4 襲撃
軍事国家ホクレンまであと僅かというところで、前触れもなく馬車が揺れた。そして止まる。怯えた馬のいななきも耳に入った。
「なに?」
さすがに動揺してセイナは声を上げる。馬車になど滅多に乗ったことがない。急停止も初めての体験だ。
「敵襲です」
短くミスティが告げる。鋭い目線を周囲に向けて、腰に隠していた短い2本の剣を抜き放っていた。
「そう」
落ち着きを取り戻して、セイナは静かに目を閉じる。馬車の停止には驚いたが襲撃には驚かない。
そもそも何の価値も無い自分に敵などいないと思っていたのだが。
(ううん、それも違う。私には、ある人たちにとっては、実験動物としての価値があるのよね。少なくとも、あの人たちには)
苦痛とともにセイナは女王ネイリアとその娘アミナの嘲笑を思い出す。
他に心当たりなどない。軍事国家ホクレンへの追放すら許すまいと刺客を向けてきたのだろう。
(いやっ)
セイナはまた悪寒に襲われて、両腕で痩せ細った自分の身体を抱きしめるようにした。
悪夢のようだ。デイルの庇護を失った自分を攫って、いよいよ好きなようにいたぶるつもりなのだろう。
最悪の場合、殺してもらうことすら出来ないのではないか。
「セイナ様っ!」
グレンと名乗っていた騎士が、馬を寄せて外から叫ぶ。
「我々は正体不明の一団から攻撃を受けております。しかしご安心を。直ぐに打ち払ってご覧に入れます」
緊張とともにグレンが状況を説明してくれる。
この期に及んで自分を貴人扱いだ。デイルのつけてくれた、多分、腹心の騎士なのだろう。赤い髪の、いかにも屈強な若者である。銀色の大剣が月明かりを弾いて眩しい。
(もう夜だったのね)
金属の音が聞こえてきた。硬い物と硬い物のぶつかる音に断末魔の叫び。戦いの音が軍事国家ホクレンの筆頭将軍の息女である自分を我に返した。
(そう、この人たちは、デイル殿下が、せっかく、私につけてくれた護衛。傷一つ負わせたくない)
セイナは馬車の座席から立ち上がる。
「ダメです。多分、その人たちの狙いは私なんでしょう?」
敵よりも捕らわれた後を想像すると怖い。それでも、なんとか笑顔を作って、セイナはグレンに訊くことが出来た。
「それは」
グレンが言葉に詰まる。否定のしようもないことだ。
「いたぞ!セイナ・クンリーだ!」
数名の黒ずくめが視界に入ってきた。顔すらも黒覆面で隠している。
「これは」
いよいよ突破されかけている。ミスティが馬車から飛び降りて剣を構えた。
「セイナ様、お退がりをっ!」
グレンも黒覆面と自分との間に立ち塞がった。
「嫌です」
端的に断って、セイナも馬車から飛び降りた。
久しぶりに自分の意志で魔力を練り上げる。
「水白鳥、翼弾」
水気が自身の周囲を覆う。
右手をもたげて、セイナは敵を指し示す。
「グァッ」
目にも留まらぬ速さで撃ち出された水の塊が、即座に刺客を射抜く。
「こいつ、詠唱も何も無しで」
敵がどよめく。
距離を取ろうとした相手を、セイナは目についた順番で数人、またたく間に水の塊で倒してみせた。
「聞いてませんか?私は精霊術師です。詠唱なんて要りません。魔力も魔術師の人よりも上です。怖くなったなら、諦めてください」
セイナは静かに告げて、辺りを見回す。
思わぬ事態に味方のミスティとグレンも驚いていた。
生まれながらに莫大な魔力を有し、直接、身体に精霊を宿すのが精霊術師だ。その精霊の属性しか術を使えないが、詠唱という時間を要する手順無しで、放つことが出来る。
軍事国家ホクレン筆頭将軍家は代々、精霊術師の家系だった。有利な点は多いのだが。
(その代わり、魔力が弱い赤子では、生まれてくることも出来ない)
魔力どころか生命すらも宿した精霊に吸われて死んでしまうのである。
(でもひとたび生まれてしまえば。そして、私もその端くれなのだから)
セイナは背中に自身の宿す精霊、『水白鳥』を顕現させた。巨大な水の白鳥である。
これも当然、まだ幼い頃、デイルには見せていた。
目を見張って見惚れてくれて。しかし、妹のアミナが嫉妬に狂って雷撃を浴びせてきた。
それきり顕現させずにいたのである。
(これで諦めてくれれば)
わざわざデイルのつけてくれた護衛を傷つけずに済む。
狙い通り、巨大な精霊の出現が敵を更に阻喪させて後退させた。だが、それだけだ。
返事の代わりに矢を射掛けられた。
「んぅっ!」
頬を矢が掠めた。痛みが走って、セイナは声を漏らす。
「セイナ様っ」
敵と戦っていたミスティが声を上げた。
「平気です。分かるでしょう?」
セイナは目にも魔力を籠める。
青い光を瞳が帯びた。目から拡がった魔力が全身を覆う。
即座に傷が塞がり、痕すらも残さない。
「これは、ホクレン筆頭将軍家に伝わる魔眼。効果はそれぞれ違いますが、私は、私の傷をたちどころに治します」
誰にともなくセイナは説明した。
つまり傷を負っても即座に回復することが出来る。自分を倒したいならたちどころに殺すしかない。
「実に、戦闘向きです。どうか諦めてください」
少しでも戦意を挫きたい。
セイナは精霊術師であり、魔眼持ちだ。だが、戦いが嫌いでもあるのだった。
(この力が少しでも私に役立ってくれるなら)
実際は、女王ネイリアの役に立ってしまったのである。
本当はこの力があるから、自分は実験動物とされた。どんな怪我をしても、痛くとも、この目を使えば治せてしまう。女王ネイリアやアミナにとっては格好の餌食だった。
身体を何度も痛めつけられ、その度に自らの魔力で治したのだが、精霊術師ゆえの莫大な魔力が余る。その余った魔力も、女王らが開発した魔道具で搾り取られてきた。さらにはその魔力を貯蔵する魔道具まで開発したのだ、と自慢されたこともある。
(本当は、私、戦闘向きじゃなくて実験向きだったのかもしれないけれど)
自嘲気味にセイナは思い返すのだった。
そしてやはり、この能力はどこまでも自分を助けてはくれない。
「くぅっ」
今度は矢が肩に突き立った。
背中側からだ。自分は囲まれている。
セイナは苦悶の声ともに矢を水を叩きつけて無理矢理にへし折り、抜き取った。そしてまた、傷を魔眼で塞ぐ。
「このっ」
視界に入る敵を翼に模した水の矢で撃ち抜く。
「あっ」
また背後からの矢だ。今度は足である。それも同じ手順で抜き取ってから、傷を治す。
敵の意図は分かる。死角からの攻撃で傷を治させては、魔力を削り続けるつもりなのだ。
「気をつけろ、頭や急所は射抜くな。あくまで生け捕りだ」
敵の隊長だろうか。無慈悲な声で命令している。
集団行動が出来て、統率の取れた兵士たちなのだ。
グレンら100名よりも数が多いのではないか。護衛が引き離されて、セイナは取り囲まれているのだから。
(護衛の人たちが私から離れるのはむしろ好都合なのだけど)
巻き込まずに済むかもしれない。
「貴様ら」
セイナの思いとは裏腹に、困ったことにグレンらがどこまでも自分を守ろうとする。
「私は」
戦い続ければグレンらに犠牲が出るかもしれない。
だが、やはり女王ネイリアの下へ生きて運ばれるのは恐ろしかった。今度はどれだけの苦痛を与えられるのだろうか。
もう、デイルも守ってはくれない。
(グレン様たちを死なせない。そして、女王陛下の下へも行きたくないのなら)
セイナは決断した。
「ミスティ」
静かにセイナは侍女の名を呼ぶ。
「私、あなたの言う通りにする。お願い」
護衛から刺客を引き剥がし、離れたところで生け捕りにならず討ち死にすればいいのだ。それか突破して今度こそ軍事国家ホクレン入りする。
だから本当はミスティの言う通りにするつもりもセイナにはない。
「はい」
そうとは知らないミスティが自身の精霊を解放した。ミスティも希少な精霊術師である。
霧が周囲を覆う。
「なにっ、しまった!」
敵の叫びだろうか。
構わずセイナは藪の中に駆け込んで、脇目もふらずに離れる。
「セイナ様っ!おやめくださいっ!我々から離れてはっ!くそっ!誰か殿下に報せろ!馬を走らせろっ」
グレンの叫びを背中に聞きつつ、護衛を一人でも多く救うため、セイナは敢えて逃走するのであった。