2 送り出した後で
婚約破棄をしたその日のうちにデイルは準備を整えてセイナを軍事国家ホクレンへと送り出した。翌日になって、デイルは王宮内の、空っぽになったセイナの居室前に佇んでいる。
(無事に受け入れられるだろうか)
無碍にはしないだろうと思うが、デイルからの親書に筆頭将軍からの返答が未だに無い。念の為、自分に与えられた若手の騎馬隊を100名、護衛につけている。
(俺もついていきたいが、それでは母たちを刺激し過ぎる)
息子の自分への母ネイリアの気持ちは屈折している。期待されていると言うよりも下に見られていて、現役を退いた後も傀儡とするつもりなのではないか、とデイルは考えていた。
「おい、何してる」
友人のロディ・ベルモンドが声をかけてきた。
公爵家の嫡男につき、王宮にも出入り出来る男だ。デイルとは学友でもあり、同年でもある。
「グレンに任せたんだろ、セイナ嬢は大丈夫さ」
労るようにロディが更に告げた。
セイナとのことも、母妹についての悩みも打ち明けている。
「めそめそすんなよ。そんなになるぐらいなら、最初から破談しなけりゃ良かったのさ」
ロディが肩を叩いてきた。
「お前に何がわかる」
デイルは八つ当たりと自覚しつつ、その手を払う。
何年もセイナに与えられる危害と苦痛を静観するしか無かった。
6年だと思っていたからだ。
いよいよセイナが16歳になり、正式に結婚するとなって、デイルは母と妹の会話を聞いてしまった。
「分からなくても聞くぐらいは出来るからな」
自分の八つ当たりを、ロディが受け流して告げる。
手には酒瓶とグラスがあった。
「セイナの部屋で呑もうって言うのか?」
思わずデイルは色をなした。思い出を汚されるような気がしたからだ。
「もう違うんだろ。それとも、ここを聖域にして断酒の部屋にでもするつもりか?」
笑ってロディが返してきた。
「そうじゃない」
デイルは肩を落とす。
意地を張るのも馬鹿らしい。もうセイナとは破談したのだから。あくまでロディも友人として力づけたいだけなのだということぐらいは、今のデイルにも分かる。
「本当は、ここは、もう聖域だよ」
デイルは告げて、開けていた扉を通り、壁に設けたスイッチを起動させる。
外部からの魔力を妨害する装置と防音装置だ。
(盗み聞きも、セイナへの魔術攻撃も、あの人たちは屁でもなかったからな)
せめてこの部屋でだけはセイナが安堵できるようにしたかったのだが。
すぐに母も妹も自分の気持ちなど嘲笑うように、この部屋からセイナを連れ出して嬲るようになった。
だから結果として、防げたのは盗み聞きだけである。
「この王宮で、母たちを気にせず話ができるのはここだけさ」
更にデイルは言葉を重ねる。
自分も必死だった。魔道具の研究をこのためにしたり、与えられたなけなしの金銭もここに注ぎ込んだりしたのである。
結果的に母ですら撤去できない対魔術結界と防音装置の完成度となったのであった。
扉を閉めると2人で床に座ってグラスに酒を注ぐ。
「お前の立場じゃ、あれ以上、やりようはなかっただろ。話が全部、本当ならな。せめて命だけでもって考え方、俺は理解出来るけどな」
ロディには全て事情を話してあった。そして俺、お前で話す仲でもある。
「まさか、女王陛下とアミナ嬢がセイナ嬢を殺すつもりだったとはな」
嘆息してロディが言う。
東の強国、軍事国家ホクレンから自身の婚約者として受け入れたのがセイナだった。
「みんな、ホクレン筆頭将軍の血をこの王家に入れるためって思ってたんだろうな」
苦い気持ちでデイルはこぼす。相手が軍事国家ホクレンなので、誰も人質とは見ていなかっただろう。
「扱いがキツイとは思っていたけどな」
ロディも相槌を打つ。
実際はセイナの魔力目当てであり、デイルの婚約者というのすら建前だった。最初から自分の妻とするつもりなど無かったのだ。
「6年も我慢して、報いがこれだなんて」
やってきた初日から、セイナには母と妹からの容赦ない魔術が浴びせられた。
自分はただ傍観していただけだ。
(だが結婚できる年齢になるまでの我慢、そのはずたったのに)
それが軍事国家ホクレンとの約定だった。
「あんな娘が、ホクレン出身者が嫁だなんて耐えられない。そろそろ始末しましょう、とそう聴いてしまった」
任され始めた政務の結果報告に母の居室を訪れたところ、耳に入ってきた言葉だった。
「事故を装って死なせましょう、だったか?」
渋い顔でロディが言う。
学生時代からの友人だ。自分の、セイナへの思いもよく知っている。
いかにセイナが可愛らしく、淑やかか散々に聞かせてやったのだ。
「あぁ、もともとセイナには苛烈な実験をしていたから、いつ死なせてもおかしくなかった」
デイルは頷く。だが顔を上げられなかった。
気持ちが落ち込んでいく。
「俺にもっと力があれば。それか、もっと良い手を思いつければ」
とうとう自分までもセイナを傷つけてしまった。
或いは絶望させたのか。母と妹を止められないと告げたようなものではないか。
「あの笑顔を向けてもらう価値が俺にあるのか」
母と妹に痛めつけられてなお、この部屋でデイルを見るや微笑みを作ってくれたものだ。まるで何ともないと言わんばかりに。
「だが、せめて命だけでも助けたかった。そうするって決めたんなら、いつまでもメソメソ言うなよ」
ロディにたしなめられてしまう。
「護送っていうのは言葉どおり、護って送るってことだ。護りたいんなら最適な選択さ。しかも信頼できるグレンもつけた。これ以上、出来ることはないだろ」
自分を気遣って、自分の欲しい言葉を投げかけてくれているのは、デイルにもよくわかった。
グレンというのは、護衛につけた騎馬隊の隊長だ。若いがエスバルきっての武人、そしてロディと同じく学友である。
ロディと同じく、事情をすべて話している、唯一の人物だ。
「本当は自分で守りたかった」
ポツリとデイルはこぼす。
「話が本当なら、それじゃ陛下とアミナ様を刺激し過ぎる。あの2人が苛烈なのはお前の婚約者だったから、感情が歪んだってせいもあると思う」
にべもなく、ロディに言われてしまう。
「セイナが無抵抗だったのは、婚約者の俺の、母と妹だからだ。俺と婚約破棄した以上、もう無抵抗でいる理由も無い」
自惚れではない、とデイルは思っていた。
セイナも軍事国家ホクレンの元首筆頭将軍の息女なのだ。莫大な魔力を持ち、決して弱くはない。
(俺への気持ちと、それ故の遠慮があった)
そこの束縛を断てば、セイナも自身の身を守ろうとするのではないか。
「そこは、微妙だな。俺も昨日見ていたが、実力云々よりも、セイナ嬢が心に負わされた心の傷が尋常じゃないと思う。完全に怯えきっていたな。陛下が口を開く度に肩が震えていたぞ?」
ロディの言うとおりだった。
デイルにもわかっている。力なくうなだれるしかなかった。
「俺がセイナを守れなかった、何よりの証拠だよな。弁明する余地もない。セイナをいつも傷つけられて、俺だけは無事で」
情けなくて女々しいことを言っている自覚はデイルにもあった。つまり自分は母に負け続けてきたのだ。
「やめておけよ、そんなこといわれてもこっちが困る。命だけは守れる。そう割り切れよ。結婚できない。悔しい気持ちは分からないでもないが」
ロディの言っていることは少し自分の気持ちとはズレている。
もっと自分はしょうもない人間だ。
(ただ生きてさえいれば、また何処かで)
最後まで自分はセイナを諦めるつもりになれないのだった。