げ場のない舞台に放り込まれた俳優のようだった。


「皆、あなたを見ていますね」


 レオンが小さく微笑む。その声音には誇らしさが滲んでいた。


「……殿下の隣にいるからですわ」


 私は努めて平静を装いながら答える。けれど胸の奥では、幸福と罪悪感がせめぎ合っていた。──これは仮初めの若さ。欺きの美貌。私は偽りを纏い、王子の隣に立っているのだ。


 彼は私の手を強く握り直し、低く囁いた。


「違います。客人達はサロメ、あなたそのものを見ているのです」


 音楽とざわめきに包まれる大広間。その熱気は渦を巻き、笑い声と旋律が重なって、華やかな世界を形作っていた。人々が舞う中、私は王子と腕を取り合い、ゆるやかなステップを踏み続けていた。けれど、その視線はふと逸れ、煌びやかな装飾卓に置かれた小さな手鏡へと吸い寄せられた。


 そこに映ったものを見て、心臓が跳ねる。若く美しいサロメの顔ではなかった。皺を刻み、疲れを宿したアリエット。老いた私が、鏡の奥からじっとこちらを見返していたのだ。


「……っ」


 胸が冷たく締めつけられ、足が一瞬止まりかける。だが王子の腕が支えてくれたことで、舞の流れは崩れずに済んだ。その時、耳の奥に艶やかな囁きが忍び込んできた。


「恋を語れ……さもなくば、代償を払うことになる」


 ノクスの声。甘やかでいて冷酷な声色が、氷の刃のように心を撫でていく。扇を口元に寄せ、笑みを作る。けれど指先は小さく震え、仮面の美しさが今にも剥がれ落ちそうな恐怖に苛まれていた。


「サロメ?」


 レオン王子の低い声がすぐ傍から響く。私の動揺を敏感に察知したのだろう、真摯な瞳が心配げに揺れている。


「……何でもありませんわ。ただ……少し眩んだだけです」


 苦笑いを作り、彼の肩に身を寄せる。王子は眉を寄せ、さらに小さく囁いた。


「無理をしてはいけません。私が支えます。安心していいのです」


「殿下……ありがとうございます」


 胸が温かく震える。けれど同時に、背後で老いた私がなおも鏡の中から見つめている気配を感じた。冷たい影が背筋を撫で、幸福の仮面を今にも砕こうとしている。


「もし疲れたのなら、この後すぐに席へ戻っても……」


「いいえ、殿下とこうして舞っている時こそ、私の力となるのです」


 王子の腕に縋りながら言葉を紡ぐ。心からの思いを口にしたつもりだったが、その奥底では恐怖が蠢いていた。ノクスの囁きが離れない。恋を語れ──その要求が鎖のように胸を縛りつける。


 煌めく音楽、王子の温もり、そして鏡の中の老いた自分。三つの現実が交錯し、私は笑みを崩さぬよう必死に微笑み続けた。


 心臓が甘く震え、言葉が喉に詰まった。私は唇を噛みしめ、かすかな笑みを作ることで答えるしかなかった。


 その時、真正面から射抜くような視線に気づく。ミラ・ド・グレン伯爵令嬢。王子の婚約候補と囁かれる娘だ。淡い桃色のドレスに身を包み、白百合のような清廉さを纏っていた。彼女の瞳はまっすぐで、そこに濁りは一つもない。王子を想う気持ちが透き通っていて、まるで聖堂のステンドグラスに差す光のようだった。


「……あの方が、殿下のお相手候補なのですね」


 思わず漏らした声は、自分でも驚くほど震えていた。


 レオンは視線を向け、すぐに戻してきた。その蒼い瞳が真剣に揺れる。


「ええ。ですが……私にとって大切なのは、彼女ではありません」


「殿下……」


 胸が熱くなる一方で、冷たい棘が突き刺さる。──私は偽り。彼女は真実。若さも未来も、彼女の手の中にある。


 ミラは扇を胸に抱き、ただ静かにこちらを見つめ続けていた。その眼差しに嫉妬はなく、戸惑いと真摯さが宿っている。だからこそ残酷だった。純粋さが私の仮面を暴き出すように思えたのだ。


 大広間は笑い声と旋律に満ちている。それでも私の耳には、心臓の鼓動と、罪悪感のさざ波だけが響いていた。幸福の光と影が交錯し、私は王子の手を握りしめながら微笑みを崩さぬよう必死だった。


 やがて音楽が終わり、華やかな旋律が余韻を残して途切れた。舞踏の輪が解け、人々は笑みを交わしながら休憩へと移る。給仕たちが銀の盆を抱えて行き交い、甘い菓子と香り高いワインが差し出される。煌びやかな大広間に、ひとときの緩やかな空気が流れ始めた──その時だった。


 背筋を冷たく撫でる気配。振り返らずともわかる。オーギュスト王が、再び姿を現したのだ。堂々たる歩みで大理石の床を踏みしめ、その存在だけで空気が張り詰めていく。人々のざわめきが消え、視線が一斉に彼の背に集まる。


「……サロメ・ルミエール」


 王の声が低く響き、大広間を震わせた。名を呼ばれた瞬間、心臓が大きく跳ねる。逃れられない。王の瞳は獲物を捕らえた鷹のように鋭く、私を捉えて離さなかった。


「次は必ず……私と踊っていただこう」


 その言葉に、広間はざわめいた。扇の陰で息を呑む令嬢たち、驚きに目を見張る紳士たち。国王自らが一人の女性に公然と舞踏を求めるなど、異例のこと。人々の目が一斉に私へと注がれた。


「……光栄に存じます、陛下」


 扇を持つ手が汗ばみ、微笑を作る唇は冷たく震えていた。それでも言葉を紡ぐほか、逃れる術はなかった。内心では鐘の音が響くように恐怖が脈打ち、背筋に冷たいものが走っていた。


 オーギュストはわずかに口元を吊り上げ、満足げに頷く。その眼差しには執着の光が揺らぎ、まるで私を刻みつけようとしているかのようだった。視線を外すことすら赦されぬ圧力に、呼吸が浅くなる。


「サロメ……」


 隣に立つレオン王子の声が低く落ちた。その声音には、父を前にしても怯まぬ強さが宿っていた。


「陛下、今宵の舞踏はまだ続きます。ですが、彼女はすでにお疲れのご様子。どうかご配慮を」


 その言葉に、オーギュストの視線がゆるやかに王子へと移る。二人の眼差しが空気の中で火花を散らす。父と子。王と王子。どちらも退かぬ強さを秘め、静かな戦いが始まっていたように私には見える。


「……息子よ。私が選ぶのは自由だ。忘れるな、王の望みは国の望みでもある」


「ですが、陛下。彼女の心までは、誰の望みでも縛れません」


 レオンの言葉に、大広間の空気が再びざわめく。人々は扇の奥から驚きと興奮を漏らし、次第に熱を帯びていった。


 私はただ、二人の間に挟まれて震えていた。父と子の対立。その予兆は、氷の刃のように私の心臓を切り裂いていく。逃れようとしても逃れられない。王と王子、二つの視線に縛られたまま、私は微笑みを保ち続けるしかなかった。


 その時だった。遠くの塔から、重々しい鐘の音が響き渡った。低く深い響きが石造りの壁を震わせ、煌めくシャンデリアの光すら揺らす。その音は舞踏会のざわめきをも押しのけ、私の胸を冷たい鎖で締めつけた。


 ──時が削られていく。残された猶予は、もうわずか。


 鼓動が速まり、私は思わずレオン王子の横顔を仰いだ。彼の蒼い瞳は真摯に輝き、まるでこの広間に私しかいないとでも言うように見つめ返してくる。その光に触れた瞬間、心の奥から焦燥と願いがせめぎ合った。


「殿下に……真実を告げるべきではないのか」


 唇が震える。老いた自分、鏡の契約、すべてを曝け出してしまえば、この苦しみから解放されるのではないか──そんな衝動が胸を突き上げた。だが次の瞬間、耳元に甘やかで冷酷な囁きが忍び込む。


「まだ語り終えていない……恋の物語を」


 ノクスの声。ぞっとするほど艶やかで、氷のように冷たい。私は身を震わせ、開きかけた唇を閉ざした。真実を語れば、すべてを失う。その確信が背骨を冷たく走る。


「……サロメ、どうしたのです?」


 レオン王子が低く呼びかける。心配の色を浮かべた声。私は慌てて笑みを形作り、首を振った。


「……大丈夫ですわ、殿下。ただ……鐘の音に驚いただけで」


 王子は眉を寄せ、一歩身を寄せてきた。その掌が私の手を強く包み込む。


「あなたが震えている。無理をしてはいけません。もし辛いなら、私がすぐにお連れします」


「いいえ……殿下のお傍にいるからこそ、私は強くなれるのです」


 そう囁くと、王子は真剣な瞳で見つめ返してきた。


「ならば、私を信じてください。どんな影が迫ろうとも、私が必ず守ります」


 胸が熱を帯び、涙がこみ上げそうになる。だがその奥底では、ノクスの声がなおもこだましていた。


「忘れるな……仮面は永遠じゃない」


 鐘の余韻が広間に漂い続ける。人々の笑い声や音楽に紛れながら、確かに告げていた。──この夜は夢のように美しくとも、永遠には続かないのだと。


 私は王子の手に縋りながら、心の奥で震えを隠し続けた。幸福と恐怖の狭間で揺れる鼓動が、仮面の微笑みの裏で鳴り響いていた。影の帳は確実に降り始めている──そう悟りながらも、私は最後まで笑みを崩さぬよう必死だった。

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