水をさす
名前にかんする話題は、ほぼ鉄板だといっていい。
というより、それしかとっかかりがなかった。
「名前~~~?」
ものすごくイヤそうな反応だった。
どうしてそんなこときくのよ、と言わんばかりに。
セーラー服の女の子は、無言で腕を組んだ。
左右一本ずつある三つ編みのおさげ髪が、体の前で風にゆれている。
「名前ねぇ……」
屋上で〈彼女〉をまつ間、ずっとこの人と二人きりだった。
自称、幽霊的な存在のこの人と。
おれは気まずさを感じていたが、相手はおかまいなしという感じで遠くの風景をながめていた。
なにか話せることはないかと思い、
おれは手始めに名前をたずねたんだ。
「フカモリよ」
「え?」
「フカモリ・ケイ。これで満足?」
と、
そこで階段のほうから足音。
「白沢くん……?」
新渡戸さんだった。まあ、呼び出したんだから当たり前だ。
たたっ、と小走りで駆け寄ってきた。
今からおれが何をするのかを察しているのかどうか、ここ暑いね、と彼女は無難な話から入った。
「そうだね」
「ね」
半袖の夏服の肩のあたりをつかんで、ピッピッとひっぱる。
太陽は西の空にあって赤い。
遠くからとどく部活の声とか、いかにも夕暮れ時って感じだ。
「屋上へのドアって、カギかかってないんだ。意外だな」
「かかってたけど、おれがあけた」
「え?」
「ピッキングっていうやつで」
言って、しまった! と思った。
想像以上に絶句して引いている。
「…………そういうの、しないほうがいいよ?」
うんうん、と彼女の真横で深くうなずくフカモリさん。
実体はないはずなのに、セーラー服の白いスカーフが風にそよいでいる。
おれは、引くわけにはいかない。
(強行突破―――!)
「わかった。もうしないよ。でも、おれはどうしてもここが良かったんだ」
「……」
「絶対にだれにも邪魔されない場所で、想いを伝えたかった」
やや下に向いていた顔が、ゆっくりと上がった。
ただならぬ真剣さを感じとってくれたのだろう。
新渡戸純。
二周目にできなかったことを今こそ…………
「好きだ。おれとつきあってください」
「ほんとに?」
「おれは本気だよ」
「そっか。私もね、じつは白沢くんのことがね……」
…………イメトレはカンペキ。
そう。
演技でもしてるつもりで、ハキハキものをいえばいい。それだけでも好感はもってくれるだろう。
モテ男の勝呂くんもそう言っていた。
――「心なんてこもってなくていいんだよ。それより、キョドらずに堂々としてるのが一番さ!」
って。
(いける。やれる。たとえこれが、人生最初の告白だとしても―――っ!)
二周目で結愛にしたやつは、デモンストレーションみたいなものだ。
そもそもあいつはおれみたいなモブ顔のメガネ男子になんか興味はないだろうしな。
「あ、あの」
切り出したおれの声で、ぴん、と彼女に緊張が走った。気がした。
その瞬間、
「わーーーっ!!!! 高ーい! 見晴らし最高っ!!!」
いきなり、幼なじみが屋上にあらわれた。
いかん。よりにもよって、こんなときに。
「や、やめようよぅ。先生におこられるー」
「へーきへーき! 見逃してくれるよ!」
どこからくるんだその確信は。
っていうか、開放されてるのをいいことにここに上がってくるなよ。
(あれは一年のときのあいつの友だちの後藤さんだ。二人だけか。集団でずかずか来られなかったのは幸いだが……)
おれと新渡戸さんは、とっさに近くにあった筒状の出っぱりに身をかくした。
距離がぐっと近くなり、おたがい座った姿勢で少し体がふれている。
「こういうトコでアレされたいよね。ゴッちゃん。愛の告白」
びくっ、と小さく新渡戸さんの肩が上がった。
「ほらみてよあの夕日とか。めっちゃロマンチックじゃない?」
「そうだけど……も、もう下りよ?」
「あれ? 高いところ苦手?」
「うー、それもあるけど、ここって勝手に入っちゃダメだってぇ」
しぶしぶ、という感じで後藤さんにそでを引かれていく結愛。
歩きながら、
「ユアっち。好きな人いるの?」
「いるいる」
なんでうれしそうなんだよ。しかも食い気味に。
「だれ?」
「えーとねー…………」
かんかんと階段をおりる靴音が、
結愛の言葉とともに、フェードアウトしてゆく。
あいつがちゃんと答えたのかはわからないが、性格上、はぐらかしてる可能性が高いだろう。
小・中とあいつの口から好きな男子とか、間接的に誰それが好きらしいとか、一切きかなかったからな。
「行ったみたい……?」
「うん。もういない」
すっ、とおれたちは立ち上がった。
そばでずっとたたずんでいたフカモリさんは、手首のあたりを人差し指と中指の二本でたたいて「はやく」のジェスチャーをする。
「新渡戸さん」
「は、はい!」
「おれとつき、つ、つきゃ、つきあって、ください」
ロレツがだいぶあやしかったが、なんとか言えた。
気づけば、自然とにぎりこぶしをつくって、手汗びっしょりなのに気づく。
「そう。私と――だよね?」
「うん」
「私なんかで、いいのかな?」丸いメガネごしにおれをみつめる。ぱちぱち、とすばやく二回まばたきした。
正直、今は返事はイエスでもノーでもいい。
どっちでも、次の周回のときに役に立つ。
イエスならOK、ノーなら次はもっとアクセルをふみこんでいくだけだ。
「そうね。わかった。いいよ」
「え?」
「白沢くん、私と話が合うし、いいなって思ってたんだ」
おおっ!
ついにやったぞ。
七股の一人目ゲットーーー!…………って、絶対本人にはこんなこと言えないな。
「よろしくお願いします」
ぺこっ、と彼女は会釈して、かけているメガネが少し下へずれた。
「ありがとう」
これはまじりっけなしの本心だった。こんなおれでいいなんて。自分が認めてもらえたようで、うれしい。
(どうせなら彼女とは〈ふつう〉に恋愛したかった)
ゆるしてくれ。
ここはそうしないと出れない、きわめて理不尽な高校なんだ。
「なーに、ニヤニヤしちゃって」
一学期も終わって、七月の最終日曜日。
地元のお祭りに、おれは新渡戸さんをさそった。浴衣できてくれるかどうかは、まだわからないけど。
家を出てバス停にむかえにいく途中、幼なじみに会った。
「はい、『きれい』『かわいい』以外のコメント禁止」
浴衣姿で結愛はくるっと一回転した。
うすいピンクにひまわりが咲いた柄。
「どこかに出かけるのか?」
「まさかのスルー!!? 感想プリーズ! てか浴衣きてんのに行き先きくかね!」
「いや、おちつけよ。べつにはじめてじゃないからな……おまえのそれ見るの」
「だろーけど、なんかあるでしょ、なんか!」
きゅっと鼻にシワを寄せて、結愛はおれの肩を押した。
さりげなく一歩ふみだすと、何もいわずおれのとなりに回って、いっしょに歩きはじめる。
「ユア。夏休みは計画的にすごせよ」
「なんで保護者目線なのよ! さも私が無計画みたいに言って!」
「実際、毎年8月31日にはパニックになってたじゃないか」
「…………まあね。あなたん家この夏、どっか旅行行くの?」
と、おれたちはなんでもない会話をしながらバス停まで移動した。
急にそこで、おれより先に結愛が立ち止まった。
「ところでさシューちゃん。あの……友だちにドタキャンされてさ」
「えっ」
「よかったら、いっしょにお祭りにいかない?」
上目づかいでおれをじっと見る。
どんどん、ちゃんちゃん、と遠くからきこえる祭囃子。
ばしゃっ、と近くの家の人が道路に打ち水をした。
じっとしてるだけで汗ばむ、
夏の日の夕方。
そして、おれの告白を受けてくれた彼女がのっているとおぼしきバスが今――
「お願い、つきあってよ。私、一人ぼっちなんだから」
徐行運転でバス停にとまった。