2話
「忘れ物ない?」
靴を履く俺に、普通の家庭の朝っぽい質問が投げかけられる。
「あ、ああ、うん。ないけど。」
ないというか、そもそも入学式にもって行かなければいけないものなんてない。
「なによ、含みがあるわね。ああ、トイレ行きたいの?ならそう言いなさいよ。待っててあげるから。」
「行きたくねえよ。ってかさっき行ったし!」
「じゃあ何よ。忘れてた元カノのことでも思い出したの?」
「誰が上手いこと言えつったよ。つうか勝手に、俺が彼女に捨てられたカワイソウナコみたいな設定にしてんじゃねえよっ。」
勢いに任せて突っ込んだせいで乱れた息を調え、再び口を開く。
「たださ、なんか、普通っぽかったなーと。」
「なによ、普通っぽいって。」
「いや、なんつうか、上手く言えねえけどさ。」
普通っていいよなー。
「変な子ねー。まあ、いいわ。行くわよ。」
そう言いながら姉ちゃんはブレザーを羽織って外へ出て行った。俺もその後を追って晴天の空の下へ踏み出す。
光がまぶしかった。
「おはよう!」
光の中から挨拶が飛んでくる。
「ああ、はよ。」
周りの明るさに目を慣らすため二、三度まばたきをしながら答える。
「今日は良い天気だねー。入学式日和だよね、まさに。」
朝の気だるさを感じさせない明るい笑顔と長い黒髪が視界に飛び込んでくる。御神美咲が、うちの門の前に立っていた。こいつが迎えに来るのは小学校の頃からの習慣で、俺にとって日常で、普通。
美咲と俺はいわゆる幼馴染で親同士の仲がよく、俺たちが母さんの腹の中に居るころからの腐れ縁だ。こう見えて美咲の家はこの町唯一の神社で、名士とか言われちゃう大地主。金持ちだけど、地域のためのおつとめとかがあって色々大変らしい。
美咲は俺のクランの一員で、ポジションとしては俺の後衛。主に光魔法と治癒魔法、それからある程度なら理魔法も扱える魔法使いである。光魔法や治癒魔法で美咲にかなう人間は大人でもほとんどいない。その実力とマジックスタイルから聖女と渾名されるほど優秀なパートナーなんだけど、実際のところ明るくて少しぬけている普通の少女だ。
「美咲、おまえ透ピのままだぞ。」
「えっ、あっ、ほんとだ!朝のお勤めの後付け替え忘れてたよう。」
そういいながらバックの中にしまってあったケースから赤く煌くピアスを取り出し、透明のピアスと付け替えた。美咲は俺や姉ちゃんと違って、ほぼ完璧に制服を着ているので、ピアスの煌きだけが妙に浮かび上がって見える。
「似合わねー。」
俺は思ったことを率直に口に出す。
「えっ、なに、ひどくない?」
「いやな、だってさ、おまえ結構まじめに制服着こなしてるからさ、ピアスだけが浮きまくってんだって。」
一応、注釈をつけておく。
「だって校則で着かた決まってるんだもん、仕方ないよ。それよりなに、桃。その格好。」
美咲は俺の制服姿を見ながら言う。
「なにって、なに。かっこいいだろ?まあな、元が良いから何着ても似合っちまうんだわ。」
「いや、カッコいいとかそういうことじゃなくて、あっ、別にかっこ悪いって言ってるわけじゃ無くて、むしろカッコいいと思ってるんだけど、なんていうか不良っぽいよ。ちょっとコワいよ、顔とか。」
「顔かよ!元からだよ、生まれつきだよ、ありのままの俺だよ。吊り目で悪かったな!遺伝だよ、桜を見ろよ、同じ目してるよ!」
「うっさいわねー、誰が吊り目よっ。あんたと一緒にすんじゃないわよ!」
ドアのセキュリティーナンバーを叩き、ロックをかけながら姉ちゃんが叫んでいたけど、とりあえず無視をきめる。
「でも、ほんと、校則違反だよ、その格好。」
実は美咲もスカートを校則で決められているより少し短くなるよう折っていることには突っ込まずに、俺はビシッと言ってやる。
「ふぉろーいんぐ桜!」
美咲がドアの方をチラッと振り返り、風になびく茶髪見て目線を戻し、今度は嘗めまわすように俺の制服姿を見た。
「そこまでガン見されると、いくら俺でも恥ずかしんですけどー?」
今朝の姉ちゃんのマネをして、艶やかぶった声を出してみる。
「何それ、気持ちわる―。」
「ふぉろーいんぐ桜。」
「何でもかんでもあたしのせいにするな。」
ロックをかけ終えた姉ちゃんが俺の頭をはたき、歩き出す。俺と美咲もそれを合図に学校へ続く坂道を目指すのだった。
俺たちがこれから三年間通うことになる高校、春華学園は小高い山の中腹に門を構える私立校である。学区内では公立私立あわせて一番偏差値が高い、いわゆる進学校で、部活動はあまり盛んではない。その代わり、SAMMACに力を注いでいるらしい。学業優秀者や校内のSAMMACランク上位チームメンバーなど一部の人間に特権が与えられるという独特の校風というか、マイナールールがあると、姉ちゃんから聞かされている。正直、特権なんかに興味はないが、そのおかげでタダで高校に通えるのだから感謝はしてる。ちなみに姉ちゃんも特権階級の一人らしい。素行不良だけど頭は良いし、二年にして生徒会副会長。本人曰く、特権を得るには十分すぎる人材らしい。
山の入り口から校舎までは、一本道である。というか山自体が学園の所有地らしく、中には学園関連施設以外建っていない。
その一本道の入り口、公道と私有地の境目で、二つの赤い煌きが見えた。近づくうちに向こうもこちらに気付いたらしく立ち上がって軽く手を振っていた。
「おっはよー、桃っ!」
二人のうちの男の方が駆け寄ってきて、挨拶と一緒に俺にチョークスリーパーをかましてくる。本気で絞めてないから大して苦しくないし、こういうスキンシップはなんか普通を感じれるから、俺的には好きだったりする。
この裸絞め男は、岡本藤也。俺や美咲とはこれまた長い付き合いで、幼稚園からの幼馴染だ。クランでのポジションは前衛専門。魔法を一切使わず、物理攻撃のみで戦闘を行う特攻隊長である。実家が道場で剣の腕は俺以上。純粋な体術に関してはズバ抜けている頼れる仲間で、たくさんの武器を使いこなせるんだけど、なんつうか性格に難ありというか、変態。本人曰く、変態ではなく女体の神秘に魅せられた美少年らしい。まあ、俺も人のことをとやかく言えるほどできた人間でもないし、女体の神秘万歳派の人間なのであえて突っ込みはしないが、しいて言うなら、藤也よりは俺の方が美少年だと思う。
「おはようございます、梨桃くん、梨桜先輩、美咲。」
もう一人の友人が歩み寄ってきて挨拶をすると、籐也は俺の首から腕をはずし、姉ちゃんの方へ振り向いて敬礼の真似事をする。
「おはよーございます、桜さん!今日からまたよろしくお願いします!」
籐也は自称姉ちゃんのファン一号で、将来の夢は俺の義兄と公言している。
「二人ともおはよう。今日からまた同じ学校ね。わからないことがあったり、無理やりにでも押し通したいことがあったら、いつでも私に言ってきなさいね!」
姉ちゃんの不穏な発言に苦笑しながら美咲と俺も二人に挨拶を返す。
「はい、頼ります!初日からガンガン頼ります!」
「籐也、近いですよ。あなたはいつもいつも近すぎです。もう少し人と接するときの距離を―」
朝からテンションMAXの籐也に、目が据わった笑顔で注意した女は神立椿。籐也のいとこで、俺たちとは中学のときからの付き合い。籐也のストッパーでただでさえ大変なのに、美咲の家で巫女のアルバイトに勤しむ勤労学生である。クランでのポジションは中衛というかオールラウンダータイプで、短剣による近接戦と、投擲武器や強力な理魔法による中長距離戦闘の両方を行える魔法剣士で簡単な治癒魔法も使える。理魔法ってのは炎や雷、氷や風など自然の力を借りた魔法のことで、椿は特に氷雷系を得意としている。
「そうえばさ椿、」
美咲が椿に、話しかけたので籐也は小言から開放される。
「これ見てよ。」
言いながら美咲は俺のことを指差す。椿の視線をとりあえず無視して、俺は市販のウルトラブリーチで金色にしている髪をくるくるして遊ぶことにする。
「うん?」
椿は美咲が何を言いたかったのかが理解できず聞き返す。
「だからね、桃の格好!」
言われて再度俺の方へ向く椿。
「といわれても、いつも通りですよね。普通に梨桃くん。」
「だって初日だよ?新入生だよ?なのにこんな――」
「何言ってんだよ、美咲。この見た目ばっかり不良っぽい感じが、桃らしいんじゃん。」
いやそれフォローになってねえよっ、と心の中で籐也に突っ込む。
「藤也の言ってることが分からないわけじゃないよ。でもね、今日くらいはもっと普通っぽい服装とかにしたほうが――」
「桃にとってはこれが普通なんだって、なあ桃っ。」
急に話を振られて、一瞬答えに困る。普通。俺にとっての普通の服装。
「まあ、凛みたいなカッコが普通だって言うなら、俺にとってそれは、普通じゃあないな。」
一瞬で答えを見つけることは出来ず、俺は逃げを打つことにした。
凛ってのは、優勝クランで唯一他の学校に進学した男の友人で、本名は鳳凛。ちなみにこれでフルネームで純正日本人。決して胡散臭い中国人ではないし、まして餃子とか売ってる店でもない。で、凛ももちろん特待生としてうちの学校に来るはずだったんだけど、家庭の事情的な理由で他の学校へ進学した。学校はバラバラになったけど俺たちの大切な仲間だ。あー今、なんか俺いいこと言ったかも、うん。心の日記に書いとこ。
「ああ、凛はなあー、模範生徒のような服装してたもんなー。」
そういう、籐也は髪の色が茶色い以外、俺と大して変わらない服装である。ちなみにこの髪色も実は「ふぉろーいんぐ桜」の賜物だったりする。
「そういう服装が、今日のような場合は普通だと、美咲は言ってるんだと思いますよ。」
そういう服装をした椿が律儀に補足説明を口に出し、美咲はうんうんと頷いている。
「まあ、何でも良いんじゃない?もし校門でなんか言われたら、名乗りなさい。あんたたちのことは、教師連中も知ってると思うから。それでもだめなら、私の名前を出しなさい。」
どうやら俺たちには、入学初日から特権とやらがあるらしい。だから何も言われないだろうと。それでだめなら、自分の特権を使うことを許可する、と姉ちゃんは言っているらしかった。
「ンじゃ、あたしはあんたらの入学式の準備があるから、先行くわね。また後で!」
そう言って姉ちゃんは腰まである茶髪と短すぎるスカートを揺らしながら、坂道を駆け上がっていった。
「桜さーん、がんばってくださーい!」
藤也の声援に、姉ちゃんは振り向くことなく右手を上げていた。
「そういえばさー、」
話題を変えたのはまた美咲だった。いったいこいつのおしゃべりタンスにはどれだけ引き出しが詰まっているのだろう。
「さっき、桃も言ってたけど、」
っと思ってたらどうやら俺が話題を提供していたらしい。初耳ですよ、奥さん。
「ホーリンいないんだよね。」
ああ、その事か。凛が別の学校通うことになって寂しいのはみんな同じ気持ちだから、よく分かっているつもりだった。いや、その寂しさはみんなよくわかっていたんだけど――
「どうするの、今日のデモンストレーション。私たち五人しかいないよ?」
美咲の考えていたことは誰一人、分かっていなかったらしい。その場が凍りついたように全員が一瞬固まった。
「え、ええ、だってだって、桃、私、藤くん、椿、シアちゃんで五人だよねえ?」
美咲はなぜ皆が固まったのか理解できていないようだった。
「確かに美咲の言う通りよね。この場合どうなるんでしょう?」
椿が平静を装った声で、誰にともなく聞く。
「みさきー、御前なんでそれをもっと早く、桜さんが居る時に言わないんだよー。」
「え、ああ、そっか!桜お姉ちゃんに言っとけば、生徒会の方でなんか対策してくれたかもしれないもんね!気付かなかったよ。」
藤也にしてはテンションの低い突っ込みに、美咲はのんきな反応を返した。
「ですが、梨桜先輩はもう行ってしまわれましたし、どうしましょう?」
今度のは俺に対する問いかけだ。
「ああ、そうだなー。どうもしなくてもどうにかなんじゃねー?」
まじめに聞かれたので、俺も率直な意見を返し、登校を再開する。
「と言うと?」
椿は、俺がテキトーに答えたわけではないと気付いているが、真意を掴みかねている感じの顔で続きを促してきた。
「姉ちゃんは、凛が俺達のクランだったことも、他の学校に進学することも知ってる。なのに俺にないも言わなかった。ってことはだ、なんらかの対策は生徒会の方で既にうってあるということじゃねえの?たとえば新入生の中からSAMMAC経験者を一人選んでデモンストレーションへの参加を依頼してるとか、在校生から適当に選んで通達してあるとかな。」
「たしかに、桜さんならそれぐらい手回ししててくれてそうだよな!」
「そうでしょうか?それならいいのですが――」
藤也は楽観的な反応を示したが、椿は腑に落ちないようだった。何というかこいつは、賢いぶん面倒クセーところがある奴だ。
「ですが、梨桃くんが先ほど何とかなると言ったのには他の――」
「あー、そうねー。」
聞いてくると思っていたので、椿の言葉を聴ききらずに返事を返す。
「たとえばだ。仮に姉ちゃんが何の対策もうっていなかったとしよう。五人で在校生クラン六人と戦うことになったとして、負けると思うか?俺たちが?」
椿は納得した風な顔だったが、俺はあえて続ける。
「少なくとも俺は、思わない。俺たちが負けるところなんて想像できない。だってさ、俺たち最強じゃん?」
「ああ、確かに!俺ら最強!」
「ええ、確かにその理由なら納得です。」
「慢心はいけないんだよー。足元すくわれちゃうよー。」
「なるほど。とーや、美咲は最強じゃないらしいぞ?」
「えっ、マジで!?じゃあ多分、俺達の仲間じゃないな!」
「ええー。ちょっと、それはひどくなーい?」
なんてうぬぼれた会話をしながら坂道を登るのだった。
雑談を交わしながら坂道をだらだら登り校門が見えてきたあたりで、黒塗りの妙に長い車が俺たちを追い越し、その先で止まった。運転席から学生鞄を持った初老の男が降り、後部座席のドアを開く。ドアの開かれたリムジンから、脱色ではない天然の銀髪が降り、鞄を受け取りながら男と一言二言交わした後、門とは逆方向のこちらへ歩みだす。その耳には赤く煌くピアスが突き刺さっている。中学校三年間で見慣れた光景だ。これも俺にとっての日常で、普通になりつつあるのかもしれない。
「皆さん、おはようございますですわっ!」
妙な日本語で挨拶してきた銀髪に、各々挨拶を返しながら歩み寄る。
この銀髪女は、貴富フリージア(キフフリージア)。俺たちとは中学で知り合ったクランメンバーで、ポジションは籐也の後衛。強力な闇魔法と能力強化魔法、そして闇魔法独特の治癒術を使う魔法使い。闇魔法は術者を選び使いこなせるものが少ない上、彼女は独特の術式を使うので闇魔女なんて恐れるやつもいるが、、本人はあまり気に入ってないらしい。魔法少女ですわっ、とよく叫んでいる。
美咲の家も相当金持ちだと思うけどフリージアの家は桁が違う。親の職業は会社経営で、傘下に多くの会社や研究所を持つ貴富グループの令嬢である。実はうちの両親の研究所も貴富グループの傘下だったりする。そのせいで、出会った頃はフリージアに気を使いまくっていたりしたのも、今となってはいい思い出だ。
ふと、リムジンでの送り迎えがこいつにとっての普通なのかなぁ、なんて考えながら俺も挨拶を交わす。
「皆さん、何のお話をしてらっしゃったんですの?」
合流したフリージアはそう言いながら俺を見る。
「俺たち最強って話だよな、桃っ。」
その視線に割って入って答えた藤也の言葉を、「何を当然のことを」とフリージアが自信満々に笑う。やっぱり美咲だけが仲間はずれだと盛り上がっる友人たちを背にし、独り言のようにフリージアの質問に答える。
「普通っていいよなー、って話だ。」
俺の言葉は誰にも届いていないらしかったが、気にせず歩を進めることにした。
門をくぐると、今日から始まる新生活に緊張気味の新入生や誘導役の在校生のらしい奴、教師らしい人たちでごった返していた。