しっぺ返し
高二の四月。
それぞれの委員と係を誰がやるかを決めるときだった。
わりふり的に、うまくいけば何人かは何もやらずにすむが、
うまくいかないときはハズレとみなされている風紀委員やカギ係をやらされることになる。
そうならないためには、立候補するしかない。
(勝手知ったるの図書委員をまたやるか……)
はい、と手をあげたあと、
追いかけるように、うしろのほうで女子が手をあげた。
(まさかおれ目当てとか? ……そんなの100パーないよな)
「おぼえてる?」
はじめての活動日。
正確な言葉はおぼえてないが、そんな感じで彼女から声をかけてきた。
けっこう親しげな口調で、おれはおどろいた。
「おぼえてないんだ?」
おれのリアクションをみて、彼女は苦笑した。
「私だけだったか、残念」
「あ……なんかごめん」
「いいのいいの」
おれは二年から理系のクラスに進んでいた。理系のクラスは一つしかなかった。
「おう。卒業までのくされ縁、確定だな!」
一年でできた友だちの前野は、意外にも数学が得意だった。
だからおれもあいつも、新渡戸さんも同じクラスになった。
――むろん、このときは七股のことなど一ミリも知らない。
バスが停車してからドアがあくまでの数秒が、やたらと長く感じた。
「あっ。白沢くん!」
名前を呼ばれたのに、べつの人のような気がした。
(え……?)
浴衣は、紺色の生地に白い帯。
ひじの内側に提げた黒い革のハンドバッグ。
ふだんうなじのとこでゴムでまとめている髪をアップにして、
「じーっと見ないで。はずかしいじゃない」
彼女のトレードマークともいえる丸メガネを、(おそらく)コンタクトにしている。
目の両端が鋭角的で、すずしい目元だ。
てか大人だ。だいぶ印象がちがってみえる。
おれがわからないだけで、メイクとかもしているのか?
(あ! いかん! そういえば、おれのとなりにはユアが―――)
あわてて、そっちに視線をうつす。
すると、
「はやくいこうよシューちゃん。おなかすいちゃった。焼きそば焼きそば」
同じく、浴衣姿の幼なじみ。
祭りがあるほうを指さして、無邪気にそんなことを言う。
「ちょっ、こっちにこいって」
「あ~れ~」
「変な声をだすな」
背中を押して、いったん新渡戸さんから距離をとった。
背中ごしに、こっちへ歩いてくる気配を感じる。時間はない。
「ユア、単刀直入にいうぞ。おれはこれからデートだ。わるいけど、今日はつきあえないんだよ」
「またまた」
「この顔をよくみろ。冗談いってる顔か?」
「いつになく、冴えない顔のメガネ男子だね」
ふふっ、と結愛は微笑した。
だめだ。聞く耳をもたない。
やむをえない―――
少々、きつい物言いになるが……
「先約があるんだよ。お祭りには、おまえ一人で行ってくれ」
「せんやく~? ていうか、どうせ前野くんでしょ? いいじゃん三人で……」
ぴたっ、と幼なじみの体がとまった。
目は、おれの右方向をみつめている。
(気づいたか……)
「あ! いけない! もうこんな時間!」
「え?」
「友だちがまってる! じゃあ私行くから」
こいつなりに機転をきかせたのだろう。
ドタキャンされたって言ってたのに、友だちがいる演技なんかしてくれて。
正直、ホッとした。
だが、
「白沢くん。またね」
最後の一言。
他人行儀な名字の〈くん呼び〉。
それが妙にひっかかった。
ダメージを受けたような感覚があったといってもいい。
「きれい、だね」
「うん」
「……」
うなずいたおれに、彼女はそっと顔を近寄せてきた。
打ち上げ花火のときにキス。
これが、三周目の新渡戸純との恋愛のピークだった。
高校三年で残すのは卒業だけ、という日。
おれは屋上に上がった。
「今回の成果は一人だけ~? ねえ、あなたこの高校を出ていく気はあるの」
ずい、と彼女は腕組みの姿勢のまま、おれに一歩近づいた。
「七股どころか二股すら成しえてない。自分のおかれた状況、わかってる?」
こめかみのあたりに、敬礼みたいに指先をそろえて伸ばす。
これは、フカモリさんがよくやる仕草だ。おそらく彼女のクセだろう。
「わかってる。おれなりに、ちゃんと考えてるさ」
まじで。
おれは三年間を、六つのブロックに分けることにした。
一年を上半期と下半期。それが三つで計六つ。そして、それぞれのブロックで女子に告白してOKをもらう。
三周目は、その下準備で終わってしまった。
しかしつぎの周回以降、いやうまくいけば次の周で、おれは七股をかけることができるはずだ。
(そして六股からの最後の一人は―――)
「は~~~さむぅ~~~~」
今、肩をすくめて屋上にやってきた、この幼なじみだ。
グレーのブレザーの下のスカートと、赤いリボンタイが強風でゆれている。
「ユア。わるかったな」
「べ・つ・に」
「そうおこるなよ。すぐ終わるから」
今回は事前に口裏を合わせていないが、まあ、たぶん大丈夫だろう。
以心伝心。
幼なじみのよしみで、おれの真剣さを感じとってくれるはずだ。
「あのさ……おれと」
「まって。それ、ひょっとしてコクろうとしてる?」
手のひらを向ける。制服のそでで手の下の方が少しかくれている。
「そうだ」
きっぱりと言い切った。
てっきり、照れるとかそういう反応かと思ったが……
「ダメ。私、つきあってる人いるから」
「え? おいおい」おれはフッと鼻で笑って、メガネのブリッジをトンと押した。「冗談はやめてくれよ」
「冗談……? なんでそんなふうに思うわけ?」
「ずっといなかったじゃないか。一周目もにしゅ――」おっと、とおれは口をつぐむ。「とにかく、おまえに彼氏なんかいないってのを、おれは知ってるんだよ」
むっ、とちょっとにらむような目つきをして、
無言で背中を向けた。
中学の時とあまり変わらない、小さな背中だ。
(泣いてるのか?)
不安になって、おれは結愛の前に回りこんだ。
屋上の幽霊のフカモリさんも、こっちにきた。
「これが」しゃっ、と幼なじみはスマホをおれにみせた。「目に入らぬかっ!!!」
「なっ……!!??」
「そんなわけ。ごめんね。私にはせんやくがあるのデス」
「バカな」おれは思わずつぶやいた。「勝呂くんとおまえが……」
「あなたにお返しだよ。いつかのお祭りの、ね」
完全に、結愛は勝ち誇っていた。
スマホの待ち受けは、どうみても恋人同士にしか見えない、イケメンの勝呂くんとのツーショットだった。
そういえば、おれが前野とずっと同級生だったのと同じく、こいつも文理総合コースで彼と同じクラスで三年間をすごしたんだった。
が、それだけの関係だったはずだ。高校を周回してるおれは、その事実を知っている。
なのになぜ?
今回にかぎって、どうしてだ?
「じゃあね。バイバイ」
結愛は手をふって、行ってしまった。
反射的に、おれは追いかけていた。
「ユア! それじゃこまるんだ! たのむ、おれの告白を……」
「しつっこいなぁ」
「おれを受け入れ――――ぶはっ!!!!!!」
ぱぁん、と陸上競技のスタートの号砲みたいな音がした。
ビンタの衝撃でおれの顔は90度横に向く。
「私、あなたのモノじゃないんだから!」
だだーっとあいつが走ってゆく先に人影があった。
「白沢くん……」
新渡戸さんだった。
胸をおさえるように、左手を下、右手を上にしてかさねている。
屋上は、障害物がなく声がよくとおる。
おそらく、これまでの会話もきかれ――
「さ、さよならっ!」
――ていた。
ときは卒業前の二月。
もう、修復のしようもなかった。
「成果ゼロ」
最終日の屋上で、フカモリさんはダメ押しでこう付け加えた。
「あ・ほ」
見上げた空は青かった。
ビンタしてフラれてという、最後の最後でとんでもないメにあったが、おれはヘコたれてない。
(いくか)
メガネのレンズをつなぐブリッジを人差し指の先でトン、トン、トンと三回たたく。
次の四周目で、すべてを終わらせるんだ。