本腰を入れる
入学式のあと、一直線に屋上に行った。
こんな行動をとる高校生は、日本でおれだけだろう。
「ゼロよ」
顔をあわせるとすぐそう言ってきた。
屋上にいるおさげ髪の美少女。
「前回の成果はね。一応、ご報告までに」
「ゼロだって? いや、最初の四月にユアに告白を……」
人差し指をメトロノームみたいにふる。
そして、右手をグーにして、パッ、とひらいた。
「爆弾が爆発したのよ。最後の最後、卒業式のあの日。心当たりはあるでしょう?」
「……あります」
「いい? 七股とはなんぞや、ってことを今一度考えて。過去に七人恋人がいたことを、世間では七股をかけたなんて言わない」
たしかに。
爆弾、か。
つまり、相手にすごく嫌われたら関係は〈ご破算〉で〈ノーカン〉になるってルール。
あのときの幼なじみは危険な状態だったのに、おれは気づけなかったわけだ。
(まいったな……)
これは想像以上の難事だぞ。
一筋縄じゃいかない。
それなりに計画的にいかないとな。
「わ。シューちゃんじゃん。どしたの?」
体のうしろで手をむすんで小首をかしげる彼女に、おれは言った。
「ユア。おりいってたのみがある」
「やだ」
「だから、まだ言ってないだろ」
「だから~?」
いかん。
あまりにもやりとりが前回のリプレイすぎて、つい口がすべった。
「何が『だから』なのよぅ。ん~~?」あやしむような目つき。ときどき、こいつは信じられないレベルの推理のキレをみせるときがある。するどいんだ、むかしから。
「ちがうよ。だがなって言ったんだ。しかしみたいな意味だよ」
「あー!」左手をひらいて、そこに裁判官のハンマーみたいに右手をうちおろす。「納得した!」
相変わらずの、疑うのの二倍のスピードで信じてくれる性格。
こういうところは皮肉でもなんでもなく、幼なじみのいいところだと思っている。
「あのなユア、このクラスに彼がいるだろ。あの……モデルなみにかっこいい」
「勝呂くん?」
「そう」
「勝呂くんがどうしたの?」
「おれに紹介してくれ」すっ、とおれはメガネのブリッジに人差し指の先っちょをあてる。「ぜひ友だちになりたいんだ」
結愛の両眉が上がった。
びっくり、って表情だ。
「たのむ。おれは本気なんだ」
「いやいや。勝呂くんとは私もそんな親しくないんだけど。いっつも女子がとりまいててさぁ」
「そこをなんとか」
「うー」
不満げでイヤイヤだったが、あいつはたのみをきいてくれた。
「やあ」
「あ。こんちは……」
「キミが白沢くん?」
はい、とこたえた声がちょっとふるえた。
こうして間近でみると、オーラがすごい。
長身。小顔。イケメン。サラサラの髪。ピアス。中のシャツを第三ボタンまであけて着崩したグレーのブレザー。
勝呂優生。
ウワサでは卒業時に三股をかけていたときく。
おれが恋愛を教わる相手として、彼以上の男はいないだろう。
男子の間では『すぐやる勝呂』なんて陰でいわれて、すこぶる評判はわるいが。
(どうする? ひたすら拝みたおすか……?)
いきなり「女の子とのつきあいかた」を教えてくれといったって――――
「…………ちょ、こっちへ。あまり、人にきかれたくない話なんです」
「オーケー。いいよ」
歩き出すと、ついてきてくれた。
あの場じゃ、そばにあいつがいて、がっつり聞き耳をたてていたからな。女子の目線もあったし。
「で何?」
「えーと……」
中庭のベンチ。
彼がすわって、おれは立っている。
「え?」
「このとおりです。おれ、どうしても女子と仲良くなりたくて」
地面の、勝呂くんのカゲを見ながらおれは言った。
「そのための心がけっていうかアドバイスっていうか……そういうのをもらえたらな、って」
「まあ、とにかく頭を上げてよ」
言われたとおりにする。
目が合うと、彼はさわやかに笑った。
「突然すぎてさっぱりだけど、キミが真剣なのはわかったよ」
「真剣も真剣。はっきりいって切羽詰まってます」
「はは。そうなんだ。なるほどね」
一瞬、彼がすべてを理解したみたいな顔つきになった。
そのワケは、すぐにわかった。
「一来さん……だね? あの子、目がクリってしててかわいいよね。幼なじみなんだって?」
がさがさっ、と近くの木の茂みで音がした。
小動物が動いたような音で気になったが、今は無視だ。
「まあ、はい。でもおれは……」
「いいよいいよ。協力する。キミの、ストレートなところが気に入った」
おもむろに彼はスマホを出した。
おれも出して、連絡先を交換した。
「あの……」
「ん?」
「たとえばデートにさそうときとか、どうやって声をかけてるんですか?」
「だいたいその場のノリだけど、そうだなー、おれは『休日にキミと遊びに行けたらうれしいな』みたいな感じかな」
じゃあ、とかっこよく片手をあげて、勝呂くんは校舎に消えた。
じつに堂々たるモテ男だったな。
よく考えればおれとはモノがちがうから、はたして参考にしていいのかという疑問はのこ……
「あれっ? おまえ、どこにいたんだ?」
「じゃーん」
「いや『じゃーん』じゃなくてさ」
校舎に入ろうとしたおれの肩をポンポンとたたいたのは幼なじみだった。
髪に、みどりの葉っぱが一枚ついている。
「どうだった? 彼、いい人だった?」
「ああ。まったく非のうちどころがないよ」
「そっか。ふーん……」
「ありがとな。助かった」
「え? ああ、うん」
「葉っぱついてるぞ」
「ほんと?」
手をのばしてとってやった。
自由落下して、スライディングっぽく地面をすべる葉っぱ。
なぜか、結愛は無表情でおれを見つめている。
心なしか赤面というか……どこか上気したように見えるが。
「ねえ、シューちゃん。こ、今度のね、週末って天気が……いいらしい、よ?」
「そうなのか」
「あー、なんか、うーん、外に出たい気分だなぁ」横顔を向けて、ちらっ、ちらっ、とおれに視線を流してくる。「出かけてもいいかなー、なんて」
「へー。それならユア」
「なっ、なにっ!?」
「散歩でもしたらどうだ。一人で。近所の公園とか、まだ桜が見ごろだぞ」
言うと、幼なじみはすっぱいものを食べたときのような顔になった。
そして、なんかふっきれたように、
「デートは!!!??? デート! わ・た・し・と・デ・エ・ト!!!!!」
火炎を吐くように言い放ったので、おれは勢いに押されてのけぞった。
瞬時にすべてをさとる。
「ユア。おまえ、さてはきいてたな? さっきの勝呂くんとの会話」
「濡れ衣です!」
「いやいや……」
結局、デートするって話はうやむやになった。
そのうちに春も終わり、梅雨の時期になった。
おれは前回――二周目だ――に、告白寸前までいけた女の子と、三周目のファーストコンタクトをこころみる。
「白沢です。よろしくお願いします」
「あ、ご丁寧にどうも。私は新渡戸。よろしくです」
場所は図書室。
おたがい図書委員で、この日がはじめて当番の日がいっしょになるときだった。
「めずらしい名字だね」ぐっ、と勇気をだしていきなりのタメ口。経験上、この子ならけっこうなれなれしくてもゆるしてくれる。
「ですよね」
「お札の人だった新渡戸?」
「はい」
おたがいに返却する本を処理しながらの会話で、目は合わせてない。
「まさか子孫とか?」
「はい」
「え? まじ?」
にこっ、と微笑んでおれのほうを向いた。
小ぶりな丸メガネが光の反射でキラリと光る。
「ウソです」
「一瞬、信じたよ」
「エンもユカリもありません、というか、あの人きらいまでありますよ」
「どうして?」
「小学校の時、あだ名が『イナゾウ』だったから」また、顔をそらして作業にもどる。「でも高校生ともなるとさすがにもっとヒネりますね。今じゃ男子から『武士道さん』って呼ばれてます」
「それもウソ?」
「これはほんとなんですよ」
ふっ、とおれは口をななめに曲げた。
べつにクールを気取ってるわけじゃなく、笑うの苦手なんだ。とくに女子との会話では。
「なんか……」
「え?」
「はじめて会った男子なのに、どえらい話しやすい」
「どえらい?」
「あ……ごめんなさい、母の口グセが……」片手で口元をかくした。「ヘンなこと、言いましたね」
いや、うれしいよとおれは心でつぶやく。
丸いメガネをかけてて成績優秀、一見、真面目なタイプかと思いきや冗談っぽくウソをつくことが多い。
おれはキミをよく知ってるんだ、新渡戸純さん。
「私、白沢くんのことが好き……あっ! いえいえ、そんなじっと見ないで下さい。これも―――もちろんウソなので、安心して下さい」
卒業式前の帰り道でおれに言った一言。
新渡戸さんはなぜ急に、あんなことを。
結愛のことを知っていて、身をひいた。
そんなふうにもとれたが、考えすぎか。
「では私はお先に、教室にもどります」
「うん。おつかれさま」
彼女がいなくなり、おれはメガネのブリッジの部分を人差し指の指先でさわった。
あの言葉がウソかどうか確かめる。それがこの三周目で必ずやるべきことの一つだ。