10 決闘前夜
セイナはグレンらに連れられて、魔導大国エスバルの王宮に帰ってきた。
決闘が決まれば手を出されることはない。
あらかじめデイルに言われていたとおり、ビクビクしていたセイナの懸念に反して、何事もなく到着したのだった。
「大丈夫。決闘までは、私が手を出させない」
王宮の正門にて出迎えてくれたデイルが優しく背中を撫でてくれる。それでもネイリアやアミナに少しでも勘付かれぬよう、到着を夜としたのだった。
セイナはそっとデイル越しに王宮の暗い壁を見上げる。
どうしても不安になってしまう。ここでは連日、アミナに電撃を浴びせられ、更には魔力も搾り取られてきたのだから。
「はい」
頷いてからセイナは首を横に振って、不安な気持ちを振り払おうとする。
(ここに戻ってくるなんて。私、本当にここで暮らせるの?全部、上手くいったとしても、今からこんな気持ちで)
朝から晩まで、いつ何時、呼び出されるか分からない恐怖と不安に苛まれた記憶が長過ぎる。今でこそ青い綺麗なドレスを身に纏ってはいても、記憶はまだ消えない。
「やはり、辛いよね。セイナ、すまない」
なぜだかデイルが謝ってくる。
何も悪くないのだ。むしろデイルに関する記憶だけが自分にとっては救いである。
「いえ、殿下がいなかったら。私は」
セイナはそっとデイルに身を寄せる。驚くほどピトリとすると安心出来るのだった。
「陛下の魔道具のため、魔力を搾り取るだけ搾り取られて。自分の魔力なのに他人に使われて。最後に道具を捨てるように殺されているはずでした」
十分な魔力を蓄えられたなら、あとは死んでくれていた方が女王ネイリアにとっては良かったのだろう。
(でも、そうはさせない。まして、私の魔力を殿下に向けさせるなんて、させない)
端正なデイルの顔を見て思う。紺色の髪に母親譲りの紫眼である。つい、いつも見とれてしまう。
「そんなことはさせないさ」
デイルも自分の思うことと同じことを口にしてくれた。
セイナはようやく安心出来て、デイルから身を離す。
残念そうなデイルの顔と、続けて先行していたミスティの顔が見えた。目が合うと頷いてくれる。首尾よくやってくれたようだ。
「私の命なんて。国によっては祖国に攻め込まれて、見せしめに殺されていたかもしれません。ありえることで、でも、今、現に私は殿下に守られて。まだ、幸せに生きられています」
セイナは心の底から告げる。
今、感じている幸せとかつての苦しみは別のものだと割り切らなくてはならない。
「そんなことは。力が足りなくて私は君を苦しめてばかりだ」
悲しげにデイルが言う。
「幸せなんです、私。もう既に」
首を横に振って、セイナは断言した。
「明日、どうなっても私は大丈夫です。もう幸せですから」
笑顔を作って、セイナは伝えた。本音を言うと、もう一つ贅沢としてデイルには怪我一つしてほしくない。
(本当なら自分で決闘を挑んで、戦うべきだけど。ホクレン出身の私は、精霊術師だし、そんな権利が無いみたい)
あくまでエスバルの魔術師同士の風習らしい。
「なんでそんなことを。私たちはまだまだこれからだよ。明日もあくまで幸せな結婚生活への通過点さ」
デイルが少し冗談めかして告げる。
「何をいちゃついてんの?」
不躾に不機嫌そうな声が割り込んできた。
デイルの妹アミナである。母譲りの赤い髪に紫の瞳だ。美人だが意地が悪い。同い年で自分よりも頭一つ分背が高く、婚約当初から何かと攻撃してきた。
「チビ娘、服だけは綺麗にして、もう、お兄様と結婚したつもり?小汚い、精霊術師のくせに。魔力以外、何も良いところがないくせに」
話している間に、魔力を練り上げて雷にしていた。
そしていつもどおり電撃を放とうとしてくる。
「やめてください」
セイナはアミナを見据えて告げた。初めての拒絶だ。
「なに?」
アミナが驚いて、手をかざしたまま固まる。
「これ以上、私、あなたたちの言いなりになりません。もう、やめてください」
セイナはもう一度、デイルの前に出て告げる。
「生意気ね。本当は明日、お母様が勝った後、ボロボロにしてやるつもりだったけど」
だが、ますますいきり立って、アミナが強力な呪文を放とうとしてきた。
何の呪文かはセイナには分からない。ただ魔力の気配だけで分かるのだった。
「やめろと言った」
デイルが短く告げて、妹を睨みつける。
同じく手をかざしていた。いつでも何かを撃てる構えだ。
「お兄様は、この女にたぶらかされて。せっかく自分から気付いて、追っ払ったのに、なんで、お母様に逆らってまで、この女の肩を持つの?なんで、王宮にまで戻してやるのよ」
アミナが兄の視線を受け止めてまくし立てる。
アミナもデイルに惹かれているのだ。兄妹だというのに。歪んだ情愛を示し、セイナにはいわれのない暴力を振るう。
なんとなくセイナにも気持ちはわかる。
(でも、兄と妹で、この人は)
魔術の腕前も本当は悪くない。見た目もすらりとして、美貌で美しいのに、人格が歪んでいるのだった。
「私とセイナのことに、お前が口を挟む権利など無い。母とお前が、何年間もセイナにしてきたことは、到底、許されることではない」
硬い口調で厳しく、デイルがセイナを糾弾する。
さりげなく自分の隣に並び立ってくれた。2人がかりでアミナに立ち向かっている格好だ。
(あっ)
セイナは気づいてしまう。アミナには誰もいない。
母親の威光を背景に好き放題していても、実際のところ、誰からも支持されてなどいないのだ。
「私とお母様は、魔力を搾取する魔道具に、それを貯蔵する魔道具、さらにはその魔力を活用する魔道具を活用させたのよ?それは兄様が庇っているチビ女を有効利用したから」
両腕を広げて誇らしげにアミナが言う。
自分を長年、虐げてきたことを成果だと断言した。今更、誰からも支持されるわけもない。
「それは、お前たちが私の婚約者を虐げてきた、その忌まわしい成果だろうが!」
案の定、デイルを怒らせただけである。
セイナもアミナを見据えた。身体の奥底で恐怖が疼くように震える。
「見てんじゃないわよ!」
とうとうアミナの感情が爆発した。
自分に向けて電撃を放ってくる。
「いやぁっ」
セイナは咄嗟に水の壁で防いでしまう。水白鳥の翼が包み込むように自分を守る技だ。
今までは防御すらも許されないと思っていた。
「このっ!このっ!死ねっ!」
アミナが狂ったように電撃を連発してくる。
水面を雷光が走り、やがて消えた。
「明日は、母様がお兄様の目を覚ますから!そしたら、そんな生意気なことが出来ないように、魔力を全部奪った上で、なぶり殺してやるわっ!あーっ、楽しみっ!」
そして一方的にアミナが叫び、背中を見せて歩き去る。
まるで嵐のようだった。
セイナはいつの間にかしゃがみ込んでいた自分に気づく。
「大丈夫だよ」
カタカタと震えていたセイナの背中にそっと手を乗せて、デイルが顔を覗き込んでくる。
本当は怖がることはない。本気で防げば、防ぎ切れると分かったのだから。魔力では自分の方が上なのだ。
「大丈夫です」
セイナも言葉を絞り出す。あふれかけていた涙を手で拭き取る。
「明日は、私もちゃんと戦いますから」
自分もしっかりしないと勝てないのだ。
改めてセイナは覚悟を決めるのであった。




