8 目覚め
ふかふかの布団にいる。まだ眠っているのかもしれない。
セイナは思ってしまって、もう一度、寝入ってしまう。つまりは二度寝だ。
エスバルに来てから、どころか生まれてから一度も許されたことの無いことをしてしまって、慌てて起きると夕刻だった。
「あれ?」
声が出る。
見たことのない部屋にいた。ちゃんとカーテンのある窓から夕日が注ぎ込み、豪奢な寝台に自分は収められている。
「なに?ここ」
服もおかしい。水色のきれいな薄手の、自分の持っている筈のない夜着だ。大概のちゃんとした衣服はすべてアミナに燃やされたのである。
「殿下?」
何よりおかしいのは、布団越しに元婚約者のデイルが倒れ伏して寝息を立てていることだ。
なんとなく恥ずかしい。
「殿下っ」
肩を揺らしてセイナは起こそうとする。
「ん?セイナ、良かった。目を覚ましたね。ここはレンダル城。私の城だ。とにかくここにいてほしい。ひとまずね」
一気に覚醒してデイルが説明してくる。
寝起きでも頭の回転は健在なのであった。
釣られてセイナも思い出す。
数百人もの刺客に囲まれて、丸2日。魔力切れを起こしたところ、なぜだかデイルに助けられた。
今はその後らしい。
「でも、私は」
セイナは混乱する。そもそも助けてもらえるはずはなかった。無事に切り抜けたとしても、祖国である軍事国家ホクレンでは処断される。
なぜこんな平穏な環境に置かれているのだろうか。
(殿下は私を助けたつもりで、助けられてないことに気付いたって。でも)
祖国に逃がせないなら、もうどうしようもないはずだ。
セイナはじっとデイルの端正な横顔を見つめる。
「あぁ、婚約破棄したが。妻になってもらいたい。虫の良い言葉だと思うが」
さらに思わぬ言葉を告げて、デイルが小箱を取り出した。中には青い魔石の指輪だ。
結婚指輪のつもりだろうか。尚更、大混乱してセイナは視線を指輪からデイルの顔に移す。
「もう、16歳だの、と悠長なことは言っていられない。今すぐにでも。君が私を許してくれるなら」
まだ夜着のまま上体を起こしただけの自分。
床に跪いてデイルがプロポーズしてくれた。
驚きと喜びが心のなかで格闘し、涙となって溢れ出る。嬉しいは嬉しいのであった。
だが与えられた情報が重たすぎるので、すぐには返事が言葉となって出て来てくれない。
「ちょっと待った、殿下」
公爵令息にしてデイルの友人ロディ・ベルモンドが割り込んできた。
「いろいろ、焦り過ぎだ。この状況でその熱の入れようで。了承した瞬間、セイナ嬢を押し倒しそうな剣幕だぞ?」
苦笑いでロディが指摘する。
確かに自分は今、余りに薄着なのだった。セイナも慌てて両腕で、身を隠そうとする。
デイルもぱっと横を向く。
「おまけに、今のセイナ嬢には選択肢がなさすぎる。拒めば死ぬしかないんだろう?情報を纏めると。そんな状況でのプロポーズは男らしくないな」
確かにここでデイルを拒めば、自分には助かる道は無いのだろう。セイナは思うも、そんなことは分かりきっているのだ。
「それもそうだね。すまない。セイナ、この続きは落ち着いたら」
一体、続きには何が待っているのだろうか。
デイルが反省して指輪の小箱をしまう。
自分の返事など本当はわかりきっている。とんだお預けを知らされた気分で、セイナはロディを恨めしく思うのだった。
「なぜ、私がレンダルのお城に?」
仕方なくセイナは別の気になることに話を移した。
王太子として政務の一端を担い始めたデイルの居城であることは知っている。
「ここなら物理的に君を守れるからね。どうしても母が君を虐げたいのなら、もう合戦さ」
それでは内乱ではないか。
デイルの言葉にセイナは目を見張る。
どこか諦めたようにロディも首を横に振った。もうデイルを止められないと諦めたようにも見える。
「そして、これから公的な面でも君を助ける」
さらにデイルが宣言した。
「どういう名分で?もうセイナ嬢はお前の婚約者じゃない」
厳しいことをロディが指摘する。学友でもあるから、私的な面では対等に口を利くのだ。
「私が正式にセイナを妻とし、皆を納得させるには、手段は1つしかない。魔導大国エスバルならではの、古い決まりがあるだろう?」
不敵にデイルが言う。
軍事国家ホクレン出身の自分の知らない何かがあるらしい。
「おいおい、まさか」
明らかにロディの方が慌てている。
「あぁ、魔術決闘だ」
デイルが頷き自分の方を向いた。
「エスバルではね、魔術の腕前が重視される。ゆえに古来より正式な魔術の決闘を申し込まれれば、受けなくてはならないのさ。そして敗者は勝者に従う」
自分のためにデイルが説明してくれた。
「近年ではあらかじめ腕の差は明らかになっていることが多いし、命を落とすことも多かったから、あまり行われていないのだけどね」
さらにデイルが付け足すのだった。
「それは、私を賭けて、殿下が陛下と?」
あまりに恐ろしいことを言われたのでセイナは血の気が引くのを感じた。
「君は物じゃない。賭けるのは君との結婚だ」
デイルがなぜだかそこにこだわって訂正してくる。
「無茶だ。女王陛下はこの国で最強の魔術師だ。特に魔力量が異常だ。歴代最強とも言われているんだぞ。そりゃ何年か後には、お前が勝てるかもしれないが、今はまだ。この間なんか森1つ焼き払っていただろう」
ロディが一気にまくし立てる。自分と同じ心配をしてくれているのだ。
「それでもやるしかない。今、母を追わないと。私はセイナを理由に廃嫡されて終わりだ。いかにこの堅城レンダルに立て籠もっても長くは保たない。それではセイナを救えない」
デイルもデイルで譲らない。
別に自分を見捨てればいいのだ。セイナは発言したいのだが、デイルとロディの剣幕に口を挟む間を見つけられない。
「技術はともかく、出力が違い過ぎる。絶対に勝てない決闘なんて、何の解決策にもならん。それならまだ、例えばホクレンではない他国への亡命の方が現実的だ」
ロディも譲らない。
「ホクレン以外の他国では、エスバル女王の母の圧力からセイナを護れないじゃないか」
デイルが言い返した。魔導大国エスバルも大陸では西の強国だ。逃げ惑うのにも限界はある。
やりとりの中でセイナはロディの言葉に引っかかるものがあった。
ちょうど2人が怖い顔で腕組みしているところだ。口も挟みやすい。
「女王陛下の魔力量はそんなに凄いんですか?」
主にロディに対してセイナは尋ねる。
なぜかデイルがロディを睨みつけていた。
「えぇ、同じ術でも籠めている魔力が違うんですよ。セイナ嬢のような精霊術師の人には余り馴染みない悩みでしょうが」
苦笑いとともにロディが説明してくれた。
「じゃあ、どうして陛下は私から魔力を奪っていたのでしょう?」
セイナは腑に落ちないのであった。連日、呼び出されては魔力を搾り取られてきたのだ。
恐れられる程に保持しているなら、他者から奪うこともないではないか。
「何?セイナ、どういうことだい?」
デイルが優しく尋ねてくれる。だが、少し近い。ロディとセイナの間を阻むような位置をさりげなく取るのだ。
「陛下は私の魔力を搾り取る魔道具とその魔力を貯蔵する魔道具の開発に取り組まれていました。更に貯蔵するだけじゃなくて、それを取り出して使う魔道具も開発して、しかも小型化しようと」
セイナは日々繰り返される激痛を思い出し、身を震わせた。
デイルがそっと肩を抱く。
女王ネイリアにとっては、セイナに与える痛みはただ楽しみのためだけではなく、研究のためではあったらしい。
魔道具が絡むと妖艶で加虐的な笑みが消え、一転して真剣な顔をしていたものだ。それから首を傾げては再度、何らかの苦痛が待っていたのだが。
「なるほど。では、母の術を支えていたのは、セイナの魔力だった。あの力はセイナの力だったのか」
少し身を離してデイルが誇らしげにセイナを見つめて告げる。
照れ臭いが少し論点がズレているのだった。
「だとしても、現に自由に使えているんだ。それも含めて陛下の実力だよ。お前は決闘でそれに勝てるのかって話さ」
ロディの方がきちんとしている。結局は誰の魔力であろうと使われる側にはたまったものではない。
「そうでしょうか?」
それでもセイナは恐る恐る疑問を呈する。デイルのことはともかくとして、ロディとは余り親しくない。急に怒り出されたり、怒鳴られたりしたら怖いのである。
だがデイルが勇気を出して、自身の母と決闘をするとまで言い出してくれたことは嬉しい。
(だから、私も。自分にできそうなことは、ちゃんと言わなきゃ)
セイナも意を決する。まして6年間デイルを見ていて、決めると何が何でも遂行するところがあった。
「セイナ、さっきから何が言いたいのかな?」
優しくデイルが話の水を向けてくれる。
「あれは私のものでした。だから多分、私、奪い返せます」
セイナは言い切った。確信はない。おまけに実行するにはまた、あの怖い2人の前に姿を晒さなくてはならない。
「そして、私の力は、私の力を使ってほしい人に譲渡します」
デイルを見つめて、セイナは断言するのであった。