仰げば尊し
卒業したと思ったら入学した。
事実をそのまま書くと、そうなる。
「よう!」
こっちにふりかえりながら、親指を立てた男。
グレーのブレザーで、ネクタイがすこし曲がってる。
「おまえ、どこ中?」
やけになれなれしいこの態度が、正直おれは好きじゃなかった。
前の……(前ってなんだよとは思うが)このときは、おれは適当に受け答えしただけだったと思う。
「おいおいどーしたんだよ。オバケ見るような目でさぁ」
「いや、べつに」
「友だちになろーぜ。おれは前野」
「あ、ああ、おれは」
白沢周。
そう言うと、思ったとおりこいつは「どっかの文豪みてーだな」と言って笑った。
一年のとき同じクラスになって、たまたま座席が一つ前の席だった前野。
以後、いつのまにかどんどん親しくなって、卒業式には親友と呼べる存在にまでなった。
(こいつに会えたのはうれしいが……今はそれどころじゃないな)
演技とは思えなかった、前野の〈おれとはじめて会った〉っていう態度。
そこから推すと、まわりもそう……つまりまた高校生活をくり返しているのは自分一人?
―――二周目は、おれだけ。
そんな違和感ありありの状態のまま一週間がすぎたころ、
「なあ前野。あそこ、だれか立ってないか?」
「はぁん?」クセのある返事。こういうとこも、最初は好きじゃなかった。「あそこって屋上か?」
「そうそう。向かいの校舎の屋上。ほら! こっちを見てる! 腕を組んだぞ!」
「腕とな」
「セーラー服で……おい、おれのほうは見なくていいんだよ」
無言で前野はおれのひたいに手をあてた。
そしてこうつぶやく。
「ずいぶん早い五月病だぜ」
カカカと笑うこいつをあとに、おれは教室を出た。
昼休み。まだ時間はある……が、
(まじかよ)
当然というか、屋上へのドアは施錠されていた。
(あれがまぼろしだって?)
そんなはずはない。
そしてその日から、ときどき彼女の姿が見えるようになった。
あの場所で待っているような気がするんだ。おれがくるのを。
(古いタイプでよかったな……)
あいた!
動画を参考にピッキングっていうのをためしてみて、
四月最後の日にやっとうまくいった。もしこのカギが最新式で防犯対策ばっちりだったら、きっとムリだっただろう。
「ごきげんよう。ずいぶんおそかったじゃない」
どこか親しみのこもった口調に、おれはおどろいた。
冷たいポーカーフェイスだが、口元は微笑んでいるようにもみえる。
「どうやら二周目はあなただけのよう。おめでとう。ウェルカムYOU」
なんかラップっぽい言い方。
へんな子だ。
長い髪を三つ編みにしてて、それが左右に一つずつ。きれいな線対称。
(すご……)
ごくんとツバをのむ。
ぱっちり大きい二重の目。やばい。アイドルとかそんなレベル。それ以上かも。
ゆっくりとした動きで、彼女は胸のまえで腕を組み合わせた。
「じゃあ、がんばって」
「え?」
「告白はこの屋上ですること。それがルール。私が見届ける必要があるから」
「告白?」
「それを七人に。まあ、いわゆる七股ってやつね」
「なな……? キミ、なにをいってるの?」
「ここは七股をかけるまで出れない高校」
どや、といわんばかりにキメ顔をつくって言った……気がした。
なんだ?
冗談じゃなさそうだけど。
「ほんとに? 七股? おれが?」
「ガチまじ」
「それをしないと、また入学からやり直しに?」
「疑うなら、身をもってためしてみれば」
目を細めながら彼女は言った。冷たく、つきはなすように。
直感的におれは悟る。この女の子は、おれの味方じゃない。
きっと、たとえるなら試合の審判のような存在なのだろう。
「ほかに質問は?」
「キミは……人間?」
「いい質問ね。答えはイエスともノーともいえない。まあ、幽霊的な感じと思ってもらっていい」
(幽霊……)
って言われても、にわかには信じがたい。
そこでおれは、幼なじみに相談した。
「わ。シューちゃんじゃない。どしたの?」
手招きして教室からつれだす。
いっしょに屋上まで移動した。
手前の階段で、
「なあユア。一生のお願いがあるんだ」
「やだ」
「まだ言ってないだろ」
「私のクラス、シューちゃんのタイプの子っていたかなー」
「勝手に想像をふくらますなよ」
「じゃあお金?」
「ちがう」
否定しようと伸びた手が、いきおいにのりすぎて壁までいった。
壁とおれの間には幼なじみの女の子。
ちょっと身長差もあって、おれが見下ろす角度。
壁ドン、だ。
「今からおまえに屋上で告白しようと思うんだ」
「なっ、なななな!!??」
「何もいわず、オッケーしてくれ。いいな?」
「そっ、それもう告白じゃないじゃん! 結果ありきじゃん! きょ、拒否権ないの!?」
あ。
いかん。あまりにも説明が足りなかったな。
よく注意されるんだ。相手のことを考えず言葉を省略しすぎだって。
おれはメガネのブリッジの部分に人差し指の先をあてた。
「ユア。告白はするが、おれとつきあわなくていい。そういう……なんていうか、形だけでいいんだよ」
「告白しといてすぐ捨てる気!? その気にだけさせて、わ、私をどーしたいのよっ!!! もてあそびすぎでしょ!」
「まあ、おちつけ」
なおも怒りでプリプリする幼なじみの手を強引にひき、
「……ごきげんよう」
ふたたび彼女と対面した。
「今から告白するけど、これが成功したら〈残り6人〉になって、それをクリアできればこの異常な現象は終わるんですよね?」
「そう理解してけっこう」
「わかりました」
「へっ? シューちゃん、だれと話してんの?」
「ユア。おまえが好きだ。つきあってくれ」
「急展開! てか有言実行!」
「まじめにきいてくれよ」
「………………」ながい沈黙のあと、おれの目を上目づかいにみながら「うん」とうなずいた。
そばにいる三つ編みセーラー服の彼女もうなずいた。
オッケー、ということだろう。
(とりあえず、うまくいったか。しかしこれをあと6人もだと……)
見上げた空は、はてしなく遠く感じた。
まるで恋愛のゲームだ。
むかし、世間で流行った高校三年間をシミュレートするゲームみたいな、それが現実になったような状況だ。
もはやグチってもしょうがないし、なんでおれなんだよとクレームつけても無意味。
わかってるのは〈七股をかけろ〉ということだけ。
せめて主人公がイケメンなら希望もあるんだが、あいにくとおれは……いたってふつうの見た目。わるくいえばモブ顔ってヤツだろう。おまけに、コンタクトを入れるのがこわくてダサめのメガネまでかけている。
(だがやるしかない)
手当たり次第に女子にアタック。
それが最適解だろう。ヘタなテッポも、だ。
まずは女子になれていく。
そしてだんだん恋愛をマスターしないといけない。
月日は流れた。
あっというまに三年間は終わった。
成果は―――――
(無しか……ユアを入れれば一人だけど。あんなにがんばったのに……)
いやまだ卒業式がある。その日に、告白ができる候補がまだいる。
三周目のために、今やれることはぜんぶやっておきたい。
「あ。ねぇっ、今日で私たちそつ……」
「わるいなユア。用事があるんだ。またにしてくれ」
「シューちゃん」
「ん? おい、手をはなしてくれよ」
「……そんな冷たいこと言わないで」
ぐすっ、という音がきこえた。
顔を下にふせているが、泣いているのか?
「私って、あなたのなんだったのかな? ただの幼なじみだった?」
「それは……」
「ちがうよね! 一年の時、告白してくれたもん!」
「あれは……」
「うれしかったのに、それからずっと私にかまってくれなくて……ほかの女の子ばっかり追いかけて……」
「つまり……」
「ききたくない!」
説明しようとしても、させまいとばかりにたたみかけてくる。
そして静かになった。
学校の前で向かい合うおれたち。
頭の中には、この二周目の幼なじみの姿が思い浮かんでいた。
「シューちゃん、いっしょにかえ……ううん、な、なんでもない!」
「今日ヒマ? え? そっ……か」
「プレゼント!? それって、もしかして…………女の子がよろこびそうなもの? 私に……じゃないんだね」
あれ?
なんかこれ、かなりひどいことしてないか?
してるな。
いかん。つい幼なじみをないがしろにしてしまった。目的に向かってまっすぐ行ったばっかりに――――
「私の三年間をかえせーーーっ! ばかーーーーーーっ!!!!!」
ぱん、とクラッカーみたいな音がした。
ビンタの衝撃でおれの顔は天を仰ぐ。
ちょうど卒業式ぐらいに咲くようになってる桜の花びらが、視界のあちこちに舞っていた。
赤い手形のついたほっぺ。自分ではみることもできないが、これを〈彼女〉はあの場所から見ているのだろうか。
屋上にあらわれるなぞの女。
くりかえされるなぞの時間。
七股をかけさせられるなぞ。
なぞ、なぞ、ぜんぶなぞだ。
(いくか)
メガネのレンズをつなぐブリッジを人差し指の先でトンとする。
(おれも返してもらわなきゃいけないんだ。おれの三年間と、その先をな)
門柱の間が十メートル以上もあって広い、おれの学校の校門。
その、敷地の外にでるラインをおれは大股でまたいだ。