7 再会
「セイナッ!」
ミスティの示した、みすぼらしい山小屋内に傷だらけのセイナが横たわっている。狩猟用のものか用途は判然としない。
寝台はおろか、布団も敷布すらなく、木の床に直接、横たわっていた。息はあるようで、薄い胸板が上下している。
魔力を節約するためなのか、傷の治癒などは後回しにしているようだ。体の各所から血が滲んでいる。
セイナが目を開く。倒れたまま顔をこちらに向けた。
「殿下?私、夢でも見てるのかしら、いるわけないのに。ダメね」
弱々しく微笑み、自嘲気味にセイナが呟く。
「こんなことじゃ、だめ。せめて誰にも迷惑がかからないようにしなくちゃなのに」
セイナが身を起こそうとする。あまりに痛々しく、あまりに健気だった。
デイルは胸を締め付けられる。全て、自分が招いたことだ。
「セイナッ、すまんっ!私のせいだっ!」
耐えられずデイルは山小屋へと土足のまま駆け込み、セイナの華奢な身体を抱きしめる。
自分は何をもたらしてしまったのか。
「私が馬鹿だった、すまない」
ただ謝罪することしか出来ない。
生きていてくれて良かった、という思いよりも遥かに強く、後悔が襲ってくる。
「なんで?本当に殿下かここに?ダメです、だって、私たちはもう」
婚約関係ではない。デイル自身の手で解消してしまった。
セイナがはらはらと涙を流す。
「殿下は私なんて忘れて。陛下やアミナ様とも上手くやって。素敵な人と幸せになってください」
さらには涙をポロポロと零しながら言うのだった。
「母とアミナが君を始末すると言っているのを聞いてしまった。ホクレンへ逃がせば安全だと思っていたんだ。私があまりにも愚かだった。本当に守るのなら私自身の手で守るしか無かったというのに。セイナ、すまない」
心の底からデイルは謝罪を重ねた。謝っても謝り足りない。そして謝って済むことでもなかった。
婚約云々はもう関係ない。最早どうでもいいことだ。セイナに許されるのなら、自分の近くにいてもらって、いつまででも守り続けたい。自分の人生をそのためにだけ費やすのでも構わなかった。
「どういう、ことですか?あと、殿下、その」
セイナが苦しそうに身動ぎする。強く抱き締めすぎたのだ。
デイルはそっと身を離す。ゆっくりとした動きで。
そして頬を赤らめたセイナが座り直すのを待った。
「君が16歳になるまでの辛抱だ。私も君も、そのつもりで耐えてきた。だが、奴らは。母とアミナは16歳になるまでに君を殺すつもりだ。このまま私といても、君を死なせるだけだ、と私は判断した」
デイルは情けない気持ちのまま説明した。
「そう、だったんですね」
セイナが納得してしまう。
自分への非難など1つもない。散々、苦痛を与えてきた母や妹に対してすら。
ここで受け入れてしまうのがセイナだった。
「セイナ、私をもっと責めてくれ。何とも情けない考えで、何とも情けない決断をして、君の心を傷つけて、さらには身体まで、怪我だらけだ。君はそのせいで今も傷だらけだというのに」
デイルは自分で言っている内に情けなくなってきた。ロディの言っていた『どの面下げて』が身に沁みてくる。デイルは深く頭を下げるのだった。
「殿下は何も悪くありません。お顔を上げてください。私の方こそ申し訳ありません。せめて、殿下の手配してくださったとおり、ホクレンへ、と思っていたのですけれど。刺客の人たちが多すぎで包囲されてしまいました。でも、もう大丈夫ですから。自分の足でホクレンへ向かいます」
驚くべきことを告げて、セイナが立ち上がろうとする。
この期に及んで軍事国家ホクレンへ戻ろうと言うのだ。
(それほどまでに帰りたいのか。今まで、これと言って連絡を取り合っている様子も無かったのに)
デイルは改めてセイナにとってエスバルでの日々が苦痛であったことを思い知る。
だが、セイナが上手く足腰に力を入れられず転びそうになった。
「あっ」
声を上げるセイナを、デイルは膝立ちになり抱き止めた。
「無理しちゃだめだ、セイナ」
デイルの中では、連れて帰るのが既定路線であった。
どうするのが正解なのか思案する。
「す、すいません。殿下の方こそ、お怪我はありませんか?それに、護衛の方たちもグレン様たちはご無事ですか?」
セイナが自分の力で立とうと悪戦苦闘しつつ、更には他人の心配ばかりする。なぜ頑丈なグレンをこの場で心配するのだろうか。
まして、つい先まで窮地だった自分自身のことなど、どうでも良いと言わんばかりなのだ。
「デイル王太子殿下、どうか、セイナ様のおっしゃるとおりには絶対になさらないでください」
新しい声が割り込んできた。
セイナの侍女ミスティだ。いつもどおりの白い髪の毛が背後の闇夜によく映えていた。
デイルは闖入者を睨みつける。
(この女も、どの面下げて、ではないか)
裏切りがあった。軍事国家ホクレンのため、魔導大国エスバルの情報を何年にもわたって流し続けてきた張本人だ。
セイナに与えられる加虐的な実験の対価として、諜報活動の自由を認められていたらしい。
この約定にはセイナ自身が含まれておらず、もしセイナが諜報活動を行われれば罪に問われてしまう。デイルも知らないということに、母ネイリアによってされていた。
(ミスティ本人を責めるわけにはいかないが)
無論、両国家間の取り決めをミスティが為したわけではない。
だが、デイルもデイルで婚約破棄に際してはこれを逆手に取った。
「軍事国家ホクレンは、セイナ様を、いえ、セイナ様に限らず出戻りの筆頭将軍家の息女など許しません。役割が果たせなかったなら、利用価値がなければ処断されます」
思わぬことをミスティが告げる。
驚いたデイルはセイナの顔をうかがう。諦めたように目を閉じて首をふるふると横に振っていた。
(本当に、そうなのか)
では、自分はセイナを死なせるような決断をして、セイナ自身も死に向けて旅立っていたようなものではないか。
(なんだったんだ)
全身の力が抜けそうになる。
デイルは、本当に自分はセイナを護れていなかったのだ、と思い知ることとなった。
他者を責める資格など無い。
「だめよ、ミスティ、やめて」
セイナが腕の中で弱々しく呟く。
デイルは、軍事国家ホクレン筆頭将軍家の方針である『出戻りの息女を処断する』ことを知らなかった。
だが、セイナの方はデイルの無知に気づいていて、知らないままにして、ひっそりと死ぬつもりでいたのだろう。
気を使わせたくなくて命まで捨てようというのか。
「セイナ、君は」
デイルは改めて心を決めた。当初からやるべきことは変わらない。
「そんなことより、まず自分の傷を治しなさい。君はもう、戦う必要は無い」
離すつもりはないと、腕に込める力で伝えた。
何かを察したのか。ようやくセイナが目を閉じる。瞼の内側から、青い光が漏れ出てきて全身を覆う。
なけなしの魔力を治癒に使ってしまったことと、2日間戦い続けてきて疲労からか、すうすうとセイナが寝息を立て始める。
「ミスティ、君の諜報活動の咎は、私にホクレンのことを教えてくれたことで不問にする。これからは2度とセイナを裏切らないように」
デイルは何か言葉を待っていたらしきミスティに告げた。
俯いたミスティが罪悪感から木の床を涙で濡らす。
本当は国家間の密約に準じただけなのだからミスティにも明確な罪を問えるものではない。
(それにセイナにも、忠実な侍女の一人ぐらいは必要だ)
デイルはセイナを抱いたまま、山小屋を出た。
「殿下っ!」
小屋を出るとグレンとその配下の騎兵たちが集結していた。
「敵は全て撤退しました」
グレンが報告してくる。
敵にとって自分の登場は予想外だったらしい。この小屋に至るまでにも、姿を見るだけでも逃げていった。
本気で立ち向かわれていたなら、どうなっていたかは分からない。
(浅ましいが、傭兵どもの価値観としては、雇用主の息子をも無断で手にかけては違約金を払わされかねないと、そういうことだろう)
デイルは忌々しく思うのだった。
グレンがデイルに抱かれたセイナを見て、安堵の表情を浮かべる。
「レンダル城へと向かう。あそこでひとまずセイナを匿おう」
少し思案してデイルは告げた。
「ホクレンへの護送はどうなったのですか?」
目を見張ってグレンが尋ねてくる。
誰が聞いても同じことを思うだろう。セイナを匿うということは、母と決別するということだ。
「そんな任務、陛下自らが消し飛ばしたようなものではないか。息子に護れと命じておいて、自分で刺客を放ったんだぞ?もう知らん。私は私の大切な女性を守り抜くだけだ」
ここまで来ると自分も暴論だ。とんでもないことを言っている自覚くらいはある。
一度は婚約破棄した相手を、実はまだ惚れているから手元に戻すと宣言しているのだから。
(だがセイナは。ここで目を離しては母とアミナに殺される。そしてホクレンに戻しても殺されるなら。生き延びられるのは、私の庇護下しかないではないか)
悲しいほどに軽く、華奢なセイナを抱いたまま、デイルは結論づけた。
「しかし殿下」
事情のすべてを知らないグレンが迷っている。
「しかしも何も無い。セイナへの母の非道をこれ以上、許せるものか。それとも皆は、そんなものすら見過ごせる人間に、次の王に仕えたいというのでもいうのか?」
デイルは最早、グレンのみならず、この場にいる全員に問いかけるのであった。
セイナが母やアミナからどのような仕打ちを受けているのか。痩せ細った身体と怯えきった表情、日頃のあの2人の態度を見比べれば一目瞭然だ。
貴族であれば、広く知られている。
「分かりました。それほどまでに殿下が覚悟を硬く決めておられるのなら、俺も腹を決めます」
グレンの顔つきが変わった。本気なのだろう。一人称も『俺』だ。武人の顔である。
「俺も父を動かし、レンダル城に我が家門の私兵を集結させます。セイナ様はこのような状況にあってなお、自らを囮として我らを救おうとされました。更には敵まで」
グレンが言葉に詰まる。
なお、グレンの父はこの国の正規軍騎兵隊の隊長だ。魔導大国エスバルでは珍しい、生粋の武人なのだった。領地も広く、抱える兵士も多い。
「敵すら殺しておらず、自身が傷を負い続けたのです」
これにはさすがのデイルも驚いて、セイナの可愛らしい寝顔を見下ろす。
「そんな、まさか」
だが、現に言われてみれば、敵の死体すらほとんど見当たらないのだ。
「本当です。次の国王の妃がセイナ様のような御方ならば、我々は大喜びで支えます」
グレンの言葉に一同が頷く。
こうして、デイルは無事にセイナを保護し、自らの保有するレンダル城へと、今度こそ、護送するのであった。