5 たとえ望まれていなくとも
その報せを、デイルは自らの執務室で聞いた。
「なんだとっ」
立ち上がった拍子に書類の山が崩落して床に飛び散った。
「落ち着けよ」
ロディが強張った顔で書類を拾い始めた。
書類が山と積まれた一室である。セイナと婚約してから数年後、今では政務そっちのけで『研究』に勤しむ母から仕事を押し付けられるようになった。
「あんたも、もう一度ゆっくり報告してくれ」
更に取り乱す自分に代わりロディが言う。
「あの人は、本当に俺たちを何だとっ」
再度の報告を聞く前にデイルは毒づく。
王位に就く前から国を回しているのは自分なのだ。
傷心中ながら国民のため務めを投げ出すわけにもいかず、時にはロディに叱咤されながら書類と格闘していた。
そのロディも今日は思い詰めたデイルを監視するという名目で執務室にいる。
「セイナ様が襲われました。ご本人は馬車から出て交戦し、しかし、なぜか我らからも離れ、行方知れずです」
グレンとともにセイナの護衛につけていた騎士の一人だ。鎧姿のまま、脇目もふらず駆けてくれたのだろう。息も切れ切れである。
「セイナは、セイナは無事なのか」
言葉をデイルは絞り出す。
「私が伝令に出された時はまだ、ご存命でしたが」
騎士が言葉に詰まる。
(くそっ、セイナ、すまない、裏目に出た)
考えるまでもない。母が刺客を送ったのだ。目的は拉致か殺害か。
グレンら護衛を付けたことも逆効果だった。セイナの気性ならかえって、つけた護衛を守ろうとすると、なぜ自分は気付かなかったのか。
「母上、あの人はっ」
デイルは机を殴りつけた。また書類が崩落する。
あの母がおとなしくセイナを見送る筈もなかった。
デイルの婚約者でなくなったのをいいことに、いよいよ好きにしようと思ったのだろう。
(俺も馬鹿だ。婚約を破棄するだけで守れると、助けられるとなぜ考えた)
こんなことなら自分の手元に置いて、死守しようとするほうが、まだマシだったかもしれない。
命を賭けてでも、母や妹と決定的にコトを構えてでも。
(つまり、俺の覚悟が足りなかった。そのせいで今、セイナはこんなことになった)
デイルは立ち上がり、最低限の身繕いを整える。
政務など、今はそれどころではなかった。しばらくはロディだけでも保つ。
「おいおい、殿下?どこへ行く気だ?」
ロディが制止しようとしてきた。
「セイナを探す」
低い声でデイルは告げた。
「そりゃ分かるが、どの面下げて?お前は、真意はどうあれ、セイナ嬢からしたら、皆の前で恥をかかせて婚約破棄した張本人だぞ?お前の助けなんて望んじゃいないさ。助けるのは賛成だ。だが、兵団を出せよ。自分で行くな」
ロディの言うことは多分正論だ。
多分、正しい。頭ではわかる。自分などセイナにはもう望まれてはいない。
デイルは納得した。
「関係あるかっ!」
納得した上で、頷く代わりにデイルは八つ当たりで一喝してしまった。
「いや、なに?どういうことだ?」
混乱した様子でロディが尋ねてくる。
「今更、恥も外聞もない。婚約破棄していようがなんだろうが関係ない。俺はセイナを助ける。それだけだ」
グズグズしてはいられない。
今、この瞬間にも母の刺客にセイナが追い詰められているかもしれないのだから。
(どこかで心細い思いを。もう、俺のことも味方ではないから。孤独な状況で)
想像するだけで胸が詰まる思いだ。
母と妹の『始末する』との言葉に動揺し過ぎた。
守るつもりで、セイナを守るためのことなど、まったく出来ていない。
(俺はただ、セイナを死の側へ大きく追いやっただけじゃないか)
せめて命だけでも、など余りに消極的だった。
執務室を出てからの流れはよく覚えていない。
気付くと自分は愛馬の上で臍を噛んでいた。風を切って進み、景色が後ろへと流れていく。
本気でセイナを守るのなら、自分でやるべきだった。グレンに任せたのも良くない。
(セイナからはどう見えた?俺は母に怯えた。ただの臆病者じゃないか)
デイルは自問する。本当に母の力を恐れてはいなかったのか。判断を左右されなかったのか。
「あらぁ?お兄様じゃないの?」
街道で馬を止められた。止められたのではなく馬が止まったのだ。
雷撃を放たれたのだとデイルは遅れて気付く。
(アミナか)
街道の真ん中で赤いドレス姿の少女が仁王立ちしていた。周りには兵士を従えており、極めて場違いだ。
驚くべきことに自ら指揮を執っていたらしい。
まだセイナと護衛らが別れた場所は遠かった。後続組なのだろう。
「こんなところで何をしている?」
尋ね、デイルは小声で詠唱を開始する。
「お兄様の捨てた、無様な女にトドメを刺しに来たのよ?捕らえたら、お母様と一緒にたっぷりなぶって、思い知らせてやるの。ホクレンの薄汚い精霊術師を生かして帰すなんてありえないわ」
造形だけは美しい顔を、醜く歪めてアミナが言う。
こんな者は妹ではない。ただの浅ましい何かだ。
デイルは詠唱を続ける。
「まだ、優しくしてやってるみたいだけど、国へ返すなんて、ほんっと生ぬるいわ。でも、ボロ雑巾みたいにした、あの女の死に顔を見れば、お兄様もきっと分かってくださるわよね?お兄様にふさわしい相手はエスバルにしかいないの。私とお母様でちゃんと見繕ってあげる」
本気で婚約を名目に実験動物を貰い受けただけ、というネイリアとアミナの意図が透けて見えた。
もう限界だ。
「俺の相手は俺が決める。お前らは引っ込んでろ!」
デイルは怒鳴りつけた。もう詠唱も終えている。
「本気?お兄様、私と戦うのはお母様を敵に回すってことよ?」
初めてアミナがたじろぐ。
「この者をこの地に封じよ。ストーンハウス」
デイルも魔術師だ。魔導大国エスバルの王太子など魔術師でないと務まらない。
土の壁がアミナを囲う。
「こんなものっ!」
遅れてくぐもった声とともに、岩の間で雷光だけが煌めく。電撃までは岩に阻まれて通らない。
「無抵抗の相手に雷撃を放つだけの女が俺に勝てるわけがないだろう」
馬上から見下ろしてデイルは告げる。
他の兵士らもさすがに自分には手を出せない。
「お前など、本来ならセイナはもちろんのこと、俺よりも下だ」
アミナの電撃など、デイルの妹だから配慮して、わざわざ食らっていただけで、本来、セイナにとって物の数ではない。
「ストーンハウス」
更に追撃の岩で、デイルは返事など聞こえないというところまで、アミナを生き埋めにしてやった。
更に馬を駆けさせる。
途中、休ませるなどしなくてはならず、丸一日かかってしまった。既に翌日の夕刻である。
「殿下っ!」
自分を見つけて、驚き顔のグレンが馬を寄せてくる。
「まさかお一人で?」
そのまさかである。
グレンの問いにデイルは頷いた。
「セイナの危機だ。とにかく早く来なくてはならないからね」
デイルは周囲を見回す。日の入りが迫る中、まだ視界は利いている。
「申し訳ありません。私がいながら」
グレンが謝罪する。
「いや、根本的な問題が幾つもあって、それを見落とした俺の責任だ」
デイルは責任感の強い騎士グレンを見据えて告げる。
「むしろ、すぐによく、伝令を出してくれた。あとはとにかく間に合えば」
まずはセイナを見つけることだ。
「敵は既に数百人を確認しております。生け捕りに出来た者もおり、尋問をしたところ『毒のつるはし兵団』です」
更にはしっかりと調べもしてくれた。
『毒のつるはし兵団』、母ネイリアが個人的に雇っている屈強な傭兵団である。
「分かった」
デイルは頷く。
「セイナ様は侍女1名とともに敵を突破。しかし、追いすがられているようで。我々も追跡しようとしましたが敵に妨害されております」
グレンが詳細な情報を与えてくれる。
報告を耳に入れながら、デイルは山を一つ一つ凝視していく。
(あそこは)
中腹を霧に覆われたものがあった。
セイナの侍女ミスティも精霊術師だという。霧を操るとセイナから聞いたことがあった。
「セイナッ」
名を呼び、デイルは再び馬に乗り、斜面を駆け上がるのであった。