1 婚約破棄
昨年、描いてみて、多少好みが先行してしまった作品となります。そこまで長くはならない作品ですが、お読み頂けると嬉しいです。
よろしくお願い致します。
「セイナ・クンリー、私は君との婚約を破棄する」
断腸の思いで腹から言葉を絞り出す。
魔導大国エスバルの王太子デイルは居並ぶ廷臣の前で宣言した。
「そんなっ」
可哀想にも弱々しく、つい先まで婚約者だったセイナが声を上げる。
恥よりも哀しみの度合いが強く、表情、仕草の一つ一つがデイルの胸を打つ。
美しい黒髪に透けるような白い肌の少女だ。古びた灰色のドレスに身を包んでいても、本人の美しさは隠せない。大きめの澄んだ黒い瞳には時折吸い込まれそうになるのだが。ただ悲しいぐらいに痩せている。
もうあと数日で、16歳となり、晴れて自分の妻となるはずだった。
「やった!ざまぁみろっ!ちび娘っ!」
妹のアミナが憎たらしくもセイナを嘲笑う。
女王である母のネイリアも咎めない。満足気に微笑んですらいた。
魔導大国エスバルは王政だが優れた魔術師でさえあれば、女性であっても王位を継げる。むしろ推奨すらされていた。
「殿下っ、そんなっ!私、やっと」
苦悶の表情を浮かべてセイナが言葉に詰まる。
皆まで言わなくともデイルにも分かった。2人で指折り数えてきたのだから。
軍事国家ホクレンからデイルが12歳のとき、10歳で婚約者として迎え入れられたのがセイナだった。ホクレン筆頭将軍家の次女であり、膨大な魔力を持つ精霊術師だという。
つまり政略結婚だった。
(そんな付加価値より、とにかく可愛らしくて、結婚できる16歳が待ち遠しかったというのに)
デイルは拳を握りしめて唇を噛んだ。
「セイナ、君には機密を漏らした、との嫌疑がかかっている。自分の祖国ホクレンに我が国の魔道具について情報を流したね?」
なんとか気を鎮めてデイルは告げる。
どよめきすら起きない。軍事国家と称するだけあって好戦的な国家、ホクレンの子女である。情報漏洩ぐらいおかしくないという偏見にもセイナは晒されてきた。
「私じゃありません、殿下、信じてください」
セイナが俯いて涙を流す。
(信じるも何も君じゃないと知っている)
本当はデイルも叫び出したいぐらいだった。
「黙れっ!嘘つくなっ!」
アミナが無詠唱で弱い雷魔術を放つ。命を奪うような威力はない。あくまで嬲るためのものだ。
「きゃっ」
弱い電気を撃ち込まれ、セイナが悲鳴を上げる。痺れて膝をついてしまう。そのセイナの地についた手をアミナが踏みつける。
顔を歪めるも、セイナは悲鳴すら挙げずに耐えた。
日常的に繰り返されてきた光景である。
(なんなら、これでもマシな方だ)
デイルは止めようともしない母にも鋭い一瞥を向ける。
だが母のネイリアも涼しい顔を崩さないのだった。
廷臣らも当然、誰も止めようとはしない。
「やめろ、アミナ」
自分で直接、この妹を攻撃したい気持ちを抑えてデイルは低い声で言う。
「女王陛下の面前だ。見苦しい狼藉はやめろ」
結局、セイナを守るような形になった。
(あっ)
何かを察したらしいセイナの顔を諦めが覆う。
「はぁい、お兄様」
わざわざセイナの背中を蹴りつけてからアミナが離れていく。
「さて、と。それじゃあ、この娘はどうしようかしら?」
とうとう母のネイリアが口を開いた。
自分の生みの親にして未だ容色衰えぬ妖艶な美女だ。赤い燃えるような髪色、紫がかった瞳を持ち、さらには自分やアミナなど遥かに凌駕する魔力を行使する、エスバル最強の魔術師でもある。
指にはいつも無数の魔道具でも装飾具でもある指輪を嵌めていた。
「人質としての価値も無く、息子の婚約者でもない。もう、私が好きにしてもいいわよね?」
どこかねっとりとした口調で母が皆に問う。
「ホクレンは人質などいても、構わず攻めてきますからな」
誰かが同調する。大方、軍事国家ホクレンの国境付近の領主だろう。
軍事国家ホクレン相手では筆頭将軍の次女といえども人質としての価値は薄い。
「そうでしょう?この娘の価値なんて、馬鹿みたいな魔力しかないわけよ?」
母ネイリアが舌なめずりして言う。
視線がセイナの肌を這う度、セイナが恐怖で肩を震わせる。
まだ幼い頃から実験と称して散々にいたぶられてきたのだから。恐怖を心と体に刻まれている。
「例えば、魔術の実験の集大成で、ここで焼き殺して灰にしちゃおうかしら」
ネイリアが楽しそうに言う。内心では眉をひそめている者もいるだろうが誰も逆らえない。
(まだ、足りないのか、この人は)
母を怒鳴りつけたい気持ちをデイルは抑え込む。ここで自分が冷静さを失っては誰もセイナを守れない。
セイナを守るために婚約を破棄する。考え抜いた末に決めたことだった。
(あんたとアミナは出会ったその日から)
軍事国家ホクレンから来たその日にデイルは一目惚れして、早速、会話をしようとしたのだが。話をする前にセイナがどこぞへ連れられて行って、戻ってきた時には傷だらけで泣きじゃくっていた。
まだ鮮明な記憶だ。
その後も魔術の試し打ちや魔道具製作の実験台としてきた。
「あはは、いいわね、お母様、私もやっちゃっていい?」
アミナが水を得た魚のようにはしゃぐ。
手をバチバチと雷で鳴らして、セイナの恐怖を煽ろうとする。
「ええ、もちろんよ」
母もまたアミナには優しく頷いていた。
この2人の思い通りにはさせない。
「お待ち下さい」
デイルは2人とセイナの間に立ち塞がる。
「確かに軍事国家ホクレン相手では人質としての価値は薄く、私の婚約者としても不適格なところもあり」
言うだけで胸が痛んだ。セイナには、不適格なところなど全く1つもない。
「破談しましたが、今、ホクレンに付け入る隙を、攻め込む口実を与えるわけには行きません」
こらえてデイルは言い切った。
「ホクレンは先般、東の大国シュバルトと同盟を結びました。東に憂いなき今、西に攻め込む相手を探している状況です」
軍事国家ホクレンには精強な数十万とも言われる兵力がある。どの国も敵には回したくない。その一方で独特な価値観のせいで、どの国とも淡白な関係である。
口実を与えるとエスバルに攻め込んでくる可能性も十分にあった。
「情報漏洩の非が、その娘にはあるでしょう?処断されても理はこちらにあるんじゃないかしら?」
ネイリアが動揺を見せずに言う。
「理はあっても、今、ホクレンと戦えますか?我々が」
大きな犠牲は避けられない。
デイルは廷臣たちを見渡した。皆、軍事国家ホクレンとの戦争には乗り気ではない。読んだとおりだった。
「私は、丁重に送り返すべきだと考えます」
デイルはなんとかここまで話をこぎつけることができた。
婚約破棄して、セイナを祖国へ逃がすのだ。他に自分には、守るすべがない。だから生まれ故郷に守ってもらうのだ。
「そうですな。セイナ嬢には、ホクレンへお戻りいただきましょう。殿下のおっしゃるとおり、ホクレンに攻め込む口実を与えるのは利点が無い」
宰相のベルモンド公爵が同調してくれた。
少なくない数の貴族が賛同の声を漏らす。この人たちは東に領土を持ち、ホクレンとの小競り合いに悩まされている人々だ。
ネイリアが黙ってゆっくりと一同を眺める。
「残念ねぇ」
そして全体の空気がセイナの追放にあることを悟った。
「私の手でこの娘を焼き殺せるかと思ったのだけど」
何が憎いのか。この母はセイナを痛めつけたくてしょうがないのだった。
「母上、護送の方も、この私が」
胸に手を当てて、デイルは自ら申し出た。
「あら、そう?自分でちゃんと出来るの?」
笑ってネイリアが尋ねてくる。
(お前は子供だ、と。そう言いたいのか)
デイルは正面から母の視線を受け止める。
18歳になるのだ。子供ではないから、無駄に声を荒げることもしない。
「私の婚約者だったのですから。私自らの手で、ホクレンへ送り返します」
心が千切れそうになった。
これで自分とセイナとの6年間が終わって、他人同士となったのだから。
「じゃあ、分かったわ。あなたに任せるから、せいぜい上手くやってみなさいな」
ニタアッと笑みを浮かべて母ネイリアが言う。
どこか引っかかる物言いだった。この違和感をデイルは直ぐに思い知ることとなるのであった。




